見出し画像

若さの特権

Today is the youngest day in the life.

── unknown


見上げる天井にはスワロフスキーのガラスを散りばめた豪奢なシャンデリア。
ステージ上で黒光りするグランドピアノと、精緻な花鳥画に彩られたチェンバロ。
ゆったりと座り心地の良い暗紅色の座席に、爪先を引っ掛けそうにふかふかとしたカーペット。


居るだけで深い満足感に浸されるようなその場所は、室内楽専門の小さなホールです。

コンサートの開演ベルを待つ客席には高揚した雰囲気が満ち、私もそこに混じってパンフレットを眺めていると、すぐ後ろの方から賑やかなやり取りが聞こえてきました。

集っているのはお年を召した方達らしく、盛んにこの場での再会を喜びながら、一人の女の子について話しています。

彼女はおばあさまに連れられてきた中学生だといい、演奏会は初めての様子です。


この場にも周囲の人々にも気後れしているらしい彼女に対し、女性たちは口々に声を上げます。

「なんて可愛らしい!」
「あなたみたいな人に会うと嬉しくなるわ」
「若い人は気持ちがいいわね」


そのあまりの褒めそやしぶりに私はひそかな笑みを禁じえず、同時に、振り向いて直接その情景を目にしたいという欲求に勝てません。
 
さりげなく視線をやると、女の子は恥ずかしげな表情で小さく首を横に振り、その隣では祖母らしき女性が微笑んで彼女を見守っています。


これは、私にはある意味おぼえのある光景です。

古典芸能が好きな私は、年に何度か最寄りの能楽堂にも足を運ぶのですが、そこで自分より下の世代の人に出会うことはほぼありません。
必然的に私が最年少の観客となり、そのせいか見所けんじょ(客席)で隣り合った方などから、しばしば声をかけられるのです。


そしてそこでは、まるで決まり文句のごとく、こんなフレーズが登場します。

「若いのにえらいね」

他にも、素敵、素晴らしい、賢い、などの場合もあり、いずれも“えらい”と同様、面映おもはゆく返答に困る褒め言葉です。


私は好きで能楽を観ているだけなのですが、その場に“不釣り合い”な年齢の人間が居るだけで、否応なく感心を誘うのかもしれません。

合わせて小さな贈り物を下さる方までおられ、これまでに和菓子、キャンディ、変わったところでは白檀の匂い袋や、空中展望台の入場券をいただいたこともあります。

私が実年齢より幼く見えるせいか、まるきりの子どもさながら、皆さんが気にかけてくださるのは申し訳ないようなありがたいような気分です。


同時に思い出すのはバルザックのある作品で、立身出世を夢見て社交界に打って出ようという青年が、エレガントな貴族女性に相談を持ちかける場面がありました。
その女性は親切にも、青年にこんな手紙を書き送ります。

色々と悩み事もおありでしょうが、ご心配には及びません。
なぜなら、あなたはとても若いからです。
若いというだけで、人は周囲に気に入られるものなのです。
失敗を恐れず、存分に才気を発揮なさいませ」


コンサートホールの中学生の女の子も、能楽堂での私も、きっとこんな理由からの特別扱いだったのでしょう。
それが若さの特権のようなものだと考えれば、過ぎた有り難い扱いにも納得できます。


こういった場面に限らずとも、若いというだけでちやほやされ、大目に見られ、許されたような経験は誰もがお持ちのはずです。

生物がことさら子どもらしさを際立たせて周囲の保護心を掻き立てる“ネオテニー”さながら、若さは時に保護膜の役割を果たします。


私も、もっと早くにこの事実に気づいていたかったと思います。
自分にも、有益なアドバイスで勇気づけてくれる才女が味方にいたら良かったのに、とも。

そうしたら、恐れずにもっと色々なことに挑戦できたかもしれません。


けれど、時すでに遅く、そんな特権的な年齢は過ぎ去ってしまったのでしょうか。

若さを失うのは心の痛むことであり、いくら気持ちは若々しくとも、後期高齢者の自分を鏡で見るのは忍びない、そうおっしゃる知人もいます。


それでも、外見や肉体的な機能は別にして、観念的で固定化されない、柔軟にとらえられる若さもまた存在します。

それを証明するようなお話が、沖縄のある“おばあ”が語っていたこんなエピソードです。

「私も若い頃はおてんばでね。よそで友達と飲んだはいいが、家まで帰るのが面倒で、つい道端で眠ったりしたもんさ」


若い女性が大胆な、と思えば、おばあの言う若い頃とは、なんと70歳過ぎを指すのです。
そして、90歳手前の今はさすがにそんなことはしない、という高笑い。

思わず頬がほころぶようなお話であり、年齢の固定観念がするするとほどけていくような思いもします。


90歳の自分から見れば確かに70代は未熟で若く、それよりもっと年下なら、子どもと変わらないかもしれません。

残りの人生で今日が一番若い

こんな有名な格言もあるように、若さは数字や見た目、社会通念で決められるものでなく、もっと柔軟に扱えるものでもあります。


それならば、たとえどこかのホールで周囲から褒めそやされることは無くとも、もっと気楽に、無謀になっても良いのでは?
失敗も構わず、どんどん新しいことに挑戦しましょう。

だって、ついに寿命が尽きる時から振り返れば、私たちはいつもまだまだ若いんですから。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?