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疑心暗鬼のほぐし方

現在暮らす高原に移り住んで16年目。
今ではご近所には親しい友人たちがいて、オープン以来の常連様もいて、地域の役員をやったりして知り合いも増えて、いろんなご近所さんの顔と名前がわかるようになりました。
店は地域から幹線道路へと続く出入り口付近にあるため、前の道路を近所の人たちの車がよく通ります。運転手の顔までは見えなくても親しい人の車種は覚えているので、店内から彼らの車が通るのが目に入ると、「お、〇〇ちゃん出動~」とか、「〇〇さん、おかえりー」とか、勝手に独り言ちているわたし。

でも、16年前は全然違いました。
店をオープンさせたばかりの16年前の秋。
誰もお客様のいない店内で、時間を持て余したわたしが一人寂しく外を眺めていた時も、店の前をご近所さんと思われる車が行き来していました。
でも、当時は当たり前ですが知らない人ばかりで、どの車も誰なのかさっぱりわかりません。運転席にいるのは近くに暮らす誰かなのだろうけれど、全然見知らぬ人たちです。
出来たばかりの暇な喫茶店の前で、スピードを緩めることなくシャーっと通り過ぎてしまう車に向かって、当時のわたしは思っていました。
「こっちのこと、見もしないわー」。
そして店の前でスピードを緩め、運転席からチラッとこちらへ視線を向ける人に対しては、「なに見てんのー」。
見ても見なくても、どちらにしても気に入らない。非常にめんどくさい精神状態です。
あの時の車に乗っていた人達は、今では知ってる誰かであるに違いなく、誠に申し訳ありませんでした。

未知の存在は、人を疑心暗鬼に陥れます。
知らない人ばかりの中にポーンと入り込んで、慣れない環境で不安だった16年前を思い出して、そう思います。でもきっと、地域の人達にとっても新しくやってきた住人は「知らない人」なわけで、お互い様なんだろうな、と思います。
日々ご近所さんと少しずつ関わって知り合っていく中で、疑心暗鬼はじわじわとほぐれていきました。
人間関係は煩わしいし、距離感も難しいし、時には嫌な思いをしたり傷つくことも傷つけてしまうこともあるけれど、わたしにとっては、この16年間は救われることの方が圧倒的に多かったです。

今年1月に思い切ってnoteをはじめて、16年前のあの気持ちを思い出しました。
今までブログ以外にSNSは一切やっていなかったので、「フォロワー」とか「コメント」に恐れおののきずいぶん失礼をしたと思います。
そして素晴らしいクリエイターに「スキ」をしたり、見知らぬ人々からの「スキ」に喜んだりする日々が始まりました。
noteの皆様は「見知らぬ人」ではありますが、文章や作品などからはその人を窺い知れる部分がかなりあると思いました。むしろ、名前や顔や家だけを「知っている」人よりも、知る部分はあるのかもしれません。
noteでも疑心暗鬼をほぐしつつ心を強く持ち、「『書くこと』と『読むこと』が好き」という同じ世界にいる人々と、良い関係を築いていけたらいいなと思っています。

器が小さく非社交的なわたしは手に余る数のフォローができません。本当に申し訳ありません。でも「スキ」する時は必ず読んでいます。

それでは皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


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