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「AI」という記号

本のタイトルは記号性の強い言葉にあふれている。その中でもこの5年ほどで頻出している記号が「AI」ではないかと思う。amazonで「過去30日間の出版×AI」で検索してみても、59件もの検索結果(2020年4月28日現在)が出たのは、今なおAIには強いニーズがあるからと考えられる。

その中身はエンジニア向けが多いのだが、ビジネス一般向けにAIがどのように世界を変えるのか?といったようなフレームについての本も多い。そういった本に見られるのが「AI」とは必ずしも未来についてのまっすぐな展望を描いているのではなく、「AIは近い将来、人の仕事を奪う」という恐怖に基づいているのが分かる。
例えば、自分の興味深かった本で説明すると「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(新井 紀子著)はAIについて本ではない。端的に言うと「教科書が読めない子供こそがAIに仕事を奪われる可能性があるので読解力教育を何とかしなければならない」という本である。

このように「AI」はテクニカルな用語にも関わらず、その言葉を取り巻く空気、コンテクストは単なる機械学習的なものから、真の知性(そんなものが10年以内に出現するとは思えないが)まで非常に幅白いものになっており、使用頻度の割に定義がぶれているのも「恐怖」の源泉になっているのかもしれない。

「AI」について回る「恐怖」のコンテクストをポジティブに活用したコミュニケーションが「AI-CD β」だ。

もう3年も前の話になるので古いかと思いきや、未だメッセージが新鮮なままなのは本当にすごいと思う。この後、様々な会社がAIによるクリエイティブ、もしくはそのスキームを発表しているが、「AI-CD β」のインパクトを超えているとは思えない。
例えば、別の会社はAIによるコピーライターを発表したがそのコピーライターはかわいいキャラクターの姿をしているのが特徴的だ。そして、このキャラは「正しい」と思う。

しかし「AI」は前述のとおり、未来であり、かつ恐怖というコンテクストを持つ両性具有の言葉である。その恐怖の側面をどのように表現するのか?ということを深く認識していない限り、「AI」を使うことで人の気持ちを動かすことはないと思う。

「AI-CD β」の場合、その姿は謎の半球とロボットアームになっている。SF映画にも出てきそうなフォルム、そしてスチームパンクともいうべきロボットアーム。そして何よりリアルに「受肉」しているのが特徴だ。正直怖い。さらに彼は名刺を持ち、往年のクリエイティブディレクターさながらに筆でコンセプトをしたためるのだ。ちなみに中身のAIはそれほどすごくないらしいというのも「AI」の本質を捉えていると思っている。

かつてのクリエイティブディレクター様は神のような存在であり、恐怖でもあった。(個人的な経験もあるが・・・)
そうした恐怖の別コンテクストとのシナジーを演出できている「AI-CD β」は存在するだけでメッセージできているという稀有な存在である。
もちろん「クリエイティブディレクター」というものが身近に存在し、そのコンテクストを持っている人(つまり広告業界の人)にこそ刺さってしまう内輪受けという批判的な側面もあるが、他にこの恐怖のコンテクストを持っている「AI」は存在しないのではないかと思う。

もしかするとLINEのAIりんなさんなどAIチャットボットは毒づいたりもするので、恐怖とまではいかないがその人間味のような「不必要な機能」が「AI」にコンテクストとして今後ますます必要になるのかもしれない。

これらはAIを開発するエンジニアや研究者にはなかなか着目できないポイントかもしれないが(実はたくさんいると思うが・・・)コンテクストの専門家でもあるマーケティングプランナーは、この「AI」についてもっと関われることがあるなと感じた次第である。

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