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知性なくしてカレーなし

あなたの舌に「私は知りません」という言葉を教えなさい。

──タルムード


人の思い込みというものはやっかいで、私の友人がつい最近、仕事先で思わぬトラブルに見舞われました。

それは連絡違いから起こった不幸な事故だったのですが、そのせいで友人が手間暇と心を込めて納品した品がほとんど台無しになり、先方からの謝罪はあったものの、二度と取り返しのつかない事態となりました。
それもこれも、小さなミスの積み重ねと、幾人もの人によるささいな思い違いによるものです。


友人は激しく動揺しており、夕食のためのお店に向かいながら、私たちは答え合わせのようにその顛末を話していました。

今回は相手方の人たちが、それぞれに勝手な自己判断で事態を進めた上、連携も上手く取れていなかったことが災いしました。つまりは、皆が他の何より自分の判断を正解と信じ、確認の必要すらないと考えてしまったわけです。
人は誰しも、どこかでそんな風に自身の頭の良さを確信してしまうものかもしれません。


そして、友人がため息と共に私に投げたのが、こんな難問です。
「結局のところ、知性って何だと思う?」


私もそこには大いに関心があります。
古今東西、それこそ高度な知性を備えた人たちが、こぞって解き明かそうとしてきた謎だからです。

私が感銘を受けた中でも、プラトンはもちろんのこと、セネカマルクス・アウレリウスセーレン・キェルケゴール鶴見和子・俊輔姉弟シモーヌ・ヴェイユハンナ・アーレント梅棹忠夫橋本治など、錚々たる顔触れによる、あらゆる角度からの思索が残っています。

その上で私が口にできることといえば、ごくわずかで、しかも常識的なことだけです。


「知性がどんなものかはわからないけど、少なくとも知性が何かっていう問いを立てる時点で、その入り口には立ててると思う」
「そうかな?」
「だって、知性とはこうである、っていう断言ほど、知性に反目することって無くない?その瞬間に思考が膠着して、自分が"これこそ知性だ"って信じるもの以外は見えなくなるんだから」
「確かに。これって決めたが最後、その外側を容認できない状態って、最も愚かかも」


知性に不可欠な要素のひとつは想像力で、未知のもの、今はまだ理解の向こう側にありつつその翳と気配だけは見え、時間や経験など条件が揃った末に捕まえられそうなものを意識の端に留め置くことは、きわめて重要であると私は考えます。

知性とはそれらのものを感知する力のことでもあり、ぼんやりと認識できるいかにも重要なものを追っていく胆力のことでもあると思うのです。


そのためには、自分はまだ何も知ってはいないと認める謙虚さ、決して諦めることのない忍耐強さ、なおそれを捕まえられると信じる楽観性も必要です。

たとえ現時点の自分がまだ手も触れられなくとも、その一端には必ず届くという確信を持ち、そのための努力を惜しまないこと、達成を思い描きつつそこに至る過程を楽しめることも、知性のなせる業かもしれません。


そんなことを話しつつ、目指していたカレー店に到着すると、すぐさま店内の様子の変化に気がつきました。
全テーブルの上にタブレットが置かれ、それでもって料理を注文するという、新しい方式が導入されていたのです。

顔なじみの店員さんによると、今年に入って新しく始まったシステムだといい、もし操作が複雑ならば気軽にお声掛けを、とのことでした。


それでも、こんなやり方は今時のお店では珍しくもありません。
カレーの注文くらい簡単に出来るはず、と私たちは早速タブレットを覗き込み、画面上部のタグも頼りに、サラダやカレーの種類を選びました。

ところが、そのお店で必須のはずの、ルーの辛さや薬膳ソースの追加などが、どうやっても選択できません。
メニューページを全てスワイプしても、どこにもそのための画面が見当たらないのです。

そんなことがあるだろうかと私たちは散々格闘したあげく、とうとうあきらめて店員さんに声をかけました。


「ああ、お使いになるの初めてでしたか?実はこれ、こうなってるんです」
そう言いつつ店員さんは、種類ごとのカレーの画面を開くと、指を横方向でなく縦に動かしました。
すると横にしか動かないと思っていた画面の下に、ルーやソースなど細かな調整項目ページが現れました。

同時に驚きの声を上げる私と友人に、店員さんは微笑みを浮かべます。
「わからないですよね、こんなの。初めてのお客さんは、困って店の者を呼ばれることがほとんどです」
「いや、まさか下に続くとは」
「皆さんそうおっしゃいます」


「これも知性の問題かも」
店員さんが去った後、私が言うと友人も深くうなずきました。

「こういうタブレットの画面は、左右にしか動かないって固定観念があるもんね。来る前に話してた思い込みの話そのままだね」
「全部探したつもりになってたけど、他の方法を試しもしなかった」
「何度も言うけど、まさか上下方向にスクロールできるとはだし」
「こういうの、頭の堅さっていうか、地頭の鈍さを思い知らされるみたいで地味にショック」


これは意外すぎるから仕方ないよ、と友人は笑いますが、それでも私はこの少々滑稽なエピソードに今一度思いをはせてみます。

知性は想像力を担保とする。あらゆる独自的な確信を逃れ、外部に開かれていることである。
そんな推理を証明するかのような出来事が、すぐさま現実世界で具現化され、鮮やかに実証されるとは。
まるで出来過ぎに思えるような展開です。

お店の方の手助けにより、無事テーブルに並べられた〈ベジタブル/薬膳黒ソース/辛さ1〉のカレーとインドサラダを味わいながら、知性のあり方について改めて考えさせられた、思わぬ一幕でした。



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