旅へのいざない
「次の休みにドライブはどう?」
「久々に車で遠出しようか」
これはもちろん"予定を決めずどこか楽しいところへ遊びに行こう"というお誘いですが、こんな魅力的な誘い文句が、ほとんど日本でしか喜ばれないと聞いて驚きました。
では、もし他の国の人たちが同じ台詞を言われたならば?
インドの場合。
「正気?どこも大渋滞なのに」
カナダも。
「混んだ道を休日まで運転したくない」
ブラジルなら。
「街を出てもずーっと農場しかないけど」
アメリカだと。
「目的地もルート設定もなし…危険地域に入ったらどうするの?」
イタリアでは。
「行き先不明って、何考えてるの?犯罪?」
思わず笑いそうになりますが、このシビアさこそ現実です。世界規模では、車でふらりと遊びに出るという行為自体が、信じがたい愚行と映るようなのです。
ではなぜ日本だけが特殊なのかを考えると、まず思い浮かぶのは安全性の高さでしょうか。
次に交通事情や道の良さ、どの土地も風光明媚で、沢山の美味しいものに出会えることも関係がありそうです。
最近になって車を新しく乗り換えたこともあり、私もドライブに出かけるのは大好きです。
運転席でもそうでなくとも、それぞれに違った良さがあり、次々に移り変わる景色を眺めているだけで心が晴れます。さらに、歌ったり、音楽を聴いたり、一緒にいる誰かと話し込んだり。
そんな楽しみがあるために、少しくらいの渋滞や長距離移動もさほど苦にはなりません。
調べてみると同意見の人は多いらしく、どこかへの移動というよりは、むしろ車中で過ごす時間こそが目的である、という明言もありました。
鉄道好きの"乗り鉄"の感じでしょうか。
そしてその際、一人で運転しているのでなく同乗者がいるならば、そこで最も重視されるのは相手とのコミュニケーションである、という研究結果も見つけました。
イタリアではドライブデートにさほど人気がないらしく、その理由は
「せっかく恋人と一緒なのに、運転中はこちらを見てくれないし、悲しくつまらない」
ところが日本のカップルは正反対で、目を見交わさないことを苦にする声はほぼ見当たりません。
それどころか、恋人同士だけでなく友人や家族連れでも、車の中にいる方が普段よりリラックス出来、他の場所より話が弾むというのです。
これに納得できるのは"横並びで相手はすぐ隣にいるのに、視線は交わらない。だからこそ自由に話ができる"という構図が、いかにも日本的だと感じるからです。
たとえば縁側での光景や、いくつもの日本映画の名作も連想されます。
最も有名なところでは、小津安二郎作『東京物語』のクライマックス。
義理の親子である二人が、互いに孤独を胸に秘めつつ、静かに会話をする。あの名シーンでも、二人は間近に隣り合うものの、互いの目の奥を覗き込むようなことはしません。
それでいて二人ともが相手の心の内を確かに感じ、完璧な心情の交換がなされるのです。
平安朝のやんごとなき御仁たちは御簾を隔てたうち外で言葉を交わしましたし、武家の世でも相手の目を見据えることは御法度でした。近代に入ってからも、人の顔をまじまじと見ることが失礼に当たるという認識は変わっていません。
そんな歴史からもわかるように、話している時は相手の顔をしっかりと見るべきだ、と一概に言えないのは、日本人のコミュニケーションの特性からすれば当然です。
そうであるなら、日本人がドライブを通して親睦を深めるというのも、いかにも理に叶った在りかたのかもしれません。
もうひとつ興味深い話があり、子ども時代に家族でドライブをした経験のある子どもは、そうでない場合より約四割も幸福度が高くなるそうです。
脳発達の専門家によれば、これは知的好奇心が満たされること、皆で時間と経験を共有できることが原因であるといいます。
私が考えるに、おそらくこれは子どもに限ったことではありません。
どこか日常とは違う場所に出向き、その体験を楽しむことが良い効果をもたらすのは、大人もまた同じなはずです。
可能であるなら、誰かとの気ままな遠出は、それだけでたくさんの恩恵を得られると思うのです。
だとするとドライブに限らず電車旅や飛行機旅行、あるいは並んで歩く散歩でも。
始終顔を見合わさずとも、一緒に笑い、話すことは、一様に幸福感を与えてくれる機会だと言えそうです。
普段、私たちは何ごとにも目的意識を持つことを良しとされ、合理性や最短距離の達成を意識し続けています。
それも有益ではあるでしょうが、時にはあえて逆を行き、無目的に、気まぐれや偶然に任せてみる。
そんな風に過ごしてみれば、能率的な成功以外の、思わぬ成果が得られるかもしれません。
時折のんびりと開放的になることは、忙しすぎる全ての人にとって重要であり、もっと言えば、心身を健やかに保つための養生法にもつながります。
「人が旅をするのは、到着するためではない。
旅自体が楽しいからだ」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言うこんな心持ちなら、どこを目的地に選んでも素敵でしょう。
そろそろ絶好の外出日和です。
どこかへ遊びに行きましょうか。
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