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人生は食べてみるまではわからない

My momma always said,”Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get".
(ママはいつも言っていた。「人生はチョコレート箱みたいなものよ。食べてみるまではわからないの」って)

映画「フォレスト・ガンプ」(1994)

どうも、世界と人間のすべてに興味があるひとです。

冒頭の引用は、名画フォレスト・ガンプで最も有名なセリフで、余命わずかとなったガンプ夫人が、ガンプ少年に語った言葉。「アメリカ映画の名セリフベスト100」にも選ばれていて、有名です。

…いや、チョコレート箱の中にはチョコレートが入っているんだから、食べてみなくても分かるだろ!

というツッコミをする人とは気が合いそうですが、あまり友達にはなりたくありません。
# 同族嫌悪

このセリフの意味は、

「チョコレート箱には、甘いチョコもあれば苦いチョコもある、丸いチョコもあれば四角いチョコもある。箱を開けて中身を食べてみなければ分からないように、人生も生きてみないと、何が良いことで、何が悪いことかは分からない」

と個人的には解釈をしています。

日本人に馴染みのある言葉で言うと、「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじ、さいおうがうま)が近いでしょうか。

人生は万事、塞の国のおじいちゃんの馬みたいなもんだ、ってことですね。

チョコレート箱以上に分かりづらいですが、この故事成語の由来を知ると納得がいきます。

中国の北端、国境の「塞(とりで)」の近くに「翁(おじいさん)」が住んでいました。あるとき、彼の飼っていた馬が逃げてしまったので、みんなが同情しましたが、彼は「これが不幸とは限らんよ」と言います。皆が「変わった人だ」と思っていると、しばらくして逃げた馬が、立派な駿馬(足の速い優れた馬)を連れて帰ってきました。そこでみんなが祝福すると、今度は「いやいや、これが幸福かは分からんよ」と言います。実際、しばらくすると彼の息子がその馬から落ち、足の骨を折ってしまったのです。またみんなが同情すると、彼の答えは、「必ずしも不幸だとは思わんね」。

その後、隣の国との間で戦争が始まって、若者は皆、徴兵されて亡くなったが、息子はその骨折したおかげで、戦争に行かずにすんで、生き伸びることができたのでした。

淮南子―人間訓

要すればこれも、人生、何が起きるか分からないと言うことです。

確かに、世の中見渡すと、人生ままならんことばかり。

コロナで外出自粛を余儀なくされたり、自国で戦争が起こったり、イーロン・マスクに突然解雇されたり、難病にかかったり、事故や災害に遭うこともあります。

かと思えば、2970億円の宝くじに突然当たることもあるし、念願の弁護士試験に合格して束の間の幸せに浸ることもある。

そしてその瞬間瞬間を切り取れば、大変だねとか、おめでとうとか言えますが、本当のところそれが本人にとって良かったかどうかは、最後、本人が振り返ってみて初めて分かることだったりします。

良いと思ったことがあとで裏目に出て後悔することもあれば、"人生最悪の日だ"という時が、振り返った時に、"あの日の出来事があってこそ"と喜べることもある。

僕の場合は、高校受験での失敗。

その時は結構、落ち込んだものですが、今振り返ってみれば、あの時、第一志望の高校に落ちたからこそ、最高の友人とも出会えたし、行きたい大学にも入ることができたのだから、今では「落ちてよかった」とさえ思ってます。

その大学で始めた東日本大震災の復興支援活動。深く活動に入り込むほどに色々な苦悩がありましたが、それが仏の教えと出遇うキッカケとなって、今こんなにも有難く充実した日々がある。

就職活動も、一番希望していた就職先には行けず、今の会社と縁があったからこそ、こうして世界で活躍するビジネスパーソンたちと一緒に働けているわけで。

そう思うと、28年間、それなりに悲喜交々あったはずですが、そのどれ一つとっても、無駄なことはなかったと「今は」思っています。

だから、今がめちゃめちゃしんどくて最悪だって思っていても、それが後で振り返った時に本当に最悪なのかどうかは、分かりません。

逆もまた然りで、今、幸せの絶頂でも、いつそれが不幸のどん底に変わるか分からない。

僕自身、こうして自分の好きな仕事ができるのは幸せなことですが、米国は車社会。

万一、僕が車で事故を起こして、加害者、あるいは被害者になれば、今の喜びなんて簡単に吹き飛んでしまいます。

浄土真宗の祖師・親鸞聖人は「火宅無常の世界」(火のついた家に住まいするような、いつどうなるか分からぬ不安な世界)と教えられています。

そんな幸・不幸が簡単に逆転してしまう人生において、今この瞬間だけを切り取って「人生は素晴らしい」とか「人生は楽しい」、あるいは「人生はつまらない」などと、どうして簡単に言えるでしょう?

そうではなく、突き詰めていけば、自分の人生の本当の評価はその臨終に決まるのではないか、と思います。

日本には「終わりよければすべてよし」、「有終の美」、「棺を覆いて事定まる」など、最後が肝心だということを表す様々なことわざがありますが、人生においてもそうなのではないか、と思うのです。

じゃあ臨終っていつだ。

平均寿命が81歳だから、あと50年は生きていられるかというと、そうではありません。

今晩、命の火が消えたら今日が人生最後の日。

仮に今日が臨終となっても、「最高の人生だった」と言える毎日を送れるよう、1日1日を大切に生きていきたいと思いました。

僕にとって、人生を考える上での指南書となる一冊が歎異抄ですが、いかんせん、内容が難しいのも事実。

その点、こちらの本はオススメですので、もし「いっちょ腰を据えて、人生と向き合ってみるか」という気が起きた方は、お手にとってみることをお勧めします。

”Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get."
(人生はチョコレート箱みたいなものよ。食べてみるまではわからないの)

ではではまた!

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