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生きる者は死を笑う

なぜ泣くのだ。余が不死身だとでも思っていたのか

美しい!とても美しい!

バルコンバルコニー。バルコンを開けておいてくれ

これで、終わりだ

一時、死に関する言葉を集めていました。
これらは順に、フランスの太陽王ルイ14世、イギリスの詩人エリザベス・バレット・ブラウニング、スペインの詩人ガルシア・ロルカ、アメリカの拳銃発明者サミュエル・コルトの発した、今際いまわきわの言葉です。


この他にも、書き留めた古今東西の有名人の辞世の言葉はノート一冊分にも及び、なぜその頃かような情熱を注いでいたものか、今では思い出すこともできません。

おそらく「大人になるまで生きられない」と医師から宣告されたものの、どうやら成人を迎えられそうだという戸惑いが、その根底にあった気がします。
繰り返し他人の臨終に立ち会い、誰かの死を眺めながら、それを自分自身の死として仮体験していたのかもしれません。

そうでもなければ、19歳の若さでひたすら人の死に様ばかりを調べようとする理由がありません。
その頃の私が、どうやら後倒しになったらしい最期の瞬間に憑かれていたのは確かで、まるで植物採集者が用心深く稀少な葉を拾うように、私は死に関する言葉を集めてはピンで留めていました。


そんなことを長く忘れていたのに、不意に思い出すこととなったのは、去年の暮れに足を運んだ落語会がきっかけです。

上方落語の殿堂である《天満天神繁盛亭》で行われたその寄席には、あるひとつの風変わりな縛りがありました。
それは"題材ネタを死にまつわるものに限る"というものです。
実際に、仲入り休憩の際の鼎談も含め、その日の五つのはなしすべてが人の死に関するものでした。


落語会で同じテーマの噺が重なることは"根多ネタがつく"と称される大きなタブーで、しかも死という縁起の悪いテーマです。

高座に上がった落語家さんも述べたように、そのような企画は前代未聞で、ただでさえ忙しい年末に、わざわざこんな会に来られるとは皆さん余程の変わり者ですね、とのマクラは客席を大いに沸かせました。


死がテーマの落語といえば、私がまず思い浮かべるのは『地獄八景亡者戯じごくはっけいもうじゃのたわむれ』と『らくだ』です。

いずれも破天荒極まりない自由な噺で、知恵比べと物見遊山の地獄巡りや、登場した時から死人しびとの主人公のカンカン踊りかんかんのうまでもが陽気に展開されます。
半分ヤケを起こしたかのようなその騒ぎようは、無声映画サイレント時代のチャップリンの作品めいた底抜けの明るさを思わせます。


死を忌まわしさや恐れという観点ではなく、むしろ滑稽でありふれたものとして描く古典落語の世界のおおらかさは、道徳的タブーすら易易と飛び越えます。

その日の演目『死神』は死神の裏をかいて人間の生死を操り、金儲けを企む偽医者の噺ですし、『げんげしゃ茶屋』は悪戯好きの旦那が新年の祝いの席を台無しにすべく、偽の葬列を用意するという噺です。

いずれも一般的には不謹慎だと非難されかねない内容ですが、それを存分に笑う裏側には、死すらも人生におけるひとつの通過点に過ぎないのだという、乾いた恬淡てんたんを感じさせます。


ご馳走に騙された呑気者が首吊りのあった家で寝ずの番をし、最後にはご遺体と添い寝をして朝を迎える『夢八』など、女性の落語家さんが縄に見立てた手拭いを首に回して白目を剥いてみせるのですから、その様に満場の拍手と笑いが送られるのは、見様によっては冒涜含みの狂気的状況です。

けれども、人間にとって一大事であるはずの死を同じ地平に引きずりおろし、こんなものは何でもないことだとうそぶくように笑うことで、私たちは死の準備のため、一種の地ならしをしているのではという感覚がありました。
笑いながら死に向き合うことで、この世の避けがたい道理を受け入れる術を学んでいるような。

また、死に光が当たる時、裏側には必ずや対比としての生があり、今はこちら側の自分たちが、いかにして生を全うするか、問いかけられているようにも考えられます。


それは、過去に私も参加したことのある《自分供養》と本質的に全く同じ感覚でした。

そのユニークな会は、華やかに飾られたお寺の講堂に集う人が、住職のお経を聞きつつ、それぞれ自分自身の生前供養をおこなうという行事です。
世界各地の文化圏で行われる通過儀礼イニシエーションと同じ、生まれ変わりの祭礼で、自身の葬儀の疑似体験を通じ、訣別したいあれこれ、おりのように溜まったものを取り除き再生するという、力強い蘇りの儀式でした。


寄席で笑いながら死の世界に浸った三時間は、その体験と似たような効果を私にもたらしました。

死を無邪気に笑える私たちは、いま確実に生きてこの世界に存在している。
そんなことを実感していたせいか、帰り道の冬の星座の光はことさらまばゆいものでした。



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