【ライフヒストリー】愛犬との出会いと別れ編
こんにちは。
フリーランスコーチをしている、keikoです。
2023年6月15日は、愛犬ココアが16歳で亡くなった日。もうすぐ1年なので、私とココアの歴史を振り返りながら、noteに残してみようと思います。
フーちゃんとの出会いと別れ
はじめて犬を飼い始めたのは小学校3年か4年の頃。周りで犬を飼っている子が羨ましくって、トイプードルが流行っていて、私も飼いたい飼いたいと駄々をこねまくった。
駄々をこねまくり、「お世話する」「散歩もする」とたーくさん約束をして(守らないんだけど)、ついにうちにやってきたのが、ココアの母犬のフロゥ(フーちゃん)。
フーちゃんは、ほぼ産まれたての状態でうちに来て、それはそれは可愛くってメロメロだった。
弟と3人で代わる代わるずーっと抱っこをしていた。
だけど、フーちゃんを飼い始めて1年経つか、経たないかくらいで、私たち家族は、フーちゃんと一緒に住めなくなった。
飼い始めた時に住んでいた一軒家を離れて、ペット不可の小さいマンションに引っ越すことになったから。敷地内同居していた我が家は、家族間の問題が絶えずに、おかしくなりかけていた。
近くのマンションだったけど、逃げるように引っ越した。引越しの前日に、急に引越しをすることを告げられ、フーちゃんともお別れだと言われた。
その時の自分の感情はあんまり覚えていなくて。(たぶん薄々気づいていた)ただ、私よりもフーちゃんを可愛がっていた弟がとにかくギャン泣きしていたことだけは覚えている。
正直、私はフーちゃんどころじゃなかった。
中学受験をすることが決まっていたから、毎日勉強、成績、塾、家庭教師。「そんな時に引越し?」多分私は大人に静かに怒っていた。
小学校時代は、私の暗黒期と思っていて、心を許せる友達もいなかった。この子は力が強いから一緒にいよう。とかそんな風に友達を選んでいた。後はみんな、勉強のライバル。きっと楽しいこともあったはずだけど、記憶の中は嫌な思い出ばかり。
だから誰にも引越しのことも言えなかった。
誰にもバレずに過ごさないと。そんなことばっかり考えていた。何を守って、何を隠していたんだろう。
フーちゃんは結局、親戚の家に預けられることになった。
フーちゃんと再会
マンションで暮らしながら中学受験勉強に励んでいた私は、先生たちから「賢い。頭がいい。志望校に絶対に合格できる。」と言われていた。
当たり前に私は信じていた。
結果、倍率1.1倍で落ちた。
落ちる方が難しい。
合格発表の日、私は何が起こってるのか理解できない中、一緒に受験をした友達が「けいこちゃんが落ちた」と泣いていた。なんでこの子が泣いているんだろう。と思ってた。
私は、「親の顔をどんな顔で見たらいいのか分からない。」「大人の言うことって信じられないな」そんなことを思っていた。
そんな中、志望校だった中学とは偏差値が30くらい下の中高一貫校に通うことになった。(死ぬほどバカにしながら始まった中学生活は、その後信じられないくらい楽しい日々になる)
中学に通い出した頃、また引越しをすることになった。フーちゃんが帰ってくることになった。
親戚の家から帰ってきたフーちゃんは、産まれたてのあのちっちゃな可愛い存在じゃなくなってしまっていた。元々の性格なのか、環境がそうさせたのか分からないけど、警戒心が強く、めちゃくちゃ怖かった。
近づいたら噛まれるから、私は遠ざかっていった。
もちろん、散歩もお世話もしない。
「飼いたいって言ったの誰!」と数えきれないくらい怒られた。
弟はお世話はしなかったけど、可愛がっていた。
ココア誕生
この頃、飼い始めた時以上に、トイプードルブームが起こっていた。
あの家族も、この家族も、もぅそれはそれはみんなトイプードルを飼っていた。
どういういきさつがあったのか知らないけど、フーちゃんと友達の家のオス犬を交配させて、子供が生まれることになった。
なんとうちの家で産まれた。
したっ足らずのブリーダーさんがしょっちゅう家にきてた。産まれた日は、テレビで「フラガール」を見ていて、「静かにしないと、母犬が子供を殺す」と言われ、怯えながら、ついに3匹産まれた。
本当に赤ちゃんのワンちゃん3匹。
反抗期真っ只中の私でも可愛さにメロメロだった。
そうして3匹のうち1匹は、親戚の家に。もぅ1匹は父犬のところに。
「残りの1匹どうする?お世話しないから、誰か欲しい人に譲ろっか?」と言うところを、また私が駄々をこねた笑
こんなに可愛い子、絶対離したくない!
名前ももぅ決めた!ココア!
ココアはうちの子!
そうして産まれた時からずーーーっとうちにいたのがココア。うちの家以外いたことがないので、生粋の箱入り息子。かわいいい
おだやかなココア
警戒心が強く、すぐに噛んだりする母犬のフーちゃんと違い、ココアは、怒りや警戒心はどこかに置いてきた仏ですか?っていうほどにおだやかな犬だった。
私が友達を連れてきても吠えずになつくし、私が世話をしなくても、ココちゃん!って呼んだら、ニコニコしてきてくれた。
こんなに愛おしい存在がいるのか!とずっと思っていた。
とわいえ、中学、高校時代は、都合のいい時だけ可愛がって、自分の人生に夢中だった。
大学生になって、実家を離れたり、日本を離れたりしたけど、別にココアに会えなくて寂しいとかそんな感情はなかった。
そういえば、私は大学2年の時に留学してるんだけど、留学前の健康診断で、犬アレルギーであることが判明した。
あれ?どうりでずっと鼻炎なような。
ずっと家にいたらまだマシなアレルギーも、実家を離れて、たまに戻るとクシャミが止まらないので、実家に帰るたびにアレルギーの薬を飲んでいた。
寄り添い、愛を教えてくれたココア
ココアと私の物語が始まったのは、3年前、私が体調を崩して実家に帰ってから。ココアは14歳。
この時、フーちゃんはすでに死んでいた。
私も死に目に会えたけど、「あぁ、死んじゃった。まぁ動物だもんね。」くらいの感覚だった。
弟は深く悲しんでいた。
ココアが14歳くらいになるまで、私はずっとただ都合のいい可愛い存在として感じていた。よく芸能人が、犬を可愛がってる自分を可愛いと思ってる。と言われていたりするけど、私はまぁそれに近いような感じだった。
3年前に、実家に帰ってからの私は、頭が痛くて、目を開けたら眩しくて、部屋を真っ暗にして寝ていた。こんな状態が1ヶ月くらい続いたんだけど、その時、いつも起きたら、横にココアがいた。
日によって、2階で寝たり、ソファで寝たり。とか色々してたんだけど、どこで寝てても何時に起きても、ココアが横で寝ていた。
もちろん、別に何か言葉をかけてくれるわけでも、何かしてくれるわけでもない。ただ、そばにいてくれることで私は安心したし、癒された。
ついにベッドを作ったこともある。
動物に癒されるって、動物と通じ合うってこういうことなのかな。って思い始めた。
1ヶ月もしたら、相変わらず頭が痛くなることは多かったけど、普通に生活できるようになった。それからは、ココアと一緒にお散歩行ったりした。
私がストレッチしようとしたら一緒にストレッチしてた。
仕事をせず、友達ともほとんど会わずな生活が、それでも孤独感を感じすぎずにいられたのは、ココちゃんの存在が大きかったな。と思う。ありがとう。
犬アレルギーがある私も、ココちゃんとだったら全然アレルギー反応が起こらず、すっかり薬も飲まなくなっていた。
お別れ
実家に戻って2年が経った2023年6月。
私は英語コーチの仕事がうまく行っていて、仕事の関連でセブ島に行くことになった。念願の2週間のワーケーション。
あんなに体調が悪かったけど、すっかり良くなったな。
「キャリアは終わったな。」なんて言われたこともあったけど、やりたいと思える仕事に出会えた。そして、海外に行って働くことまで叶えられる。そんな一つの節目の時期になっていた。
久々の海外。
ドキドキとワクワク。
早朝便に乗るために、空港に前泊するため、夕方ごろに家をでた。
その日の朝、ココちゃんは、準備をしている私にピトーっと寄り添ってきていた。
相変わらず可愛いなぁ〜。なんて思いながら、わたしはバタバタと準備。
そして、普通に行ってきます。と家をでた。
そうしてマニラ経由でセブへ。
遅延に遅延を重ね、ヒヤヒヤしながらセブに到着。もぅ夜遅くなっていた。
1人でタクシー乗るのも怖いヨォ〜。と思いながら、LINEを開いたら母から連絡。
「ココちゃんが、フーちゃんの元に行ってしまいました。」と
え?
え?
嘘でしょ?
とLINEした側から、涙が止まらない。
セブのタクシードライバーさんが、私がそのおじさんが怖くて泣いてると思ってしきりに「I’m sorry. don’ t worry.」と声をかけてくる。
私は「愛犬が死んだ」と言ったけど、その英語は通じずに、ひたすら泣く私と、謝るドライバー。金曜日に到着したので、道は大渋滞。沿道で歌い踊る人たち。
あぁ、もぅなんてカオスなんだろう。
カオスすぎる現実に落ち込みながらも、カオスで良かったと思ってる自分もいた。
宿舎に着いて、仕事関連の人に会うのに、いきなり泣いてたら訳がわからない。一旦、泣き止んで、私は笑顔を作りひとときを過ごした。
それから自分の部屋に戻って、ひたすら泣いた。
寂しくて、悲しくて
喪失感と今そばにいれないその事実。
そして、犬の死にここまで涙が出る自分に何より驚いていた。おじいちゃんが死んだ時も、おばあちゃんが死んだ時も、空気に飲まれて多少泣いたくらいで泣かなかった私が、信じられないほど泣いた。
もしかすると、初めて、ちゃんと悲しむ資格があると思えたのかもしれない。そんな資格元々ないのだけれど。
その日はほとんど眠れなかった。
どうして今日なんだろう。
どうして私がそばにいれない時なんだろう。
私が辛い時、ずっとそばにいてくれたのに。
だけど、逆に、今日だったんだな。とも思った。
なんだか私の新しい門出を見送ってくれたそんな気がした。
セブに行く前にココちゃんが死んでいたら、私はセブに行けなかったかもしれない。
ココちゃんは、私をセブに見送って、それから天国にいったのかな。
「もぅけいこは大丈夫だな。」そんな風に思ってくれたのかな。出発の日の朝に寄り添ってきたのは、最期の挨拶だったのかな。あぁ、ハグしてあげたらよかったな。
初めてのセブでドキドキだったけど、ココアが見守ってくれてるって心の底から思えた。離れててもそれでもやっぱりココアは共にいてくれた。
ココアのいない日々
2週間の刺激的なセブ滞在を終えて、帰国した。
帰宅した時に、ココちゃんが本当にいないことを、ひしひしと感じた。
その辺に落ちてる布が、スリッパが、少しの影が、全部ココちゃんに見えた。正直、今でも見える時があるし、あれ?匂いがする。なんて錯覚することもある。不思議だね。
「失ってから大切さに気づく」
とはよくいうし、
共にいる時から大切だと思っていたけど、
それでも、やっぱりココちゃんの不在は思っていた以上に寂しかった。
話すたびに涙が出て、やっぱりそのことに驚いた。
共同墓地のお墓参りにも行ったけれど、それはあまりにも共同すぎて、全く泣けなかったし、そこにフーちゃんとココアがいるとは思えずに笑った。
別れてからの1年
もうすぐココアが死んでから1年。
色々なことがあった。
この1年、主に私はTHE COACH ICPでコーチングに向き合ってきた。
たくさんの出会いがあり、気づきがあり、学びがあり、とてもとても濃い1年だった。時折ココアのことを思い出しながら、時にすっかり忘れながら、日常を過ごしてきた。
2024年2月に、THE COACHの全課程を修了し、本格的にコーチとして生きていこうと決めた。
ライフコーチングのサービス名を考えている時、最初に思いついたのは「ココア」だった。結局意味づけがされそうすぎる名前だな、と思ってうやめたのだけど、私がしたいことは、結構「ココア」だ。
誰かに、ただ、寄り添う。
安心を与える。
そこから生まれる何かがある。と信じている。
私がココアに与えてもらった愛を、私も私の形で循環させていきたい。
私がココアに沢山救われたのは、ココアがココアでいてくれたから。だから私も、私でいて私を生きる。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
ここまで書いて、4900文字を超えている。
思ったよりだいぶに長くなった。
もっとサラッと歴史を振り返るつもりが、全然サラッとしなかった。
そして最後はやっぱり、コーチングの話になるんだ〜。と面白いいなと思っている。
と同時に、今、これを書けてよかったな。と思っている。
未完了だなんて思っていなかったけど、こうしてみると何か未完了だったようなそんな感覚がある。また一歩私はどこかに進んでいけるそんな気がする。
そして、やっぱりここに書いたものが全てではないんだよ。というnoteを書き終わる前のいつもの感覚になっている。
だけど、ここに書いたものは、それはそれで全てなんだ。
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