見出し画像

祖母の言葉を思い出す

もう20年近く前のことですが、イラクで日本人が誘拐されるという事件が度々起こった年がありました。
当時たまたま実家に帰省していて、祖母と2人で居間でお茶を飲んでいたところ、つけっぱなしのテレビから、人質となり犯行グループに残酷な形で殺されてしまった1人の日本人青年のことがさかんに報道されていました。

わたしは、祖母に向かって言いました。

「なんて酷いことだろう。彼と彼の家族のことを思うといたたまれない。もしも自分の大切な人に同じことが起こったら、わたしには耐えられないと思う」

いろんなことをすぐに自分と引き合わせて想像してしまうわたしは、込みあがってくる涙を堪えてそう言いました。
すると、向かい合って座っていた祖母が、テレビ画面をじっと見ながら応えました。

「そうだね。本当にむごいことするね……。だけど……」

祖母の「だけど」を聞いた瞬間、わたしは構えました。
当時、日本では「自己責任論」が渦巻いていたからです。危険とされている地域に自ら赴き誘拐されたのだから「それは自己責任だ」という論調が、政治家の発言にもマスコミにもネットにも溢れていました。
だから祖母の「だけど」の続きが、「自己責任」なのかもしれないと、一瞬わたしは構えたのです。

でも、違いました。
祖母はテレビから目を離し、続きをわたしの目を見ながら、静かに、穏やかに、けれどもきっぱりと言いました。

「……だけどね、戦争は、もっと酷いことをするよ」


しばし絶句したのち、「……そうか……」と呟くことしかできなかったわたし。
「もっと酷いこと」を知りたいと思わなかったし、祖母もそれ以上何も言いませんでした。

できることなら、わたしの知る「酷いこと」も、祖母の知る「もっと酷いこと」も、もうこれ以上起こらない世界であってほしい。

今は亡き祖母の、あの言葉の重みを思い出すこの一年です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?