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始まりにはいつも溜息が出ちゃうな

こんにちは。けるんと申します。
知ってる人、お世話様です。
知らない人、初めまして。

最近年齢的な区切りを迎えたり、他にもまぁとにかく考え込んではドツボにはまることが多いので、こうして自分の趣味とか、そのとき感じたこととか、この便利なnoteってモノを使って、自分のことをもっと“言語化する”という作業をしてみようと思います。
別に一念発起というほど気合入ってないです。文章力も自信無いですし、途中で辞めちゃうかもしれない。でも、こうしてインターネットの海に書き留めるのは、少しでも他人の目に触れる可能性があった方が続けられそうだと思ったからです。

さて、前置きはこのあたりで。
まず私の“人となり”を、簡単に記しますね。

Twitter(現X)を続けて十余年、東方projectから始まりイラストやら同人制作やら、キャンプに釣りにサバゲーに、何でもかんでも趣味に手を出しては離れ、近年ではクラブでDJ(ディスク・ジョッキー)なんかをやっている所謂オタクと呼ばれる一般市民です。DJのジャンルはアニソンとUK HardcoreをメインにProgressive Houseとかもたまにやりますが、心の芯にはロックがあります。なんだそれ。
主にBUMP OF CHICKENとELLEGARDENとGRAPEVINE、amazarashiで育ちました。音楽大好き。

クラブでのDJも始めてかれこれ5~6年経ち、オフラインでの繋がりも増えて楽しかったり苦しかったりしています。改めてリアル世界でハンドルネーム(DJネーム)で呼び合うのすげーなって思います。
最近ではコロナ禍なんかもあり、イベント休止やメンタルに起因するらしい体調不良などの理由から動きはかなり減ってしまいましたが、それでもちょこちょこ声かけて貰えたり、現場でやらせて貰ったりしているので、実のところ一番続いている趣味なんじゃないでしょうか。ガキの頃からギターは触っていますが、それに次ぐ長さで続いてる(ギターは触ってるだけで本当に下手くそ)。
やらせてもらえる環境があることに本当に感謝してます。

インターネットリテラシーに配慮した上で自己紹介するとこんなもんでしょうか。こうしてまとめると“おろし生姜ポン酢”ぐらいアッサリしててワロタ。


ヤバいね。
既に「こんなこと書いてどうすんだろうな」と思いながら書いてる。マジで。


「え、何?なんでこのおじさん突然インターネットで自己紹介始めたの?」


って自分で思ってる。
駆け出しからよくない。
保険として「興味なければ読み飛ばしてね!」と書こうと思ったけど、それって「興味あったら読んでね!」の裏返しだと思ってやめたんだよ。
こういうモノの始め方って本当に分からん。でもね、表現することの始まりとは常にそういうものなんじゃないかなとも思う。最初の「私、やります!」は傍から見れば「え、誰?突然どうしたの?」なんだろうな。それでも続けることで共感や支持を得ていくんだろうな。

そう考えると、こんな素人の雑記でもたまたま誰かが読んで「面白いな」と感じてくれたらそれはとても嬉しいことだね。

うん、そういうのがいい。
ほんと自分のユーモアの無さに毎日デカい溜め息ばかりついてますが、面白くなるように努力しますね。
あと、できれば面白かったしるしに"いいね"とかも貰えたら嬉しい。そうだね、今のうちに包み隠さず自身の承認欲求を認めておこう。
いやぁ、自分語りして“いいね”もらえたら気持ちエエんだろうな~。ぜひ欲しいところ。気軽な“いいね”お待ちしております。


とここまで書いたところで気付いてしまった。
この感じ、つまりアレだ。

「昨今の風潮により飲み会等で説教する相手を失った悲しきおじさん」の欲求な気がする。

自分語りを「はぇ」とか「すごーい」って聞いてくれる人が居ないから、それをインターネットに求めているのかもしれない。悲しすぎる。

でもね、インターネットに放流したほうがマシな気がするよ。世の中にとっては寧ろ良いことなのかもしれない。君も嫌だろう?ずーっと「いや俺はねぇ……」を対面で延々聞かされるの。貴重な週末に、大して美味くもない飲み屋とかでさ。だったらインターネットに放って、運良く共感の反応を貰えたりした方がお互い幸せじゃん。

そしてもうひとつ気付き。
おじさん達に限らず、古来から人はそうして持論や信条を他者に発信することで自分の立ち位置や人間性、キャラクターとか、生きる上での“軸”みたいなものを確かめていたのかもしれないね。だからこそ師事したり、派閥や宗教や国家が生まれたんだろうな。知らんけど。突然スケールでかくてワロタ。

Twitter(現X←クソ面倒くさいなコレ)もそうだよね。とにかくぶつかり合ってる。毎日どっかで爆煙が上がってる。けどそれは人それぞれの主張があって、それにより自身を肯定したり、自分の“かたち”や生き様を確認したいからなんだろうな。見失いたくないんだろうな。
その上で他者から共感を貰えれば、それが更なる自己の肯定に繋がるわけだし。
それにしても最近ほんとに極論は多い気がするけどね。

私も、私を確かめるために、こうして言語化する作業をしていきたいと思います。学も語彙も乏しいから、頭の良い人達から見たら滑稽に見えてしょうがないと思うけど、それでもやってみようと思います。
何か世の中を変えようとか、誰かを正そうとか、出来たら凄いけど無理だと思ってます。自分のために書きます。

だから、興味があったら覗いてみてね。
厳しい言葉は泣いちゃうからやめてね。

それでは、始めてゆきます。
どうぞよろしく。


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