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困るくらい便利な言葉

史跡公園の近くに暮らしているせいか、近ごろ自宅の側でも外国の方とよく行き合います。

それもただすれ違うだけでなく、道や公園について尋ねられたり、犬連れで散歩に出ると、片言ながら話が弾んだりということもままあります。

けれどついこの間、路上で一人の外国人女性からこんな声をかけられたことは驚きでした。

「Beh……Chi sei tu?」


これまでに何度か、私はロマンス諸語の独学をしています、ということを書いていますが、聞こえた言葉も確かにそのひとつだとわかりました。

イタリア語、それもどの教本にも必ず載っている、初歩的な言い回しだったからです。

訳せばこんな感じでしょうか。
「えっと……誰だっけ?」


それは私も知りたい、と思います。
観光客らしいその女性とは、間違いなく初対面のはずですから。

Chi è leiあなたは?」
笑って聞き返すと、その人は急に我に帰った顔つきになり

Giapponese日本人?」
Siそう

自分の勘違いに気づいたその人は軽く肩をすくめて笑い
Grazieありがとう
軽やかにそう告げて去って行きました。


イタリア語で話しかけられたこと、日本人かと驚いていたことからすると、その人の目には、私はおそらくイタリア人の誰かに似て見えていたのでしょう。

私の身内に外国籍の人は一人もいないのですが、外国の方ですか、あるいはどこかの国とのハーフですか、と尋ねられたことは幾度かあります。
私の目鼻立ちが与える印象が、いささか強めだからかもしれません。


それでもさすがに、イタリア人に間違われたのは初めてでしたし、妙な感慨深さの他、もっと感銘を受けたのが、その人が去り際に口にした言葉です。
「ありがとう」

とても自然に聞こえましたが、もし日本人が同じ間違いをしたならば、確実にこう言うのではないでしょうか。
「すみません」


人違いをし、なおかつありがとうという言葉は、私もたやすく言えそうにありません。
すみませんという、ほぼ万能の言葉ならば、考える間もなく口をついて出そうですが。

ある時、あまりにすみませんが多すぎる、と考えた私は、できるだけこの言葉を使わないようにしようと決意しました。
けれどもこれは、なかなかの難行です。

お礼の言葉がふさわしいような状況でも、呼吸するごとく自然に「すみません」と口にしてしまっているからです。


道を譲られたり何かを手渡しされた時、「すみません」で支障はなさそうですが、それよりもきちんとお礼を述べた方が良いのは明白でしょう。
相手の気分も良いはずですし、自分自身に対しても同じです。

脳科学の分野での常識として、発した言葉に最も影響を受けるのは当人であり、それは当然、人格や自己イメージにも結びつきます。
どこの誰に向けた発言であれ、口にする全ての言葉は、当人への強い力を持っているのです。

おまけに脳の特性として、頻繁に触れる言葉であるほど、それに沿ったシチュエーションを招きもします。
なじみ深い言葉が謝罪ならば謝罪すべき状況を、感謝ならば感謝すべき状況を見つけ出そうとするそうで、身の回りにそれらが頻繁に起こるよう、注意や行動を促していくそうです。


人間の認識能力にはそれぞれに異なった癖があるため、何らかの出来事が起こった際も、そこからどんな見解や結果を導き出すかは、各個人によって違ってきます。

たとえば電車の中で泣く赤ちゃんも、うるさいと感じる人と微笑ましく思う人がいるでしょうし、誰かが自分にあいさつを返さなくても、腹を立てる人と聞こえなかっただけだと気にもしない人がいるように。

どちらも起こった出来事は同じでも、そのとらえ方いかんで、気分やその後の行動も変わってきます。


普段の口ぐせは次第に内へ浸透するものですし、相手を思いやるという話以前に、まずは自分自身のため、耳触りの良い、明るい言葉を選んで使うのは大切な心がけと言えそうです。

あのイタリア人女性のような、人によっては恥じ入るであろう勘違いをもろともせず、笑ってお礼を口にしつつ去る、というのは抜群の対応に思えます。
やたらと恐縮したり気まずがって逃げられるより、こちらもよほど気分のいいものですし。


とはいえ、少しばかり外国人のように見えたとしても、しっかり日本人である私も、熟練の「すみません」遣いからそう簡単に逃れられそうにありません。

考える間もなく口にするすみませんをありがとうに換えていくには時間や練習が要りそうで、こんな時こそ『遊びの才能・2』(7/9の話)にも登場願った、男性クリエイターの遊び方の出番です。

どんな困難をもゲーム化してしまう彼のやり方にのっとって、今までつい「すみません」と口走っていたところで「ありがとう」コマンドを選び、成功させてアイテムゲット、回数を重ねてレベルアップを目指すよう空想します。


そんな風に遊びながらお礼を言う機会を探すうちに、よりありがたいことに遭遇するようになる、という好循環にも巻き込まれるかもしれません。

そうなればしめたもので、「ありがとう」ほど使い勝手良く、受け取る側の反応も抜群な言葉はない、という結果になるかもしれないのです。

仲間は多いに越したことはないため、ぜひともご一緒に。
ひとまず、ここまで長々とお時間をいただきすみませ……もとい、ありがとうございました。



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