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女神バヤンとはなんだったのか?(レビュー:『女神の継承』)

オススメ度:★★★☆☆

タイ東北部の村で脈々と受け継がれてきた祈祷師一族の血を継ぐミンは、原因不明の体調不良に見舞われ、まるで人格が変わったように凶暴な言動を繰り返すようになってしまう。途方に暮れた母は、祈祷師である妹のニムに助けを求める。ミンを救うため、ニムは祈祷をおこなうが、ミンにとり憑いていたのは想像をはるかに超えた強大な存在だった。

 今週もまた評価に困る作品である……。

 先週の『MEN』もそうだが、今回の『女神の継承』も「なにかやろうとしているんだろうけど、ちゃんとやってくれてんのか分からない」といった困り方だ。私がちゃんと読み解けていないのか、作り手側が雑なのか、自信が持てないところがある。

 さて、本作の視聴感覚は『哭声/コクソン』によく似ている。作り手側にも意識したところがあるのかもしれない。

 ここからややネタバレに入っていくのでご注意頂きたいが、本作は「バヤン」と呼ばれる地元密着型の女神と、その巫女に選ばれた家族の身に降りかかる怪奇現象?(体調不良?精神疾患?)の話である。

 あらすじにもあるように、ミンの心身に異変が生じるのだが、最初はそれがバヤンに選ばれた巫女であるニムからミンへの巫女継承に伴うサインだと考えられている(作中では「巫女熱」などという言葉すら出てくる。巫女に選ばれたものが発熱するようだ)。

 それが途中から自殺したミンの兄(ミンと恋仲にあった)の悪霊のせいではないかという話になるのだが、ニムがこれへの対策を進めるも、「騙されていた」ことに気付き、この路線は突然打ち切られる。「真相」が急にドブに捨てられる展開にわれわれも困惑せざるをえない。誰かが「騙して」いたことが明言されるなら相手側の戦略の一環と考えられるが、それも明示されない。

 その後、より高位の霊能力者が現れて状況の解説が入る。ミンの家系を遡っていくと資本家になるのだが、その会社(会社より前?)が虐殺(?)をした過去があった。その時に殺された人々の呪いが子孫に降り掛かっており、いまミンの苦境に繋がっている……という話のようだ。

 高位霊能力者の指揮の下、ミンの呪いを解くために大掛かりな儀式が行われることになり、それがクライマックスへと繋がる。だが、ここで女神バヤンの存在が置いてけぼりにされ、なんだかよく分からなくなる。

 ミンの母は、現役巫女のニムの姉なのだが、過去に巫女に選ばれるも(巫女熱などを発症)キリスト教徒になることで、その役目をニムに丸投げしたという経緯がある。このことから「バヤンを裏切ったミン母に対する制裁?」的なニュアンスも感じるのだが、それがどう影響しているのかもよく分からない。

 巫女であるニムだが、終盤でバヤンの存在を疑ってしまい死亡する。そして、ミン母が儀式の最中に「バヤンが自分の中にあること」を確信する。ニムではなく本来の継承者であるミン母が巫女となり、スーパー女神パワーを得てミンの呪いを解決する……という流れなら理解できる。

 しかし、そうはならない。スーパー女神パワーを得たはずのミン母も呪われしミンに返り討ちにされ、高位霊能者含む祈祷チームが全滅して終了する。ついでに本作のカメラマンたち(ドキュメンタリーを撮影していたという設定)も全滅する。

 そういうわけで、本作では重要なポイントであるはずの「女神バヤン」の存在がどう影響しているのか、最後まで見てもよくわからない。『哭声/コクソン』も似たところがあり、何らかの神的存在の影があり、それが守護的な神なのか悪霊なのか、それに対抗しようとしている霊能者(?)が味方なのか敵なのか、疑心暗鬼のまま進んでいく話である。同様に、本作は女神バヤンが味方なのか敵なのか分からない。その上、バヤンに影響力があるのかどうかも怪しい。

 この曖昧さが星3評価の主な理由だ。『哭声/コクソン』も解釈を視聴者に委ねるタイプの映画で本作もそうかもしれないが、私はそういうのがあまり好きではない。

 一方で評価できる点を挙げておくと、何よりタイホラーという物珍しさがある。西洋ホラーと違ってタイ人の文化風習、思考、生活態度などは物珍しく、それだけでカルチャーギャップ的な面白味がある。

 具体例を挙げると、乗合バスの中でミンがトラブルを起こし、他の乗車客に殴りかかったシーンだ。日本でこんなことがあればすぐに警察を呼ぶことになると思うが、タイでは周りの人達がミンを押さえつけて、「運転手さん、止めて下さい!」「この女を下ろそう!」と言って、力付くでミンをバスから下ろして、お互いに悪態をつきながらバスは出発する。

 なんというか、自警的でありながら過度に暴力的でもなく、トラブルの解決法として良い塩梅の薄情さ……とでも言うべきものを感じてしまった。「このくらいのトラブルはいちいち警察沙汰にせんでもよろしい。叩き出せば良い」くらいの鷹揚な雑さというか。

 タイの宗教施設も妙に電飾で飾り付けられておりキラキラとエモいし、葬式シーンで花火のようなものを使ったり、なぜかご祝儀のようなものを人々に投げつけたりと、葬式の感覚もなにか違うのだな、と思わされる。そういった諸々の発見が本作を見る価値を底上げしており、星3評価にも繋がっている。

 さて、話を戻して……。本作において、女神バヤンとは一体なんだったのか、一応の仮説を3つほど挙げていこう。

1.バヤンは既に敗北していたよ説

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