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最後は家族と

私は夢が無いです。
健康で毎日笑顔で楽しく過ごしたい。それだけです。
もしかしたらそれが「夢」なのかもしれません。そう思っていました。
10代の時は、「外国に住みたい」「外国で起業したい」「結婚して可愛い子どもに会いたい」。。。
沢山の夢がありました。そして、31歳になった時に全て叶い、それから夢が無く、日々の育児や仕事に追われて、何かやりたい事もなく、何かを考える時間もなく、ただ時間だけ過ぎていく毎日でした。

ただ一つの出来事が私を変えました。
今年の初めに私は祖母を亡くしました。
年明け早々、家族から連絡が入りすぐに日本に帰り、
祖母は病院で酸素マスクを着けて苦しそうな姿を見て何度も涙が出ました。
私の姉は医療従事者。知識も沢山あり、
「祖母は病院で死を待つだけ。たった1人で死んでいく」
「自分が死ぬ時考えて!1人で死にたい?身体に沢山の器具を付けられて、モニター見られるだけの最後。」
「私だったら絶対嫌!」
と。。。
家族とドクター達と沢山話し合いをし、家で祖母を家族みんなで看取る選択をしました。
亡くなる前の数日間、毎日祖母の友人や近所の方々、沢山の家族が会いにきてくれ、良い時間を過ごし祖母は嬉しそうでした。
どんな形であれ最後は家族に囲まれて。。。。。

祖母の葬儀の時、沢山の方が
「本当に良かったね〜」
「沢山の人が会いにきてくれて良かったね〜」
「一緒に枕ならべてみんなで寝たのはいつぶり?家族って良いね」と言ってくれました。
その経験をした事で私も自分の最後をどう過ごすかを考えました。
そして、“家族が1番“
きっと家族みんなそう考えたと思います。
「やっぱり、私も病院で1人死を待つので無く、家族に見守れながら死にたい。
喋れなくても、身体を動かせなくても、最後は家族から沢山の温かさを感じたいし、感じさせてあげたい。」そうおもいました。
いい人生だった。って思いたいし、思ってもらいたい。

„両親の最後は家で看取りたい“
強く思いました。
まだ健康で病気もない両親ですが、いつ体調を崩すかも分かりません。
数年後には日本に帰り、両親の近くで生活をしたい。
これが、私の夢になりました。
近い将来、家族の近くで生活できるように何をすべきなのかを考え、今それにむかって精進している日々に変わりました。
本帰国した時、自宅で仕事ができるようにしたい。
パソコン、もしくはIPad ひとつで仕事ができるようになりたい。
“知識、技術を身につけないといけない“と。
思いが行動を変えるようになりました。
仕事や育児に毎日追われていますが、空いた時間を使い勉強をするようになったんです。
そして、知らないことを学ぶことがどれだけ楽しいかにも気づけました。

1年前と今とではまったく違う時間の使い方。まったく違う行動。
人生についてまったく違う考え方。となりました。
そして、気づいた事もあります。

夢の延長線に沢山の目標がある。その目標を全てクリアできた時
夢が叶う瞬間なんだろうな、、、と。
私にとって夢はゴールであり、
夢を叶える為にひとつひとつの目標をクリアしていく事だとおもいます。

偉業を成し遂げた先人達は、いつも
夢をもて!行動に移せ!と言います。
それが、なんとなく分かったような気がします。

私の夢は“最後は家族と“
もしかしたら、平凡な夢かもしれません。でも、私にとっては私の人生で一番叶えたい夢になっています。

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