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ソーシャルアーカイブ、記号の孵卵器

広告業界での20年間でマーケティングファネルやカスタマージャーニーなどの様々なコミュニケーション設計に関するモデルを見てきた。もちろん社会の変化によって、それらがアップデートしているのも確かなのだが、デジタルネイティブな時代において、そのアップデートの方向性は実際のコミュニケーションと一致しているのだろうか?という疑問を個人的に感じている。

この数年、そういった不一致を解決しようとモデルを再構築する試みをしており、ある程度、デジタルネイティブに即した自分なりの解決を見出せるようになってきた。様々なセミナーなどで再構築したモデルについて触れているが、その中の1ポイントを説明したいと思う。

今回、触れたいのは「Search」と「Share」の扱い方である。
例えばデジタル時代のコミュニケーションモデルとして電通が2004年に提唱した「AISAS」は15年経過した今でも、活用している、あるいは記憶しているマーケターは多いと思うし、この考え方をベースにカスタマージャーニー的に発展させるパターンも多いのではないかと思う。

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「AISAS」では「Search」「Share」は「Action」の前後に配置されている。その他のモデルでも「Action」つまり購買のフェーズに近いところに配置されるパターンが多い。それが「AISAS」モデルがベースになっているのでは?と思われる理由の1つである。

しかし、ポテンシャルの高いカスタマーは、ブランドに対して潜在的であるうちに「Search」「Share」することはないのだろうか?また、直接関係ない「Search」「Share」はブランドに対して何かポジティブ/ネガティブに働くことはないと言い切れるだろうか?

例えば、キャンプに行くとする。すると人はキャンプを楽しむコツを検索する。そうすると「焚火」がトレンドであることを知ったりもする。もしかすると途中に「焚火」の動画を見るかもしれない。「焚火」動画で癒されたのでTwitterにシェアするかもしれない。そうする間、この人は例えば「Snow Peak」というブランドがあり、こだわりのある「焚火台」のある製品を認知することもあるはずだ。

この経路は我々のライフスタイルを考えてみても、特殊なものではないことは明らかだろう。しかし、この人はブランド認知前に「Search」「Share」しており、その行為はブランドに対して直接ではないにせよ間接的に影響、つまりアトリビューションしているのは明らかだ。

ブランド認知前のアトリビューションを追うことはどういう意味があるのかは別のところで記したいとは思うが、このようなことが一般的でもある以上、コミュニケーションモデル上で購入フェーズ前後に「Search」「Share」フェーズを配置することで妙な思い込みを発生させてしまわないかと心配になる。

そのため、デジタルネイティブな考え方では、全てのフェーズにおいて「Search」「Share」という行為が並走していると考えるのが必然ではないかと思う。
ブランド認知前にも何かを検索したり、シェアしたりするし、購入する前にも評判を検索したり、シェアするかもしれない。当然、購入後も使い方を確認のためにシェアしたり、使い心地などをシェアしたりもするだろう。

コメント 2020-04-30 144925

スマホでの常時接続が前提のデジタルネイティブ視点では、この2つの行為を人の態度変容に関するリニアなモデルに組み込んではいけないと考える。購入前後の「Search」「Share」配置は、まだデスクトップPCだった時代、自室でじっくり考えることを想定したものだったのかもしれない。

さて、ここから今回のタイトルにもある「ソーシャルアーカイブ」について触れていきたい。人が「Search」「Share」する、ということは当然その対象がなければならない。その対象とは「ネット上で検索の対象になるコンテンツ群」である。
「Share」するものは、公開範囲レベルの違いはあるにせよ同時に「Search」対象になる。また個人、メディア、企業などが様々な"1ユーザー"(例えばTwitter上ではほぼ等価な1アカウントである)と考えれば、極論かもしれないが全てのコンテンツは等価な「Share」であるという見方もできる。
私はこうした「ネット上で検索の対象になるコンテンツ群」のことを「ソーシャルアーカイブ」と呼びたいと思う。なおデジタルネイティブ視点では、デジタルではないコンテンツは"存在しない"ため、その要素であるところの記号もまたデジタル上にだけ存在するということは興味深い。

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日々、様々な強い記号=言葉が生まれている。最近では「ロックダウン」がそれだろう。某知事からの発信がブレイクポイントだったのかもしれないが、発信直後から多くのSNS上でこの言葉が訳知り顔の人々によって「Share」され、訳のわからない人々が「Search」したのは明らかで、そうした繰り返しの中で「ロックダウン」という記号は、様々な思惑をまとい、急速にコンテクストを成長させていった。法律的にほぼ整備されていない状況での発信は「できる」「できない」といった根本的な答えさえ曖昧にし、それがまたコンテクスト成長のエネルギーになっていったのは面白い。
つまり、世に記号を"産んだ"のは某知事だったのかもしれないが、人々による「Search」「Share」は"孵卵器"としてのソーシャルアーカイブへの絶え間なる熱量の供給だったと考えられる。

デジタルネイティブ視点でのマーケティングにおいては、こうした「ソーシャルアーカイブ」は完全には操作できない、もしくはマーケティングする前から存在していることも前提に進める必要がある。
いま自社ブランドの強みは、ソーシャルアーカイブ上でどのようなコンテクストをまとった記号なのか?を知り、最もポジティブでボリュームの大きい記号を"オウン"する必要がある。
ちなみにいまだに"オウン"を日本語でうまく表現できてないのだが、悪い言い方をすれば「我が物にする」だし、ゴールを見据えた言い方をすれば「代名詞とする」としてご理解いただきたい。
もし、すでにオウンすべき強いコンテクストを持った記号がないのであれば「ソーシャルアーカイブ」に対して、信頼に足りうるブランドの遺伝子を提供し、熱量によって育てられなければならない。
その熱量をブランド側からも提供する必要があるが、人々から提供されることも必須だ。こうしてみればファンマーケティングもソーシャルアーカイブを"正しい方向”に導く手段であるといえるのかもしれない。

先に言ったようにブランドは、ソーシャルアーカイブ上の記号を完全に操作することはできない。そのため、マーケティングは緩やかなガイドを付けるようなものだと思う。広告コピーは記号化をぶれさせないメタ記号であり、デザインや動画は記号のコンテクストをポジティブにするものだと思う。

最後に、このようなデジタルネイティブな視点は全ての人にとってのネイティブではない。だが今回のコロナ禍は確実に人々のデジタルネイティブ化を進めていくだろう。その変化の中で引き続き「ソーシャルアーカイブ」が社会にどのような影響を与えていくのか観察していきたいと思う。



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