「いい子」でありたい我が脳ミソ
齢1桁後半〜20代前半まで、「いい子」「いい人」と思われたい人生でした。
なにより、しょーもないことに、良い子でいないと存在価値無しと思っていました。
これは多分、両親がやばいこととか経済事情なんかが関わってくるのですが、良い子=
「実家にとって最低コストで優秀な結果を出す存在」にならなくてはいけないという思想に縛られていたからです。
自分が本当にやりたいことなんて表明しても絶対選べないし、そもそもそれを選ぶ権利はない、期待に応えなきゃ誰にも必要とされない。
という思考でいたら、アラサーになってもそういうベース脳味噌になっちゃっていました。
数年前に自己肯定感タワマンの母親とは分かり合えねぇことを割り切ってから、自由意思で生きるぞという意識が定着してくれてたのですが、最近実家から独立しようとする私に邪魔が入ります。
なる早で隣県へ引越すつもり(一人暮らし)だ、と話始めると母親が
一人暮らしなんてできるはずがない
不動産屋に物件を見に行く半年前に知らせなきゃダメ
あんたがいなくなったらこの家にいる意味がない
などと攻撃してくるのです。
(半年後に◯◯不動産に内見行くね!なんて言う人がどこにいるのよ。時間軸どーなってん。)
耳を貸す必要はないと理解しているのに、100%自費なので資金があればいつでも引っ越せるのに、母親の言うことを聞かねばならないような気がしてしまう瞬間があります。
正直、行動を邪魔しているのは間違いなく「自分」で
わかっているのに踏ん切りがつかない自身に溜息がでます。
二酸化炭素増やしてごめんなさい。
そんな時というか、ドラマで知ってからずっと気になっていたマルクス・アウレーリウスの『自省録』(訳:神谷美恵子・岩波書店)を購入しました。
訳者解説によると自省録の思想は、一言にしていえばストア哲学だそうです。
こういったジャンルに触れるのは人生初なので、正直読み始めは表現や言い回しが難しいかも・・・と思っていましたが、読んでいくとハッとさせられるような節がたくさんあります。
”君がまわり道しいしい到達しようと希っていることは、これを自ら自分に拒みさえしなければ、どれでも今すぐ手に入れられるのだよ。
それには全過去を打捨て、未来を摂理に委ね、ただ現在のみを敬虔と正義の方向へ向ければよいのだ。”
これは引っ越したいのに母親が~とかうじうじしている自分に刺さりました。たしかに自分で勝手に回り道しようとしてるかも、と。
はじめから全ては自分が、この私が、選んで実行できることしかないのかもしれません。
嫌な感じの人に出会った時は。
厚顔無恥な人間に出会っても、そういう人間が存在しない世界なんて有り得ないのだから、こいつは存在せざるを得ない無恥なのだと考えてみろ、など。
この無恥は存在するべくして存在しているのだな・・・と考えたら無駄に怒りエネルギーを使わなくてよさそうです。
私がずっとなりたいと思っていたのは「いい子」だったけど、
これからは「善き人」になりたいと感じさせてくれる一冊に出会いました。
元々行動より思考タイプなので、この1冊を読んで哲学への関心がぐーんと高まりました。
外への発信よりも私はやはり、内への働きかけに関心があるようです。
初心者なので有名どころから入ることになると思いますが、これからどんな叡智に触れることができるのか、非常に楽しみです。
最近朝夜に瞑想をしていて、瞑想を始めてから必ず夢を見るようになりました・・・
何か関係あるのでしょうか(゜_゜)
それでは1週間ぼちぼち仕事しましょう
おやすみなさい🌙
nala.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?