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(1)ランタ島より

タイ、バンコクのドンムアン空港から、飛行機で1時間半かけて南下しクラビ空港へ。それから車を2時間走らせ、フェリーに乗って20分のところに、ランタ島(เกาะลันตา)という島がある。プーケットからほど近く、マレーシアの国境からおよそ150キロメートルのところに位置する。マラッカ海峡に面し、ムスリムの人々が多い。バンコクから800キロメートルも離れたこの島に、半日足らずでアクセスできることに驚く。

先日結婚したばかりの妻の会社の出張に招いていただき、私は初めてこの島を訪れた。ランタ島では、島の開発と環境保全をテーマにした企業のショーケースが開催されていて、妻の勤める会社はそのうちの一社として参加していた。会場はビーチに面したリゾートホテルで、滞在していた部屋から砂浜までは、歩いて30秒だ。イベントには20社近い企業とその従業員ら百数十人が参加し、3日間にわたりセミナーや交流会が行われた。

海岸で回収した廃プラスチックのインスタレーション
海岸での清掃活動の写真

ほとんど部外者の私は、仕事する妻を遠くに眺めながら企業の展示ブースを回ったり、部屋で仕事をしたり、海岸を歩いたりして過ごした。6月のランタ島は観光のオフシーズンで、人の姿はまばらだ。最高気温は32度ほどでそれほど暑くはないものの、風が強くスコールが降るため、海はやや濁り、波は高かった。

ランタ島の砂浜は遠浅で、場所によっては干潮時に干潟になる。私たちが訪れた夕暮れ時はちょうど干潮の時刻で、潮の引いた砂浜には無数の小さなカニたちがいた。私が近づくと、カニたちは一目散に自分の巣穴へと逃げ隠れていく。彼らは砂に付着する植物やプランクトンを食べ、吐き出した砂で直径5ミリほどの砂団子をつくる。その砂団子は、彼らの巣穴を中心に、半径30センチほどの放射線状に配置され、それはまるで魔法陣のような模様を描く。

カニたちがつくる砂団子の模様
カニたちがつくる砂団子の模様

彼らの棲息する砂浜は、海水を含んで柔らかく、また太陽光の熱エネルギーをたっぷりと蓄えて生温かく、その上を裸足で歩くのはとても気持ちが良かった。海はどこまでも浅く、歩いて入り込んでも水面は常に膝の高さほどだった。

少し移動すると、なぎさが数百メートルも先に見える広大な干潟があった。水面は鏡のように青空を映し、熱帯のスコールが、時折その青い空の間を縫って突然やってきた。その時は、水面に打ちつける大粒の雨が、海の方から近づいてくるのが見えた。その雨が私たちをずぶ濡れにして過ぎ去ると、あとには空気中を浮遊する微細な雨水の粒子が太陽光を散乱させ、干潟を光色に輝かせた。

干潟に遊ぶ3人の子どもたち
カニを探す私

ランタ島の砂浜・干潟を歩いた記憶をたどりながら、私にはあの場所が、海と陸のはざまに現れる、バッファー(緩衝地帯)のような空間であったように思えてきた。

そこでは海と陸がせめぎ合うのではなく、ある一定のリズム--潮の満ち引きや季節の移ろい--に支配されながら、両者が混淆する。そのはざまに、生き物たちが棲まい、人間が探索する余地が生まれる。それが断崖絶壁のなぎさであったなら、そこでは海と陸が激しくせめぎ合い、両者が混淆する余地はないし、いわんや人間が歩くことは難しかっただろう。

砂浜・干潟に訪れる私たちもまた、観光シーズンというリズムに支配されているといえるかもしれない。もっというと、私たちの人生は、仕事や他者との関係など、さまざまなリズムに縛られながら、一つの場所や関係性にとどまることなく、そのはざまを移ろいゆくものであるように思う。その目的地、いや寄港地の一つに、島の砂浜・干潟がある。

漁民たちの小舟

島の砂浜・干潟は、バッファー(緩衝地帯)であるがゆえ、移ろい、たゆたい、漂泊する私たちの人生にとっての、一時的な、それでもなお錨をおろすことのできる、寄港地であるのかもしれない。そのように考えると、漁民たちが砂浜に繋いでいた小舟--時がくればまた海洋に繰り出すであろう小舟--が、私たち1人ひとりの人生に、重なって見えた。

島とその砂浜・干潟をこのように考えることは、「観光地」という、やや浮ついた見方から少し距離をとり、島の砂浜・干潟への認識を再構成しようとしてみることでもある。

(2)に続きます。

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