お誕生日にもの申す
日本に在住している中国人のお客様からバースデーケーキのご予約をいただいた。
中国では自分の誕生日のケーキは自分で用意するらしい。家族や友人からはプレゼントをもらうので、用意したケーキをお返しにご馳走するという習慣だそうだ。
しかし、そうなるとケーキの上に乗っかっているメッセージプレート(チョコとかクッキーでできたやつ)は自分で自分に対してのメッセージを考えるということになる。
いったい、中国ではメッセージプレートにどんな言葉を入れているのだろう?
話は変わるが、みなさんは人のお誕生日を祝うとき、「〇〇さん、お誕生日おめでとう」と言ったりはしていないだろうか?
これは実に不可解なことだ。
私の知るかぎり年を経ることが嬉しいと感じている人はいない。もちろん、誕生日を楽しみにしている人は多いだろうが、それはみんなが祝ってくれてプレゼントをもらえるからだ。
そう考えると、なぜ「おめでとう」なのか?
そもそも「おめでとう」という言葉は、努力でなし得たことに対して使うものであって、なにもしていないのに年だけとって「おめでとう」というのはおかしい。
「私は頑張って今年は2つも年をとりました!」という人が現れたら、「おめでとう」と言ってあげるべきだが、いまだにそういった人に出会ったことがない。
そう考えると、自動的に死に近づいていき、そのこと自体は嬉しいとも思っていないのに「おめでとう」という嫌味としか思えない言葉を浴びせられる。なぜこのような不可思議なことになってしまったのだろう。
「祝う」=「おめでとう」とは限らない。「よかったね」とか「がんばったね」という祝福もあるはずだ。そこで代替案を提案したいと思う。
たしかに年をとることは好ましいことではない。しかし、周囲にいる人からすればその人が生まれてきたこと、自分と関わってくれたことに対する感謝がある。この気持ちを誕生日という節目に伝えたいわけだ。
そこで「家族(友人)でいてくれてありがとう」もしくは、「ただ、いてくれてありがとう」というのはいかがだろうか?
日本人は人に感謝の気持ちを伝えることが苦手と言われている(知らんけど)。とくに身近な人にはなおさらだ。そこでこの年に一度のチャンスを利用してその気持ちを伝えるのだ。
なにかをしてくれたから「ありがとう」ではなくて、存在していてくれて「ありがとう」。
この習慣が広まれば、日本人の幸福度も少しは上がるかような気がする。わたしはさっそく妻の誕生日に「おめでとう」とは言わず、「ただ、いてくれてありがとう」と伝えてみた。
「は?」
まあ、わたしのように逆に幸福度が下がるケースもあるかもしれない。
しかし、変化というものは最初からは受け入れられないものだ。この話に共感した人はぜひ試してほしい。そして、その時はうちでバースデーのご予約もしてほしい。(これが言いたかっただけ)