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しょぼい自分で生きていく

🐾自分を諦める。

世の中では「自分を受け入れる」と表現しますが、自分はポジティブに捻じ曲げて言うのは嫌いなので、ありのままに表現すると「自分を諦める」の方が近いと感じています。

自分が育った家庭は、両親が喧嘩しているか父が仕事で不在かしか無かったので、今でも家庭の意味がよくわかりません。

当然人間関係も分からないので、周囲の人が当たり前と考えている「人はこう考える」を頭では知っているけれど実感がありません。

そんな家庭でも父は仕事を全てに優先する人だったので、徐々に収入が増えて一時期は豊かな生活を送りました。

が、金の使い方を知らないのでパチンコ等で散財して結局借金を残して死にました。

自分が生まれた当時のことを両親に質問したことがありますが、記憶が曖昧で、問題がある状態からスタートして徐々に良くなっていったということだけ分かりました。

そんな中で作られた価値観は、ありきたりで平凡なものです。

性格は考え事が好きで、人から聞いた話の矛盾を見つけて話を掘り下げるのが好きだったので、一部の人に好かれ、大勢からは浮いていました。

また、凡庸なやつが人と違うことを言っていていると、調子に乗っていると言って絡んでくる奴がいて、小・中といじめられました。

そんなどこにでもありそうな負け組人生でも、少しずつ改善して未来を夢見ていた時期もあったのだけれど… 最後に両親の破綻に巻き込まれて全てを失ったい、今に至ります。

自分に価値が無いことを受け入れたくは無いけれど、地に足が付いた発想をするために、現状を渋々受け入れて区切りを付けるのが今日の目的です。

🐾運の問題なのか、努力の問題なのか

これまた茶番に見えてうざいのが、不幸は全て運のせいなのか、努力不足のせいなのかという二元論です。

両方入り混じっているので議論しても意味がない…

同じ理由で嫌いなのが「離婚した理由は?」とか「どっちに原因があったの?」というやつ。

何でも細かな情報を削ぎ落として、理解しやすくするから真実が見えなくなると考えています。

離婚の話をするならば、何があったのか聴いてただうなずいてくれるだけで癒やされるのに…

🐾愚かな人なんていないということ

少し人と関わって分かったのは、両親が特別に愚かだったわけではないという事です。

世の中の大多数の人は楽観的で、どちらかといえばポジティブ寄りの生き方しているので、「最悪の事態を考えて、一つでも回避策を実施しておこう」なんていう後ろ向きな生き方をしていないのです。

自分はかなり慎重なので、家族が楽観視しているときも「未来永劫続くことなんてない」と考えて別の可能性を探っていました。

その御蔭で、今なんとか生き延びていると思っています。

一方で慎重過ぎるので「心を開かない、信用できない、ノリが悪い人間」という見られ方をして、あまり人間関係が広がらない事も理解できました。

過去に幾つかのコミュニティに参加してみましたが、結局人間関係が深まることはなく、傍観者になりそして退会しています。

自分が信じているのは、論理的であることと全てが可能性に過ぎないこと、それと善悪はバイアスの一種だということです。

🐾能力のデコボコは不幸か

大小の差はあるけれど、誰もが能力のデコボコがあって、うまく行っていない事を抱えています。

たまたまデコボコが世の中に適応しやすい内容だった人は、楽に成功していたり、適応しにくい内容だった人は、苦労した上に、二次障害を発症したりしています。

自分はこの「差があって不公平だという気持ち」を「考え方の誤り」や「努力不足」とは思っていませんし、不幸とも思っていません。

何が正しいかを考えることで、「自分は間違えているから苦しんでいる、だから正すべきだ」と自分を責めてしまうことの方が、リスクだと考えています。

受け入れるのは、善でも悪でも、幸、不幸でもないけれど、別の次元で嫌なこと、好ましいことが存在するという考え方だと思っています。

🐾苦しみや努力は、必ず報われるのか

努力や苦しみに結果が比例しないことも受け入れるしかありません。

生まれつき恵まれている/いないの違いがあることも、受け入れるしかありません。

運が悪いと感じる出来事があったとして、苦しんだり、乗り越える為の努力をしたからと言って、それが後で報われるとは限らないからです。

行動には結果が伴うだけだと考えています。

努力とはある行動を『自分の中で』~を叶えるために嫌な感情を抑えて実行する。と決めているだけです。

報われるとは『自分の中で』~が望みと決めて、それ以外の結果が出たときに「報われなかった」と切り捨てているだけです。

さらにタイミング(運としか言いようがない)によっては正しく行動しても結果が出ないことがあります。

この努力したという気持ちと、報われたいという気持ちは、望んだ結果が得られなかった時、自分を責める要因になってしまいます。

※内容としてはラスハリスさんの「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない」ですねw

ここ2年あの本の意味を考えていたので、影響を受けているのかもしれません。

だからポジティブとネガティブをフラットに見ようと考えています。
「ネガティブが好きですが、なにか?」といったところですw

🐾比較する人に用心を…

自分は、苦しみの大きさを比較したがる人、報われた結果の大きさを比較したがる人には用心するようにしています。

比較したがる人は、比較によってマウントをとり他人を操ろうとする、マニピュレーターが含まれていることを知っているからです。

それと、比較したがる人の多くは、問題解決するつもりがない事も知ってしまったので、関わる時間が勿体ないと感じてしまうからです。

🐾なぜポジティブが流行るのか

簡単に言えば、「好ましいこと」と結び付けられてきたから、バイアスが掛かっているだけ。

進化の過程で悪が罰せられ、善が称賛されることがプラスに働いたので、脳がそのように進化して、今度は人を制御するときにそれを利用したので、相乗効果で「ポジティブ=良いこと」と結び付けられただけに過ぎません。

砂糖漬けビジネスもそうですが、本能を利用した依存症ビジネスには気をつけたいものです。

🐾結論

結論があるならココだけ読めばいいやと思わないでくれると嬉しいです。
ここにはまとめとして単純化された内容を書くのでw

・これからは目的に直結する行動だけをしようと思います。
・『努力』『報われる』という幻想を捨てたいと思います。
・世の中には、自分にはどうにも出来ない、多くの「嫌なこと」と少しの「好ましいこと」が存在すると受け入れようと思います。
・恵まれない人にやさしくなろうと思います。
 (自業自得という考え方もポジティブの罠だと思うので)

これを実行すると、望んだ結果が出る行動をしていないことは全て先送りになります。

だけど優先順位付けと目的達成行動の衝突は、平凡な人間にとっては大きな問題で、本当の問題はこれだと考えています。

世の中を見回しても、まだこの事は試行錯誤中のようですね…

一時期、誰もが口にしていた、TodoやGTDは未完了のロングテールになる事が分かっていますし…

限られた時間の中で賢く選択して行動していくしか無いようです。

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