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ポテトとコーラと嗚咽

たまに、ふと、情けなくて突然涙が溢れてくることがある。

己の不甲斐なさを実感しろということなのだろうか。


全てのことに「申し訳ない」という気持ちが溢れて止まらなくなる。
今日は、その日だったみたいだ。



いろいろあって、今月で派遣をやめることにした。
新しい就業先でも齟齬があったし、派遣元の営業担当者も怠惰な人に当たってしまい、そもそもどこにも守られていないような雇用形態だと感じたので、12月から直雇用でアルバイトをすることにした。

最初に唯一の懸念だな、と思ったのは当然収入面。
派遣の現場を続けると想定して借りた家だ。収入が下がるのは仕方ないにしても、余裕はなくなるなと頭に浮かぶ。


気に入った物件に住めて、収入も問題ない予定、上手くいくと思っていた。

どうして私はいつもいつも「選んだ道」を正解にできないのだろう。


ぼんやり考えながら夕食のために作った水炊きを食べた。
白菜とにんじんと冷凍ミートボールを入れた。レシピを見て作ったけど味が薄くて全然美味しくないから、ぽん酢でごまかしながら食べた。
全然満たされなくて、冷凍ごはんを温めて食べた。美味しくなかった。



気分転換に散歩に行くことにして、明るいところを歩くために駅方向へ向かった。
ちょっとしたイルミネーションみたいなものが点灯していて、時間の割に人がたくさん歩いている。大人も、子どもも。

行き交う人々を眺めていたら、
どうして私はここにいるほとんどの人が乗ってるような「まともな人生のレール」に乗れなかったんだろう、なんて考えてしまった。

イライラしてきて、苦しくなって、駅前でポテトとコーラを買った。
節約しなきゃいけないのに何やってんだと、帰宅後泣きながら全部食べた。

大学を卒業して6年が経つ。正社員で働いていたのは1年だけ。

自分は大きな責任を負うことや組織の駒として働くことに向いていないから
正社員にはならないと決めている。
社会人を7年弱やって分かったことで、普通のサラリーマンにはなれないこともそれでいいと思ってる。世間から見て普通じゃないと指さされても
構わないと決めた。

だけど、心のどこかで踏ん切りがついていないのかもしれない。

自分も多数側でいたかった、と。



大学卒業後は正社員で働いて、適齢期で結婚して、社会の波に乗りたかった。
同世代の多数の人が手に入れてるものを今この時既に手に入れている可能性があったのだろうか。




そして、申し訳なく、思う。


高校生の頃の私、ごめんな。
あんなにたくさん勉強して、大学受験したことのない親との関わりに悩んで、枯れるほど泣いて結果を生み出したのに、期待していた未来にできなくてごめん。
あなたが望んでいた他人の役に立つ人間にはなれなかった、本当に申し訳ない。

家族、あなた方を尊敬できないどころか関わりたくないとしか思えない娘に育ってしまって、ごめんなさい。

天国のじいちゃんたち、まともな生き方ができない孫でごめん。
ばあちゃんを大切にする心の余裕がなくてごめん。
ふたりが「頭が良い」と褒めてくれた努力好きだった私は、もうどこにもいない。

全て、わたしに関わってくれる人
何も生み出すことができず、あなたたちに何か与えられる人間じゃなくてごめんなさい。




あんなに食べたのに、お腹が空洞のようで満たされない。

明日の朝食は大好きなパンにしようか。



どうせこれからも正解にはできないだろうから。


しんどい時くらい好きなだけ食べよう






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