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舞台で輝く、モテる、良く生きるための方法はみな同じ

広い舞台を隅々まで照らすまばゆい光を浴び、足首までの長い"ロマンティックチュチュ”をなびかせて、"ジュッテ"や"フェッテ""パ・ド・シャ"などのポーズを流麗にこなし、拍手を浴びるバレリーナたち。

彼女たちはいずれも街のバレエ教室に通う、ごく普通の十代の女の子ですが、発表会のこの日ばかりは、誰もが別人のように大人びて美しく見えます。

親しくしているバレエスタジオの先生にお願いされ、私も発表会の裏方仕事を手伝ったのですが、舞台袖から見るステージの光景にはいつも心を奪われます。


もちろん、その発表会で踊るのはゲスト出演者を除き素人のダンサーですし、全員が揃って素晴らしいパフォーマンスを見せるというわけでもありません。
けれども贔屓目抜きでもステージ上のダンサーたちの姿から目が離せないのは、彼女たちが全精力をそこに傾け、今この瞬間を生き切っているからです。

だからこそ、合わせるべき音がずれても、"ピルエット"の着地にふらついても、伸ばした指先に硬さがあっても、そんな些細なことは気にもならないほど、皆が強い輝きを放っています。


この感じをどこかで見聞きした気がする、と考えていて思い出したのが、1945年のフランス映画『天井桟敷の人々』のワンシーンです。

19世紀のパリを舞台にしたこの映画の監督はマルセル・カルネ、脚本は詩人ジャック・プレヴェール
ドイツ占領下にありながら、3年の歳月と映画人の威信をかけて作り上げた世紀の名作で…と私はこの映画のことなら際限なく語れますが、ここはその気持ちを抑え、ヒロインのガランスが口にする、ひとつの台詞をご紹介するに留めたいと思います。


ガランスは浮草のように生きる芸人で、その知性や洒脱さ、美貌のため、役者から犯罪者、貴族までもが等しく彼女を熱愛します。
そのガランスが、自分を崇める男性に対し、自らの魅力の秘密について微笑しながら言うのです。

いきいきしてるからよ


ガランスを演じた名優アルレッティはこの時40代半ばですが、男性たちをことごとく虜にし運命を狂わせる"運命の女ファム・ファタル"ぶりも板につき、こんな人が目の前に立ったら理性を失うのも無理はない、という説得力を全身から放ちます。

その上、人が自分に惹かれるのは単なる外見上の美しさのためでなく、「いきいきしているから」だと言い切るあたり、自己認識の確かさと、人間の本質を見抜いていることを感じさせます。


あえて失礼な言い方をすると、世の中には、顔立ちの整った美男美女であるにも関わらず、どこか物足りないような印象を与える人がいます。
その逆に、決して美形ではないにしろ、人を惹きつけてやまないような、あふれる魅力を備えた人も。

私はその理由について、ガランスの台詞で説明できます。
重要なのは、いかに「いきいきしている」かです。

それはエネルギーと集中に関わるもので、どれくらい"今ここ"にいるかによって、生じたり減じます。


たとえば、意に染まないことをしなければならなかったり、興味のない場所に居続けたり、好きではない人と一緒だったり。

そんな時に、いきいきして活気のある人などいないでしょう。
むしろ感覚の回路を閉ざし、早くこの時間が過ぎ去ればいい、どこか別のところに行ってしまいたい、違う人に会いたい、などと考えて現実逃避し、とうてい今ここに集中したり、楽しむことは叶わないはず。

心ここにあらずの状態で魂をよそへ飛ばしている時に、いきいきとした生命力が発揮できるわけがありません。


けれども今ここに集中し、完全にその場に没入する時、その人には、外側からもとらえられる、はっきりとしたオーラが宿ります。

それはステージに立つ若きバレリーナにも、ガランスにも、一心にものを作る職人さんにも、笑い声を上げ公園を駆ける子どもたちにもあるものです。

ある瞬間に集中するとはその瞬間を十全に生きることであり、いきいきしている、というのは生命力が花開いている状態だと私は考えます。


以前『ふたつの動き』という話にも書いたのですが、人間が動きのあるものに惹かれるのは生物としての本能であり、身体や心が動いている、いきいきとした人に目や心を奪われるのは当然です。

そして、いきいきとしているとは、良く生きていることと同義語だとも感じます。


而今にこん

日日是好日にちにちこれこうじつ

どちらも"この瞬間をよく生きる"という意味の禅の言葉の通り、流れていく時の一刻一刻を心底から味わい、その時間を生き切ること、限りある人生の時を大切に扱うことは、人としての理想の状態です。
そんな人に周囲が魅了されないはずがありません。


だからこそ、舞台で輝くにも異性にモテるにもよく生きるにも、大切なことはみな同じだと言い切れます。

もっと言ってしまえば、輝きやモテは副産物のため、あえてそこに着目せずとも、全ての時間を取りこぼすことなく、貴重品のように心を向けることが最も重要なのではと、舞台袖から甘美なワルツを踊る妖精たちを眺めつつ考えました。


とは言いつつ、私も、いきいきした態度とはほど遠い、どんよりと曇った状態で過ごしてしまうことは多々あります。

どうやらそれは外的条件よりも、自らの心持ちによるところが大きいらしい、と最近ようやくわかってきたため、新しい年こそは瞬間瞬間、日々の生活を愛おしみながら過ごしていけたらと願います。
今年の冴えない自分には、心の中で小さく謝りながら。

そしてどうかみなさまにも、いきいきと過ごせる最高の年が訪れますように。







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