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6月の詩

時には6月にも雪が降り
時には太陽が月の周りを巡る

あなたが探しているものは
時にはその目に映らない


1990年代を代表する曲のひとつ『Save The Best For Last』には、こんな印象的な歌詞があります。
人の心と運命の不思議さを描くこの曲では、有り得そうもないものの例えとして”6月の雪”が上げられます。

確かにこの月に空から降るものは、氷の結晶たる白雪よりも、潤いある水の雫の方がしっくりきます。


◇◇◇


19世紀末のヨーロッパにて、放埒な人生を送った詩人ポール・ヴェルレーヌは、獄中で書き上げた詩『巷に雨の日降るごとく』で、メランコリックに雨の情景を謳いました。


巷に雨の降るごとく

わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

やるせなき心のために
おお雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!

消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
このそのゆえの知られず。

ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みのなきに
わが心かくもかなし。


◇◇◇


明るい陽射しが人を戸外に誘うとすれば、雨は人を戸の内にひきこもらせ、いきおい内省的にさせるものかもしれません。

アメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローもまた、或る雨の日のそんな心情を、眼の前の情景や己の人生と結び合わせて『雨の日』に綴りました。


冷たく、暗く、憂鬱な日。

雨は降りしきり、風は休むことがない。
朽ちかけた壁にしがみつく蔦は、風の一陣ごとに枯れ葉を散らす。
暗く憂鬱な日。

冷たく、暗く、憂鬱な生。
雨は降りしきり、風は休むことがない。
崩れかけた過去にしがみつく想いは、風の一陣ごとに希望を散らす。
暗く憂鬱な日々。

静まれ、悲しき心よ!嘆きを止めよ。
雲の向こうには陽が輝いている。
この運命はあらゆる人が通る道
誰の人生にも雨の日はある
暗く憂鬱な日も訪れる。


◇◇◇


それでも、雨は常に同じ調子で降るわけではなく、数多あまたの個性を備えています。
それを証拠に、日本語には雨にまつわる四百以上もの言葉があります。

五月雨さみだれ小糠雨こぬかあめ紅雨こうう緑雨りょくう氷雨ひさめ驟雨しゅうう凛雨りんうなど、季節感と情感に満ちた雨の名は、古来より人々がいかにこの自然現象に心を寄せてきたかを伝えるようです。


◇◇◇

何処とも知れぬ灰色の街、荒涼とした大地に降る寂寥をまとった雨の他、静かでやさしい、しっとりと空気に溶け込む雨もあります。

決して奇をてらわずに"からだから出た詩”だけを半世紀にわたり書き続けた新川和江は、そのような雨を『雨夜』にて描きました。


ずっと降っていたのにちがいないのに

就寝の時になって 
はじめて雨の音に気づく 
ベッドに身を横たえて 
しみじみと聞いている 
雨がわたしの中に入ろうとしているのか 
わたしの心が 
雨の中へ 
出ていこうとしているのか


◇◇◇


かように深い思いを掻き立て、人知れぬ黙想の機会さえもたらす雨。
水滴を見つめ、その音を聞き、五感で雨を感じるうちに、時に苛立ち、悲しみ、歓びなどが、心に波紋のように広がります。

それは人間もまた、水によって出来上がった生物である所以ゆえかもしれず、体内の水が空から落ちる水と呼応する時、いやおうなく気持ちが揺れるのではとも思えてきます。


◇◇◇


『雨の日』の作者ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローには六人の子どもがおり、中でもその闊達さから"私の最愛の逃亡者"と呼んだ長女アリスを溺愛しました。
芸術と自然を愛し、優れた教育家としても知られる彼女は、父ヘンリーの『雨の日』への返歌として『雨の後』という詩を書いています。
その詩によって、嘆きに満ちた雨は晴らされ、地上に射し込む光が再び希望を呼び覚まします。

この詩のように、雨に洗われたすがしい世界が、どなたの前にもひらけますように。


雨は上がり

雨雲は去り
太陽は輝きを取り戻す。
丘に谷に
虹がかかる。
木々は新緑に輝き
花々は麗しい顔をのぞかせる。
鳥たちは喜びの唄を歌い
小川のせせらぎは軽やか。
草の葉は生き生きと茂り
大地は微笑む
雲と嵐は過ぎ去った。
光に満ちた素晴らしい朝
かくも美しき雨上がりの光景よ!


(『巷に雨の降るごとく』堀口大學訳
他 ほたかえりな訳)




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