見出し画像

戦争の傷跡残るクルドの街のヒューマンストーリー

東京の隣、埼玉県川口市は最近、クルド人が多く暮らす街として注目を浴びている。クルド人は、イラン、トルコ、イラクなどさまざまな国に暮らしているが、このうち、シリアのクルド人映画監督が製作した映画が、川口市の「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」で上映された。DはデジタルのD。今回は20回目の記念すべき節目の祭典だ。
「この苗が育つ頃に」というタイトルの作品。監督はトルコ東部の出身で、現在シリア在住のレーゲル・アサ(ザ)ド・カヤ氏。舞台は、シリア北部の「ロジャヴァ」と呼ばれるクルド人地域。出演俳優もクルド人、セリフもクルド語が使われている。

父フセインと娘ゼラルの親子は、クルド人地域の中心都市のひとつ、コバニ(アイン・アラブ)郊外の村に暮らす。フセインは妻が作ったヨーグルトをゼラルと一緒にサイドカー付きバイクに乗ってコバニの街へ売りに行く。そこで、さまざまな思いがけない出来事に遭遇し、複雑な事態が生じていく。

のどかな田園の風景、街の中で次々とアクシデントにでくわす筋書きは、なんとなくだが、イラン映画の名匠アッバス・キアロスタミ作品を連想させた。特に、クラスメートのノートを持ち帰ってそれを返す男の子の冒険を描いた「友だちのうちはどこ?」である。
ヨーグルトを売って生活の糧を得るのに必死な父と、別の観点からものごとを考えて行動に移していく娘の一日をユーモアも交えて描く。
ただ、作品の舞台のコバニは、つい数年前まで、イスラム武装組織のISとの戦いの舞台となり、クルド人側は大きな犠牲を払ってISを撃退したという場所だ。あちこちに攻撃で破壊された建物が残っていて、戦争の傷跡が生々しい。登場人物の口からも、ISの戦いによって起きた悲劇が語られる。この点で、「時代性」を排除したファンタジーのような「友だちの」とは異なる。

監督が、一見ほほえましいヒューマンストーリーに仮託して描きたかったのは、対IS戦争後、今も尾を引いている、シリアのクルド人たちの苦難や悲哀だったといえるだろう。
作品に登場する演者自身も、現実に戦争で多くのものを失った人たちだ。父娘がコバニで保護する迷子の男の子と、娘のゼラルを演じた2人は、実はきょうだいだという。父親はISとの戦い戦死し、父親役のフセイン(2人のおじ)に育てられているという。スクリーンから伝わる3人の親密さの背後に、そうした悲しい現実があると知り、やり切れない思いになった。

残念ながら、映画祭に合わせての監督の来日はかなわなかったようだが、本人のビデオメッセージが上映前に流された。その中で、監督は、「彼ら(出演者たち)は自ら望んで本作に参加した。(それにより)彼らの生活に、新たな窓が開かれた。戦争から離れた、映画への参加は喜びだったでしょう。これが、映画を完成させる士気にもなった」と話した。

映画で描きたかったことについては、「人生の偶然、存在の意味や未来を探究した」と話していた。映画の中でも、街にヨーグルトを売りに行く親子が出くわした偶然の出来事が描かれる。出演者が作品に出演したのは、ある意味偶然といえそうだが、この地で戦乱が起きたことは「偶然」とはいえない。ただ、個人レベルでそれを回避することができないことが押し寄せることは、常にあり、それは、偶然というものと近いのかも知れない。「人間の力ではどうにもならないことがある。しかし、人々の協力でそれを打開する可能性もある。だから、人間の力で未来を切り開くことも可能なんだ」といった一種の「人間讃歌」を監督は表現したかったのかな、と感じた。

舞台となっているコバニ周辺は、トルコとの国境に近く、境界を越えたトルコ側は、川口周辺に住む多くのクルド人たちのふるさとだ。国が違い、政治的な状況も違うが、両国のクルド人たちは、特に伝統的な価値観ではかなり共通するものがあるといっていい。
とぼとぼ農道を歩いている老人をフセインがバイクに乗せてあげるシーンがある。相互扶助の助け合いが、文化として今も色濃く残っていることを示している。
川口周辺のクルド人をめぐっては、日本人の間でさまざまな意見が飛び交っている。彼らとどう付き合うべきかを考える際に、クルド人のものの考え方や価値観を知ることは重要だ。この映画は、その一助になりそうだ。日本人がこうした映画を鑑賞することは、とても重要だ。会場の「スキップ・シティ」での上映は、7月22日午後5時半にもある。オンライン配信も行われているそうだ。クルド人をもっと知ろうと考える人には、見る価値のある映画だと思う。

映画鑑賞後は、車で30分ほどの越谷市のトルコ・クルド料理店に足を運んで、ナスとひき肉のケバブを食べた。映画の舞台のシリアと接するトルコ南東部の大衆食堂的料理だ。クルド人の土地(クルディスタン)やクルド人のことを知ろうとするのに、このエリアは格好の場所がそろっている。国際映画祭が川口でもう20年も続いていることの理由や意義を実感した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?