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『都会なんて夢ばかり』を読んだ日、僕はこの本と友だちになった。

今日もまた本に救われた

フォークシンガー・世田谷ピンポンズさんの自伝的エッセイ『都会なんて夢ばかり』が夏葉社の別レーベル「岬書店」から刊行された。

僕の経営しているブックカフェでも、もちろん仕入れて取り扱っているので例えまだ読んでいなくても「おもしろいので是非是非お買い求めください!」と販売している以上声を大にしてオススメしているのですが、いざ読んでみたらさらにオススメしたくなりました。控えに言って本当におもしろいです。

仕入とは別に、個人的に今回は京都の古本屋さん「善行堂」のオンラインショップで予約して買った。

善行堂から届いた日、明日の営業の仕入と仕込みを終えてから帰宅して、買い出しの途中で寄ったくら寿司でテイクアウトした海鮮丼を夕ご飯として妻と一緒に食べながら、本が早く読みたいと言わんばかりに、海の恵み達を流し込むように胃袋へとかき込んだ。

恥をかくのが、僕の仕事だ。
人は間違えるし、人は思っているほど成長してはいない
自分は勝手で、鈍感で、頓馬だ。そんな自分から現れ出るすべての感覚を書き留めたいと思う。

初っぱなからピンポンズさんの文章に引き込まれた。

一心不乱に読みふけり、あっという間に寝る時間がやってきた。いつもは大体23時〜24時の間に寝床についている。もっと読みたい。まだ目が冴えているからまだ読めそうだったが、明日は仕事だから夜更かしは良くないと、渋々と善行堂のポストカードを半分近くまで読み進めたページの間に入れて本を閉じた。

次の日の朝6時、本読みたさにいつもより俊敏に起き上がった。僕は最近早起きを心がけている。ちょっと前は5時起きだったが、それは飼い猫達が起きる時間に合わせてその時間に起きていただけで、今は朝日が昇るのが遅くなったせいもあり朝6時ぐらいに猫達が起きて遊び出すので僕も一緒の時間に合わせて6時起きになっていた。

冷え込みが厳しくなりつつある早朝、トイレに行ってからすぐさまコタツを付けて潜り込み、昨夜の続きを読み始めた。

朝はやっぱり集中力が上がるのだろう。昨日の夜に読んでいたより早く読めている気がした。食い入るように読みふけり、妻を起こす時間にあっという間になった。時間は朝の7時30分。あと20〜30ページほどで読み終わる。あともうちょっとだけ、読ませてくれないかい。心の中で妻にお願いした。

7時50分、なんとか読み終えることができた。

本を読むのが遅い僕が、昨日の寝る前と早起きした朝の短時間で1冊の本を読み終えるという事は滅多にない。文章が読みやすいというのもあったに違いないが、それ以上におもしろかったのだろう。

読み終えたあと、もう一度パラパラと付箋を貼った箇所を読み返した。

今日もまた本に救われた気がした。

ここまでさらけ出してもいいのだと、気持ちが楽になった。


共通点

なぜ世田谷ピンポンズというフォークシンガーに惹かれたのか、この本を読んで少しわかった気がした。

学生時代、全く友達がいなかったというわけではないけど、気軽に誘ってご飯を食べに行ったり一晩語り合えるよな友達が少なかったこと。僕は大学には入学しなかったが、もし大学に行っていたら、持ち前の人見知りで友達は出来ていなかっただろうと想像できる。

友達は少なかったが良い家族にも恵まれ、自分は幸せなんだという自負はあった。

だけど、何かが足りないような気がしていた。

この感覚はなんだったんだろうと心の片隅で思っていたけど、ピンポンズさんが引用したみうらじゅんの「不幸なことに不幸がなかったんだ」という言葉で腑に落ちた。

僕もピンポンズさんと一緒で、優等生にもヤンキーにもイケてるグループにも縁がなかった。どこのグループにも属せなかった。ただそれが、劇的なことが何一つない自分の人生が僕にもコンプレックスだったのかもしれない。

僕もまた、何か強烈なエピソードを持っている人や波乱万丈の人生を送っている人が羨ましく思えていた。

独りよがりでも妄想でもなんでもいい。なんでもないこの日々を歌にしていい。
経験がなくても、想像力がなくても、歌を作っていいんだ。

と、ピンポンズさんはみうらじゅんの言葉に出会い歌を作ることの後押しになったという。

僕はカフェを経営していてピンポンズさんはフォークシンガーで、ジャンルが全く違うけど、本当に自分の好きなようにお店を作って、日々妄想していて、お店を始める前は経営どころか飲食の仕事の経験も皆無だったので、根っこは共通しているのかもしれない。

***

他に共通点といえば、吉田拓郎やゆずが好きでフォークが好きだったことや、ミクシィで誰も読まないようなくだらないブログを書いていたこと、ヴィレヴァンに通っていたことや喫茶店で読書をするのが好きなこと。そして、愛する人が絵描きだったということ。

特にお笑いが好きで、ピンポンズさんと世代が近いので、大体の同じようなテレビ番組を見ていたと思う。

小学生の頃から、ダウンタウンやとんねるず、ナイナイの番組は欠かさず見ていたし、土曜日のお昼は吉本新喜劇を見て育った。

そして誰にも言った事がないが、僕もお笑い芸人に憧れていた。真面目にふざけて人を笑わせて幸せにするお笑い芸人を尊敬していた。

だから僕も友だちを笑わせたいと思って、勇気を出してボケをぶちかましてみた事が多々ある。笑ってくれていた記憶があるが、本当にウケていたかどうかは分からないけど。聞くのが怖いので確認したことはない。

中学生になった時には、当時夜な夜なテレビで見ていた「ピッカピカ天然素材」の影響もあって、コントや漫才も作ったりしていた。どんな内容かは全く覚えてないけど。それだけに止まらず、自分で空想上のお笑い芸人をも創り出していた事もあった。何組ものコンビの顔を絵に書いて作っていた。天然素材やフルーツ大統領のようなユニットを結成させてみたり、お気に入りのコンビには冠番組を持たせてみたり、その番組の色んなコーナーを考えてみたりと妄想しながら一人遊びをしていた。

ピンポンズさんがミクシィのプロフィールに「音楽をやりたい」などと書いていなかったように、人知れず「アルバム」を作っていたように、僕も本当に好きな事は周りには言っていなかったかもしれない。

芸人になりたいとピンポンズさんも思っていたようだけど、お笑いは目指すものではなく自分を救ってくれるものに変わっていたと言っている。全くもってその通りだと心の中で激しく頷いた。

こんな人見知りで人前で話すのが苦手で照れ屋な自分は、お笑い芸人になるのは無理だと気付いた子供時代、人を笑わせるという夢は早々に諦めていた。

もし仮に僕が、歌が上手くて楽器が得意だったのなら、フォークシンガーになっていただろう。


友だちのような本

誕生日が一緒というだけで親近感が湧き特別感を感じるように、これだけの共通点があれば世田谷ピンポンズという一人の人間に共感できて興味が湧く理由には十分だ。

その上、今お店にピンポンズさんの以前東京で開催されたライブのポスターが貼られており、ポスターに写っているピンポンズさんの写真を見て、「これご主人ですよね?」「音楽やってるんですか?」などとかれこれ10人以上のお客さんには言われている。

それまでは僕は眼鏡が好きで何種類か持っていて、気分によって毎日眼鏡をかけ替えていた。ピンポンズさんですか?と聞かれる時はいつも丸メガネをかけていた時だった。

ピンポンズさんが昔、銀杏のBOYSの峯田和伸の真似をすることで自分のアイデンティティーになっていたように、いっそのこと僕もピンポンズさんの真似、というかこの場合なりきったら自分を肯定できるだろうかと一瞬頭を過ぎったりもしたことがあったけど、さすがにそんな嘘は付けなかった。

でも、好きなアーティストに似ていると言われる事はちょっと嬉しかったりするので、ここだけの話、僕はその日以来お店に立っている時は丸メガネしかかけていない。

***

ピースの又吉さんとの出会いのエピソードで、又吉さんを知る度に自分との共通点を見つけ、どこか他人とは思えないような気持ちになったという話があった。

もしかしたら僕にとってのピンポンズさんはピンポンズさんにとっての又吉さんなのかもしれない。

学校や、音楽の世界など、違う形で出会っていたら、ピンポンズさんと友だちになれていただろうか。

出版社である夏葉社の別レーベル「岬書店」のモットーは“友だちのような本”である。夏葉社の島田さんは、まさにこの本は「友だちのような本」を体現する1冊だと言っている。

面と向かって友達になってくださいなんて恐れ多くて言えやしないけど、この本とぐらいは友だちになってもいいですか?



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