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山々と草原の大自然と人間…キルギス映画『父は憶えている』

今回は、いつもの映画レビューとは違い、作品の内容について触れる前に、この作品の監督と私の小さな関わりについて書いてみたい。なお、中東映画ではなく、中央アジア・キルギスの映画だ。

実は、アクタン・アリム・クバト監督には、もう四半世紀前のことになるが、インタビューしたことがある。『あの娘と自転車に乗って』という彼の初長編作品が日本公開で公開され、監督本人が初来日した1999年のことだ。

当時、日本の新聞社が発行する英字新聞の記者をしていた私は、作品の紹介というより監督の人となりを紹介する記事を書こうと考えて、インタビューを申し込んだ。旧ソ連を構成する共和国だったキルギスが、ソ連崩壊後独立して、どのような変化が起きているのか、という点に関心があったからだ。

インタビューは当然ながら、キルギス映画界が置かれている状況についての話が中心になった。

監督は「キルギス政府は多くの問題を抱え、財政難にあえいでいる。映画について政府は『モラルサポート』だけで、財政支援はしてくれない」とキルギス映画界の苦境を訴えた。

ソ連時代に行われていたキルギス映画に対する財政支援は途絶えた。「多くのベテラン映画監督は経済的な理由で、テレビに活動の場を移した。今撮り続けている監督は、数人しかいない」と話していた。

そうした中、クバト監督は1998年、監督に関心を持ったフランス企業の支援を受けて『あの娘と自転車に乗って』を製作する。ロカルノ国際映画祭では銀豹賞(準グランプリ)を受賞し、国際的にも注目されるようになった。作品は東京国際映画祭でも上映され、日本での劇場公開も実現。来日に至ったという訳だ。

自身の映画作りのコンセプトについて監督は、キルギスのに人々が営々と続けてきた自然とのかかわりを描きたい、と語っている。

「キルギス人の先祖は遊牧民で自然をすみかとしていたのにも関わらず、今は多くの人々が自然とのかかわりを失ってきている」。監督はそう嘆いていた。

「都会的な暮らしで金銭的に裕福な暮らしを得ても、それは内面的には貧しいものだ。自然と一緒に暮らすことで我々の人生は豊かになる」。大都会・東京の印象を尋ねたところ、「土の臭いのしない場所で生活するのは難しいね」とも話していた。

今回、最新作を鑑賞して、キルギスの大自然とキルギス人の関わりを長い時間軸の中で表現しようという監督の考えは、変わっていないように思えた。

『父は憶えている』は、ロシアに出稼ぎに行ったまま行方不明になっていた男性が、23年ぶりに故郷の息子宅に戻ってくる、という話だ。木々の葉のさざめきや、大自然を疾走する列車の長回しが印象的。キルギスの美しい大自然の姿が随所に登場すると同時に、同時に、ゴミ問題なと大自然をおびやかす現代社会の「病弊」にも切り込んでいる。

共産主義のソ連時代に進んだ世俗化から、ソ連崩壊後にイスラム化が進んだ社会状況も緻密に描かれる。ストーリーの軸となっている、監督自身が演じた「故郷に戻ってきた男」と、元妻ウムスナイを含めた地元住民との関係の中にも、そうした社会のイスラム化が描き込まれる。

四半世紀前の来日時、ロシア名の「アブディカリコフ」と名乗っていた監督は2010年の作品から、キルギス名の「アクタン・アリム・クバト」に改名した。ソ連崩壊後のキルギスの変容は、監督自身の生き方にも大きな影響を及ぼしたことだろう。

23年間の行方不明の末、帰郷した「記憶と言葉を失った男」。そんな人物を主人公にした作品は、人であれ、国家であれ、「時が過ぎる」ということの意味をしみじみと問うてもいる作品だ。彼が村にもたらしたのは、災厄だったのか、それとも大切な何かだったのか。

監督は、カンヌ映画祭にもたびたび出品し、フランス高い評価を得ている。今年7月には、仏文化省から、フランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受章した。文字通り、キルギス映画界を牽引する存在として、今後も活躍を続けていくだろう。

https://www.bitters.co.jp/oboeteiru/

『父は憶えている』は、12月1日から、東京・新宿武蔵野館などで上映が始まる。

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