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インフォームドコンセントのしっかりしてる因習村など存在しない(レビュー:『みなに幸あれ』)

オススメ度:★★★☆☆

 看護学生の孫は、ひょんなことから田舎に住む祖父母に会いに行く。久しぶりの再会、家族水入らずで幸せな時間を過ごす。しかし、どこか違和感を覚える孫。祖父母の家には「何か」がいる。そしてある時から、人間の存在自体を揺るがすような根源的な恐怖が迫って来る…。

 いろいろな意味で考えさせられる作品であった。

 ホラー作品において、怪異の全容を説明しないことはよくある手法ではある『哭声/コクソン』『女神の継承』などはその最たる例で、最後まで真面目に見ても結局、「誰が」「どういう」脅威なのかすら確たる見解を持てない作りとなっている。

 正直に言うと、そういう作りはあまり好きではない。ただ、この問題には付帯事項が存在する。例えば、洒落怖のような作品群で全容が解明されずに、薄気味悪く、意味のわからない感じで終わっても、それほど悪印象はない。

 おそらくだが、それに費やした時間や途中までの期待度などが関係するのだろう。所要時間10~20分程度の短編で、強い盛り上がりもなく、うっすらした怖さと嫌な感じだけ与えて、最後までカタルシスを与えずフェイドアウトする……。そういった作りなら「解明しない」作劇にもマイナス感情を覚えにくいのではないだろうか。

 さて、ここまでの前置きから明らかな通り、本作も「全容が解明されない」作りである。というか、正確には全容が解明される必要性はなくて、「こういうことなのかな?」という推測が8割くらい成り立てば十分なのだが、本作ではその推測が3割程度の確度にしかならない。うっすらとでも全容が見通せず、一応の解釈を自分の中で成立させた後でも、なお別解の存在を否定しきれない。確かに、視聴後のみんなでの議論は盛り上がるのだが(なにせ分からないのだ!)、それを抜きにすると、この後味を純粋に楽しめる人はそんなにいるのだろうか? 疑問だ。

(以下、ネタバレ)

 本作はジャンルとしては「因習村」に入るのであろう(そうでない可能性については後述)。ヒロインは父方の実家に帰った時に、祖父・祖母の様子がおかしいことに気が付く。この「身近な人が日常の中で突発的に異様な行動をする」描写には確かな恐怖があり、本作は中盤までホラーとしての強度がかなり高い。

 初めて訪れる因習村で、異様な村人に襲われるのも恐ろしいが、「身近で」「感情的な交流もあり」「昔から馴染みのある」家族が異様な振る舞いを見せるのも、同じかそれ以上に恐ろしい。「変化」があるからだ(変化には恐怖がつきまとう)。作中でもヒロインは祖父・祖母の認知症を疑っているが、実際、久しぶりにあった家族が認知症的な振る舞いを見せたら、主観的には間違いなく恐怖を感じるだろう。

 そんな祖父・祖母の家には一人のおっさんが半裸で監禁されている。しかも目と口を縫い合わされており、その肉体の一部を食材にしていたり、腹の中で味噌を熟成させているようにも見える。それが明らかになった辺りから物語が加速し、「祖父・祖母の家で一体何が起こっているのか?」「いや、村ぐるみだとしたら、一体この村に何が!??」という期待が膨らんでいく。惜しいのは、上述の通り、本作がその期待に応えてくれないことだ。

 珍しい点として、本作では「父と母(と弟)」が早めに到着する。この手のホラーでは、保護者ポジションのキャラは子供からせっつかれても、のんびりと合流することで、結局、主人公たちの惨劇に間に合わないことがほとんどだ。例えば、『HOUSE』は間に合わなかった。面白いのは『パラノーマル・アクティビティ 第2章 TOKYO NIGHT』で、親父が出張を切り上げて早く帰ってきてくれたが、一瞬で殺された。そして本作では「父と母(と弟)」は早く到着するが、彼らも"そっち側"であった。「役に立たない保護者」ではこれは新機軸だ。

 さて、ここからは本作の全体的な世界観に関して、推測を交えた説明をしていこうと思う。なんら確証はない私の推測であることは断っておく。

 おそらくだが、この地方一体は何らかの上位存在の影響下にある。その影響下では「幸福をゼロサムにする」(誰かが不幸になれば誰かが幸せになる)ルールが適用されており、各家庭は「生贄」を確保することにより相応の幸福を得ている。「生贄」由来の食物を口にすることにより、村民は上位存在の影響下に取り込まれ、また、そのルールを前提とする思考的枠組みが構築される(ヨモツヘグイのニュアンスであろう)。

 ただし、「幸福」の代償として、「生贄」を捧げなければ(誰かを不幸にしなければ)その反動がダイレクトに現れて、速やかに心身の不調が発生し、死に至る。この上位存在がもたらしているのは公平な追加ルールではなく、命を人質とした「生贄」献上の強制である。ただし、「生贄」をもたらした「幸福」の一環として、超高齢出産(祖母の出産)なども起こり得る。ヨブ記などの神話にも見られる通り「出産」は「幸福」の象徴であろう。

 問題はこの上位存在が作中で示唆すらされていないことだ。この地域にある特徴的な神社などが描かれて、そこに熱心にお参りする村民の姿が何シーンか入るだけでも、作品の後味は大きく変わったと思うのだが、それは意図的に避けたと思われる。確かに、上位存在を示唆すれば話は分かりやすくなる一方で底が浅くなってしまう。だが、本作は正直、底が深いのか、「制作側がちゃんと考えていないのか」疑ってしまう微妙なラインにあるのだ。その判断が正解だったかは疑わしい。

 しかし、この上記の推測にも、自分の中でいくつも反論が生まれている。まず、祖父・祖母の様子は、

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