見出し画像

生きることの意味

だいぶ重いタイトルですが。
今年もまた3月11日 14時46分に、
東北の方向を見て、黙とうをしました。

たまたまですが、
社会人になってから、想像だにしてなかった
災害が色々やってきましたね。
5年、10年ごとくらいに。

2008年のリーマンショック。
最近、朝ドラ「舞いあがれ!」でも取り上げられましたが、
当時、下請けのシステム開発系企業に所属していた私としても
まぁスキルがなく、この案件のない時代に使い物にならない
ということで、予算削減のために
必要のない人材ということで、現場を切られ、
4カ月くらい自社に待機を余儀なくされたことがあり。
2009年の頭にはとうとう、自宅待機になり、
強制的に月給も半額くらいにされて、
生きられるのかなというところまで来てました。
当時、貯蓄スキルもそんなになかったし。

ここまで追い込まれ
「自分はこの世には必要ないんだな。」と思うことが何度もありました。

ただ、その時代があったからこそ、
だいぶ「節約スキル」を身につけました。
お弁当を作るようになり、安い食材だけを買い、ほぼ毎日自炊。
そして、現場を切られそうになった時は
もはやすぐに、次の現場へ行くための面談シナリオを前もって準備。
現場に入る時はリーマンショック当時は面談は苦手でしたが、
この時に色々学んだおかげか、
現場参入のための面談は得意になってきて、
よほど先方に気に入られない限りは、その後9割通過していたんでは。
自宅待機の時に背水の陣と思って勉強していた
当時の基本情報技術者試験にやっと合格したのも大きかったです。

まだ若かったので、割と体型もスマートだったと思います。
特に運動してなくとも、毎日通勤して帰宅してなんとなく体重計に乗って
1年間で-10kgくらい痩せていたような。
ショックなことは多かったけど、
この時の体型と、ようやく2009年春に参入できた大手金融機関の現場の雰囲気的に
少しはオフィスカジュアルを極めようと
色々服を買い出したりし、現場の方も皆優しく、
少しずつ毎日楽しくなってきたのを思い出してきました。


で、まぁ現場では色々あったけれど
社内待機や休職などが一度もない中、2年ほどが流れ、
そこで、まさかの2011年3月11日。
私は、たまたまその日月に一度の帰社の日で、
東日本橋エリアの当時の会社にいました。

不謹慎だけど、これ、本当に帰社の日で良かったです。
現場出社していたら、お台場にいることになっており、
後で聞いたが、現場出社していた方は
全員レインボーブリッジをぞろぞろ歩いて帰ったのだと・・・

その後も、しばらく交通が思うように復旧せず、
自転車で次の駅まで行って(JRなので、当時住んでいた
新小岩 → 錦糸町 は、なかなか遠かった)
そこから地下鉄に乗ってみたりと。
急に「大規模停電の恐れあり」とかいって、
現場全体、昼にて退勤してくださいと命じられ、
ギッチギチに人がいっぱいになった電車に乗り
おそらく、あの時が
人生で最も人を電車の中に押し込むのに力を使った日でしたなぁ。

日々津波の映像や壊れた街並みの映像がテレビで流れ、
見ているうちに、だんだん悲しくなって
思わず泣いてしまったのを覚えています。
辛くて、少し年上のだいぶ物わかりの良い友人に思わず電話してしまったな。

自分は幸い、この震災が来たけども
その後特に問題なく過ごすことはできました。
仕事的にはリーマンショックの方が大変だった。

先に言っちゃうけど、当時まだ「テレワーク」がありませんでしたからね。
だんだん小池百合子さんが提唱し出し、
「子どもがいる主婦だけ認める」みたいに暗黙になっていて、
まぁ、私なんかに一生関係ないものかなと思ってましたが。


そして、元号が変わって令和となり、
2020年になった途端。

なんだこりゃ。コロナ。

始まった当初は「感染したら、死ぬ」という意識で、
必死になって「これで予防が本当にできるのか」と
マスクをし。そのマスクも最初の頃は入手が困難な時があり。
犠牲になった志村けんさん、岡江久美子さん・・・
大好きだった人たちが、、、

うちの両親も
「ま~さ~か、自分らが生きているうちに
こんなパンデミックがあるとは
思いもしなかったよ」と驚いていたくらいでした。

飲食店の営業が制限される。
家族にも、友達にもなかなか会いづらくなる。
飲食業、観光業の方々の生活が追いつめられる。
学校ライフが奪われる。
辛いけど、自分自身を守ることが一番大切になってくる・・・・・

コロナについては略。
結果2023年本日現在についての業務などについては
先日書きましたからね。


そんなんで、時々、
こういった「とてつもない不安」が襲ってくることがありますね。

私は、
「そんな時代だし
犯罪さえ、人の道を外れたことさえ行わなければ
どんな生き方でも人それぞれ
とにかく、生きることが大事。
そして、そんな時代を生きている自分、
周りについて、誇りに思おう。」
と、ここ近年、強く思うようになりました。

自分より相手が優れた会社に入って優れたポジションにいれば
「すごいですね~」と言っておく。
相手が無職で働くこともできなくなってしまっていれば
「体調をしっかり治して、元気でいてね」と伝える。

相手に家庭があり充実してそうなら
「すごいですね~」と言っておく。
相手に家庭がなく肩身が狭そうな感じの姿勢をしていたら
すぐさまに「うちの妹もまぁ頭お花畑で結婚したし、実際子どもができると今だいぶ苦労してるみたいですし、そこまで完全には憧れないですよ」
と言う。

相手が自分の趣味と合いそうなことをやっていたら
全力で「それ知ってる!楽しいよね!」と意気投合する。
相手が全く自分の興味のないことをやっていたら
「すごい、そんな世界もあるんだ、
自分の知ってる部分と思わぬ繋がりはあるのかな?」と
検索したりして興味を持つ。
冷たい対応にならないようにしたくない。
一期一会だし。
冷たい言葉をかけたくない。

相手が上から目線で、自分の心をえぐるような言い方をしたら
即離れるしかない。
自分を大事にしよう。
昔はちょっと耐えすぎてました。


たまに「何のために生きてるんだろう」と
思うことがありますが、
そう思わないことが生きる意味なのかもしれないですね。
自分を磨いてるうちにそういうことは忘れるし、
休日にゴロゴロしているうちに寝ちゃってるし、
「これやってるならあれやれば良かった~」って発言できている
自分は生きている。死ぬわけではない。

おそらく人生一度きりですからね。
ただ「人生一度きり」の概念をじわじわ正確に理解したのは
ここ数年な気がする。
これら災害を経験してからだったと思う。


とにかく、生活に支障をきたす面倒なものからはなるべく逃げ、
楽しく暮らす。これだけで生きる意味になるのかなと思います。



だんだん桜が開花してきた


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?