見出し画像

仕事の厳しさと、任せる事の緊張感を、自分の背中が覚えている

 加賀美さんから電話がくると少しドキーッとする。正直なところ、ドキーッではなく「ビクッー!」としているのだが、若者とは言えない大のオトナがそれ以上のオジサマに怯えているなんて、誰にも、いや、自分自身が認めたくはない。

「あーあーあー。おつかれさまです。おつかれさまです!よし」
そんな発声練習をしてから、スマホの画面を右にスワイプした。

「おつかれさまです!ご無沙汰してます!」
「おぅ。いま、なにしとんのや」
怖っっっわ!しかし、ビビってなんていられない。それがバレてしまうと、加賀美さんは気分を害してしまう。今まで、理不尽さをぶつけられた事は無いのだが、私の直感は警告を告げている。

―言動に気を付けろー

「いまは、自宅ですね。どうしたんですか」
直立不動で応えた。電話なら姿が見えないからといって、言葉だけは丁寧にしている人間は信用できない。態度は声に反映されるからだ。

「おーそうか、駅前で呑んでるんだけどよ。おめぇ来ねぇか?」
「はい、行きます!20分くらいで伺えますが、大丈夫ですか?」
「そんな急がなくていいがら、気を付けて来いよ。店はLINEするわ」
「了解しました。ありがとうございます!それでは失礼します」

*****

 大学時代、私は日雇いの肉体労働に精を出していた。そこの社員さんが加賀美さんだ。その職場は学生アルバイトが多く、サークル活動の延長のような雰囲気になる事があった。加賀美さんは人一倍仕事に厳しかったから、そんな甘えた空気を鋭い眼光で切り裂いていた。切り裂かれてしまった甘ったれた空気は、氷水のように背筋を冷やしてくる。そんな未知の経験に「これが働くって事か」と、妙に感動してしまった。

 私は元来、人見知りが激しく、めんどくさい事を避けて通る技術だけは長けており、加賀美さんと話さなくてもいいようにと、先輩の陰に隠れていた。その、つもりだった。後から聞いた話では、「アイツ、オレの目から逃げてやがんな」と早々にバレていたらしい。

「おい、お前。今から俺についてこい」
「え?オレっすか?」
それだけで、緊張が走った。周りのメンバーを見渡しても、先輩が「ご指名だぞ」と言う目つきで顎を少し上にあげた。やはり自分が行かねばならないらしい。
「そんなにビビんなって。行くぞ」
「はいっ!」

仕事自体は大した事はなかったのだが、怒られたくない故に丁寧にやりすぎて「そんな時間かけなくていいがら」と、鼻で笑ってくれた事すら覚えている。

当時の私は偉い人に憧れていた。仕事で結果を出して肩をぶんぶん回して、誰にも媚びずにみんなにチヤホヤされたい、と。街中でサラリーマンが電話越しに頭を下げている姿を見ては、「ダサいな」と感じていた。そう考えていた私にとって、加賀美さんの姿は憧れだった。

****

 私は大学を卒業するまでそのバイトを続けた。身体が小さかった割には長続きした方で、4年生の時にはトンカチを道具袋に入れて現場を闊歩していた。加賀美さんとも打ち解け、人並に会話できる程度にはなっていたものの、やはり名前を呼ばれるたびに背筋が伸びた。

 繁忙期。現場が重なって人手が足りない時に加賀美さんと自分だけで現場を任される事があった。現地に向かうまでの時間、電車の中で何度も頭の中でシミュレーションを繰り返すと、鼓動が高鳴るのがわかった。今思えば、アルバイトなのだから、そう緊張することも無いのだが、「お金が欲しい」「加賀美さんに認められたい」で言えば、後者の方が自分を駆り立てていたのは明らかだった。現場に到着して、まずはじめに加賀美さんに挨拶をした。
「おはようございます」
「おう。おはよう。今日頼むぞ」
いつも頼っている人にそう言われて、より気合が入った。

 その日は案の定、想定外の事が起こり現場を駆けずり回った。「ここやっとけ」「ここやっとけ」と仕事をこなしてもこなしても終わらなかった。

 どうしても自分では判断ができない事があって、加賀美さんを探した。やっとの事で見つけ出すと電話をかけながら頭を下げる加賀美さんがいた。
「はい。はい。それですね。今終わらせますので。はい。すいません。よろしくお願いします」
 相手の声が聞こえなかったが、謝っているのは自分が任された作業だという事は分かった。申し訳ない気持ちで電話終わりに話しかけると、いつもと同じようにやるべき事だけを教えてくれた。

******

加賀美さんと会えば、あの頃の記憶が思い出される。
「あの時は、ご迷惑おかけしました」
「まーだ、そんな事いってんのか?」
と言って笑う。そんな、やりとりがいつもの事だ。

******

仕事の打ち上げで、聞いた事がある。
「周りの仕事が遅くて、待ったり、嫌味を言われるのってしんどく無いですか?」

「あのなぁ。仕事はひとりじゃ出来ねぇだろ。おめーらがいねぇと、何もできねぇんだからよ。待つのも仕事、謝るのも仕事だべ。なぁ?」

初めて聞く、子供を諭すような口調だった。

******

 誰かの為にならば頭を下げることだって尊いと知った。社会はおろか、人の心に対してあの頃の自分はあまりにも無知だった。
 年を重ねて今では後輩も増えてしまい、怒られてしまう事も減ってきた。けれども加賀美さんに会うと背筋が凍った、あの時の初心を思い出す。
 家路に着くと、なまった身体をストレッチするような心地よさが、私を包んでいる。

#はたらくってなんだろう



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?