主義(イズム)について掘り下げます
店舗経営に最も重要な事柄として「クレド(信条)」をまず作るというのがあります。
この「クレド」と似ているものとして「主義(イズム)」というものがあります。簡単に違いを述べると、「クレド=憲法」で「イズム=各法律」のようなものと考えてみてください。あくまでも「クレド」がまずあって、それに反しないという中で細かく様々な「イズム」を成立させていきかつ時にはそれらは改正されるもの、という感じで。
「主義(イズム)」という言葉は、あくまでも語感からくる個人的な印象ではありますが「こだわり」ということとは少し違います。 「こだわり」には頑固一徹、職人気質、といった印象がありますが、 「イズム」はもう少し柔軟で、例外も多く認める、といったことを前提で話を進めます。 ただ、やはり強調したい点は「リピーターを大切にする」とかそんな当たり前のことではなく、その考えには一方で弊害も生まれ、賛否分かれるような出来事にこそ「イズム」を決め、発揮すべし、ということです。
私の主義のひとつである「繁忙時間の電話は出ない」ということに関しましても、 「遠くからわざわざいらっしゃった人で店までの行き方がわからないで電話をしてる人に対し、【居留守】をするなんて言語道断」という意見だって当然あるわけでして、 それより何よりこれは店主自身がメチャクチャ悔しい思いをしています。 そういった「判定が微妙になりそうなケース」こそ、 事前に「自分内ルール(例外有り)」を決めておきましょうという話です。 他の例として私は「退店されるお客様が扉を開けようとするあたりの【背中】に向かって、【ありがとうございました。またお待ちしております。】 を再度言うことにしています。
別に珍しいことではないかもしれません。 しかし、仮に「お客様が帰られるまさにその時」に店内のお客様による追加オーダー、または常連さんが話しかけてきたりすることはあります。 ほんの1,2秒のことではありますが、それらのお客様は「無視」して、 帰られるお客様の背中に向けて感謝を浴びせるほうを取ることにしています。 ほんの1,2秒とはいえ無視された店内のお客様がこの時「快くはない」のは確かでしょう。
似たケースとして、以前いた学習塾で私が提唱していた取り決めがあります。 それは「来塾者には教室長のみならず講師全員が、 【こんにちは(時間は夜であっても「こんにちは」に統一)】と挨拶をする」。 これだけじゃ普通なんです。 さらに踏み込んで、 「たとえ授業中であろうが、解説中であろうが、来塾者が実は宅配便の人やただのセールスだろうが挨拶をする」 ことに統一しました。 個別指導塾だったので、結構たくさんの講師が言うことになります。 しかしパーテーションで仕切られており、玄関から遠い場所にいる講師は誰かが来てもわかりません。そこでどこかで挨拶が聞こえると、相手が見えてなくてもとりあえず挨拶します。こうして教室至るところで「挨拶のこだま」が起こります。 「授業を中断するなんてけしからん」という意見も当然あるでしょう。 ただ、そういう「挨拶がこだまする教室」にしたいという思いが私の場合上回っていたので、その旨を講師達にも伝え、また講師達もそれに応えてくれました。
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