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めんよう

それは古びた中華料理店でした。
昼休みはとうに過ぎています。
お客さんがひいた後でしょうか。
洗い物をしている音が止み、
奥のほうから少し腰の曲がったおばあさんが出てきました。

——ふたりですけど、大丈夫ですか。
ああ、どうぞ。

おばあさんは4人掛けのテーブルを指差して
決まったら...と呟いてまた奥へ戻って行きました。

 二十数年前、わたしは神保町の小さな広告制作会社に勤めていました。終電で帰るような毎日でしたが、仕事は楽しくやりがいがありました。
そして、今日はお昼が抜けられず、落ちついた頃にカラサワさんがランチに誘ってくれました。

「あれ、めんようというんだよ」
ほら、というカラサワさんの視線の先に目を向けると中華風の置物がいくつか飾られていました。
福の字が逆さまになっている壁掛け。
猫と龍どちらにもみえるような置物。
中華風の服を着た子供の人形はおどけた格好をしています。
「どれがめんよう?ですか?」
聞きながら、頭の中で漢字にしてみます。
綿羊 面妖 面容 麺様 面陽 メンヨウ.....

どんな字ですか、といいかけるとカラサワさんは
「めんようだよ、めんよう」
そして、すこし声を小さくして話を続けました。

「数十年前は夫婦がこの店をやっていたのだよ。そこに、旦那さんとややこしい関係にあったさっきの......あのおばあさんが乗り込んできたらしいんだ。
もちろん、そのときはまだおばあさんじゃなかったけどね。一悶着あったようだけど、いつのまにか3人でお店を切り盛りするようになってたな。そうしてるうちに旦那さんが倒れて、女性ふたりきりになっちゃった。その後も長いことふたりでお店をやってた。でね、数年前に奥さんが亡くなって途中でやってきたあのひとだけがここに残ったんだ」

なんだか小説みたいな話ですね、とわたしは言い(めんよう)についてまた尋ねようとしました。

「決まった?」
おばあさんが水の入ったコップをふたつ、カラサワさんとわたしの境界線に置きました。
わたしたちは怒られた時のように姿勢を伸ばして、目に入った適当なものを注文しました。

五目焼きそば大盛り
天津麺 

 ひとりで作っているとは思えないほどすぐに、ふた皿がほぼ同時にテーブルに並びました。
さすがいろいろな修羅場をくぐってきただけのことはある、と感心して(めんよう)のことは一旦わすれてしみじみおいしくいただきました。
そして、それきり(めんよう)について訊けずじまいになってしまいました。

それにしても、めんようとは何だったのだろう。
謎のカケラが頭の隅に引っかかって、たまに思い出してしまいます。お店のことも気になって
地図で探したり実際に行ってみたりもしました。

コップが置かれた擦れた赤茶色のテーブル。
メニュー表の字体や
赤い蓋の調味料入れに入ったお酢
おおきなコショウ缶
日に焼けたレンガ色ののれん 
昔見た映画のように風景が思い出せます。
それなのにお店はみつかりません。
あの路地さえ、どこにもない。

 だから今でも
白昼夢をみたような......
めんような物語から抜け出せないでいるのです。

2023/12/27 かけはし岸子

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