キャディーズ|星野リゾート

温泉・ゴルフ・神社巡りを中心に、星野リゾートブランドが展開する地域の魅力、心躍る体験を…

キャディーズ|星野リゾート

温泉・ゴルフ・神社巡りを中心に、星野リゾートブランドが展開する地域の魅力、心躍る体験を紹介します。投稿内容は個人の見解です。

マガジン

  • 死ぬまでに一度は行きたい温泉巡り

    教科書にも登場する偉人たちの温泉巡り

  • 死ぬまでに一度は行きたい神社巡り

    神社に関する記事

  • 死ぬまでに一度は行きたい名門コース

    北から南まで、全国どこにでもコースはあって、それぞれの土地が持つ空気や匂い、見せる景色は全然違う。トーナメントが開催される名門ゴルフコースからリゾート感あふれるゴルフリゾートまで。死ぬまでに一度は行きたい名門コースをご紹介します。

記事一覧

【兵庫】天下人・豊臣秀吉が惚れ込んだ「有馬温泉」

有馬温泉の歴史 有馬温泉は、日本の三古泉の一つとして、古くから多くの人たちに親しまれてきた歴史ある温泉街である。 古くは神話の時代にまで遡り、日本書紀や枕草子な…

【山梨】戦国武将きっての温泉LOVER・武田信玄と「湯村温泉」

戦国最強の武田軍を率いた 武田信玄 武田信玄は、1521年11月3日、甲斐源氏の嫡流にあたる名家・甲斐武田氏の嫡男として生まれた。 甲斐(現在の山梨県)の守護大名だった…

【宮崎】初代天皇の父、ウガヤフキアエズの誕生/鵜戸神宮

ウガヤフキアエズの誕生 ある日のこと、天孫ニニギの後継者となった山幸彦こと火遠理命のもとに、妻であり、海の神ワタツミの娘、豊玉毘売が、海の国から訪ねてやってきた…

【宮崎】海幸彦と山幸彦の争い/青島神社

前回の続き 二ニギとコノハナサクヤビメとの間に生まれた三兄弟。それぞれの名を ・[長男]火照命(ホデリ) ・[二男]火須勢理命(ホスセリ) ・[三男]火遠理命(ホ…

【静岡】富士山麓に祀るコノハナサクヤビメとは/富士山本宮浅間大社

二ニギの結婚 ある日、ニニギが笠沙の岬(現在の鹿児島県薩摩半島の西南部)に足を運んだときのこと。 そこで、一柱の美しい女神と出会った。 名を木花之佐久夜毘売と言…

【鹿児島】ニニギの天孫降臨/霧島神宮

前回までのお話 さて、葦原中国(地上界)はオオクニヌシにより国造りが成され、アマテラスの使者・タケミカヅチによって国譲りが完了した。 これによって遂に、高天原(…

【兵庫】日本ゴルフコース設計の父、チャールズ・H・アリソンと「廣野ゴルフ倶楽部」

日本ゴルフコース設計の父 チャールズ・ヒュー・アリソン 1883年、チャールズ・ヒュー・アリソンは英国ランカシャー州プレストンに生まれる。 5歳のころからゴルフに熱…

【静岡】初代征夷大将軍・源頼朝が浸かった「伊豆長岡温泉」

前回のお話はこちら 北条政子 初陣である平治の乱に敗れた源頼朝は、1160年(永暦元年)から約20年もの期間、伊豆国の「蛭ケ小島(現在の伊豆の国市)」に流刑となった。 …

【神戸】平氏の棟梁・平清盛も湯治した「湊山温泉」

日本の歴史を語る上で欠かすことができないキーワードがあるとすれば、それはきっと「武家政権」だと思う。 武家政権は、平安時代(794年~1185年)末期に、貴族階級の衰…

【三重】清少納言が選ぶ平安時代の温泉BEST3は?「榊原温泉」

平安のベストセラー作家 清少納言 平安時代に執筆されたとされる随筆「枕草子」は、1000年以上の時を経てもなお読む人を楽しませている平安文学の傑作だ。 その著者・清…

オオクニヌシの国譲り〜後編〜/出雲大社、諏訪大社、鹿島神宮

オオクニヌシの国譲り 後編 出雲国の伊那佐の浜(現在の島根県稲佐の浜)に降り立った武御雷神。 タケミカヅチは、黄泉の国から帰ってきたイザナギの十拳剣から生まれた…

【島根】オオクニヌシの国譲り~前編~

オオクニヌシの国譲り 全編 さて、大国主命は、国造りを見事成し遂げ、葦原中国(地上界)は、大層栄え、賑わっていた。 しかし、これを見ていた天照大神を始めとした高…

【奈良】一寸法師も登場!オオクニヌシの国造り/「大神神社」

大国主命の国造り スクナビコナ編 ある日、大国主が、出雲国の美保崎(現在の島根県にある美保関)にいると、海の向こうから小さな小さな神様がやって来た。 どれくらい…

【島根】縁結び「出雲大社」の神様は恋多きオオクニヌシ様

前回までのお話 因幡国(現在の鳥取県東部)に八上比売という、大変美しい姫がいると聞いた八十神たちは、オホナムチに荷物を運ばせて、結婚を申しこみに行くのだが、ヤガミ…

【鳥取】因幡の白兎伝説、八十神の迫害/伝説の舞台となった「白兎神社」

さて、無事ヤマタノオロチを倒したスサノオは、クシナダヒメと夫婦になり、その間に八島士奴美神という子供が生まれた。 そしてさらに時は流れ、そのヤシマジヌミの子孫に…

「稲荷大社」や「浅間大社」に祀られる山の神・オオヤマツミの娘たち

ヤマタノオロチを倒したスサノオノミコト。 めでたくクシナダヒメと結ばれたスサノオの間には八島士奴美神という神が生まれ、その子孫に大己貴命が誕生する。 オホナムチ…

【兵庫】天下人・豊臣秀吉が惚れ込んだ「有馬温泉」

有馬温泉の歴史 有馬温泉は、日本の三古泉の一つとして、古くから多くの人たちに親しまれてきた歴史ある温泉街である。 古くは神話の時代にまで遡り、日本書紀や枕草子など様々な文献にも登場している。 有馬温泉の守護神として名高い湯泉神社の縁起によれば、泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大国主大神(オオクニヌシ)と少彦名命(スクナビコナ)の二柱の神であった。 まだ日本という国がなかった頃、二柱の神は国造りのために全国を巡り歩いていた。 そして、有馬を訪れた時、三羽の傷ついた

【山梨】戦国武将きっての温泉LOVER・武田信玄と「湯村温泉」

戦国最強の武田軍を率いた 武田信玄 武田信玄は、1521年11月3日、甲斐源氏の嫡流にあたる名家・甲斐武田氏の嫡男として生まれた。 甲斐(現在の山梨県)の守護大名だった武田氏は、信玄の父・武田信虎の時代に戦国大名となり、のちに隆盛する武田氏の基礎が築かれた。 信玄は、幼いころから神童と評されるほど、武術にも学問にも優れていた。 しかし、父・信虎はそんな賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろうとしていた。 そのため、21歳になった信玄は、重臣達を味方に付け、父を娘婿

【宮崎】初代天皇の父、ウガヤフキアエズの誕生/鵜戸神宮

ウガヤフキアエズの誕生 ある日のこと、天孫ニニギの後継者となった山幸彦こと火遠理命のもとに、妻であり、海の神ワタツミの娘、豊玉毘売が、海の国から訪ねてやってきた。 話を聞くと、どうやら、トヨタマビメはホオリの子を身籠ったそうだ。 出産を間近に控え、天津神の子孫である以上、海の中で産んではならないと考え、こうして地上までやってきたのだ。 これを聞いたホオリは、すぐさま産屋を建て始め、産屋の屋根には、鵜の羽根が使われた。 (鵜は安産の守り神であると考えられていた) しか

【宮崎】海幸彦と山幸彦の争い/青島神社

前回の続き 二ニギとコノハナサクヤビメとの間に生まれた三兄弟。それぞれの名を ・[長男]火照命(ホデリ) ・[二男]火須勢理命(ホスセリ) ・[三男]火遠理命(ホオリ) といった。 長男ホデリは、すくすくと育ち、漁師となった。 釣り道具を使って海の幸(魚)を獲り生活をしていたので、「海幸彦」と呼ばれた。 そして、三男ホオリも、すくすくと育ち、猟師となった。 弓矢を使って山の幸(獣)を狩って生活をしていたので、「山幸彦」と呼ばれた。 このお話は、長男・海幸彦と、

【静岡】富士山麓に祀るコノハナサクヤビメとは/富士山本宮浅間大社

二ニギの結婚 ある日、ニニギが笠沙の岬(現在の鹿児島県薩摩半島の西南部)に足を運んだときのこと。 そこで、一柱の美しい女神と出会った。 名を木花之佐久夜毘売と言い、山の神・大山祇神の娘であった。 (オオヤマツミには他にもスサノオに嫁いだ娘や孫がいる。以下参照) 二ニギは、そのあまりの美しさに一目ぼれをし、一目でコノハナサクヤビメを妻にしようと決めた。 そして、すぐさま、コノハナサクヤビメの父であるオオヤマツミに結婚を申し込みに行った。 これを聞いたオオヤマツミは、

【鹿児島】ニニギの天孫降臨/霧島神宮

前回までのお話 さて、葦原中国(地上界)はオオクニヌシにより国造りが成され、アマテラスの使者・タケミカヅチによって国譲りが完了した。 これによって遂に、高天原(天上界)の神々、いわゆる天津神による地上の実効支配を迎えようとしていた。 ニニギの天孫降臨 アマテラスは、かつてスサノオとの誓約の儀で、自身が身につけていた勾玉から生まれた天忍穂耳命にこう言った。 「葦原中国の平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」 しかし、当のアメノオシホ

【兵庫】日本ゴルフコース設計の父、チャールズ・H・アリソンと「廣野ゴルフ倶楽部」

日本ゴルフコース設計の父 チャールズ・ヒュー・アリソン 1883年、チャールズ・ヒュー・アリソンは英国ランカシャー州プレストンに生まれる。 5歳のころからゴルフに熱中し、腕前はスクラッチプレーヤー(ハンディキャップ0)だったといわれるほど。 オックスフォード大学時代にはケンブリッジ大学との混合代表チームのメンバーとして米国に遠征し、6勝無敗の成績を残すなど、さまざまな偉業を達成している。 造園学部を卒業後は、ロンドン郊外バッキンガムシャーにあったストーク・ポージス

【静岡】初代征夷大将軍・源頼朝が浸かった「伊豆長岡温泉」

前回のお話はこちら 北条政子 初陣である平治の乱に敗れた源頼朝は、1160年(永暦元年)から約20年もの期間、伊豆国の「蛭ケ小島(現在の伊豆の国市)」に流刑となった。 伊豆での源頼朝の生活は、流人としては比較的自由なもので、平氏による監視も緩やかなものであった。 しかし、土地を所有することも、家来を持つことも、当然伊豆国の外に出ることも頼朝には認められておらず、その社会的地位は否定されていた。 そんな頼朝が30歳のとき、伊豆国の豪族である北条時政の娘、北条政子と結婚

【神戸】平氏の棟梁・平清盛も湯治した「湊山温泉」

日本の歴史を語る上で欠かすことができないキーワードがあるとすれば、それはきっと「武家政権」だと思う。 武家政権は、平安時代(794年~1185年)末期に、貴族階級の衰退と武士階級の飛躍的台頭が起こり、武家が独自の権力と組織をもって行なった政治的支配が始まりである。 日本で初めて武家政権ができあがったのは平清盛による平氏政権だ。 しかし、平氏政権は武家の政権ではあったが、独自の武士階級としての権力と組織をもたず瓦解したため、次の源頼朝による鎌倉幕府の成立をもって正式な武家

【三重】清少納言が選ぶ平安時代の温泉BEST3は?「榊原温泉」

平安のベストセラー作家 清少納言 平安時代に執筆されたとされる随筆「枕草子」は、1000年以上の時を経てもなお読む人を楽しませている平安文学の傑作だ。 その著者・清少納言は、紫式部と並び、平安時代を代表する女性作家のひとり。 しかし、清少納言の正式な本名は残されていない。 平安時代、天皇の后や身分の非常に高い貴族などを除き、本名は「忌み名」に通じる「諱」と言われ、親やとても親しい間柄などでないと使ってはいけなかった。 清少納言の「清」は、父・清原の姓に由来し、「少納

オオクニヌシの国譲り〜後編〜/出雲大社、諏訪大社、鹿島神宮

オオクニヌシの国譲り 後編 出雲国の伊那佐の浜(現在の島根県稲佐の浜)に降り立った武御雷神。 タケミカヅチは、黄泉の国から帰ってきたイザナギの十拳剣から生まれた非常に強力な武神である。 そのタケミカヅチが、大国主を前に、十拳剣を抜いて逆さまに立て、その剣先の上にあぐらをかいて座り、異様な出で立ちで、こう尋ねた。 「この葦原中国(地上界)は、天上界の御子が治めるべきと天照大神は仰せである。そなたはどうお考えか」 オオクニヌシは、自分が答える前に、息子である事代主神に聞

【島根】オオクニヌシの国譲り~前編~

オオクニヌシの国譲り 全編 さて、大国主命は、国造りを見事成し遂げ、葦原中国(地上界)は、大層栄え、賑わっていた。 しかし、これを見ていた天照大神を始めとした高天原の神々は、「この地上を治めるべきは、吾が一族。」と言い始め、天の神々を地上界に派遣することを決めた。 最初に派遣されたのは、アマテラスの御子神、天忍穂耳命だった。 アメノオシホミミは、かつてスサノオが自身の潔白を証明するために挑んだアマテラスとの誓約で、アマテラスの身に付けていた「八尺瓊勾玉」から誕生した5

【奈良】一寸法師も登場!オオクニヌシの国造り/「大神神社」

大国主命の国造り スクナビコナ編 ある日、大国主が、出雲国の美保崎(現在の島根県にある美保関)にいると、海の向こうから小さな小さな神様がやって来た。 どれくらい小さいかというと、乗って来た舟はガガイモの実の殻でできており、自身は蛾の皮でできた着物を纏っていた。 しかし、オオクニヌシが名を尋ねても、この小さな神様は返事をしない。 誰だろうと思っていると、そこにヒキガエルの神・多邇具久が現れて、「これは、カカシの神・久延毘古に聞けば分かるはずだ」と言った。 そこで、クエ

【島根】縁結び「出雲大社」の神様は恋多きオオクニヌシ様

前回までのお話 因幡国(現在の鳥取県東部)に八上比売という、大変美しい姫がいると聞いた八十神たちは、オホナムチに荷物を運ばせて、結婚を申しこみに行くのだが、ヤガミヒメが結婚相手に選んだのはオホナムチだった。 怒った八十神たちに何度も殺されそうになるオホナムチは、遂にはスサノオがいる根の堅州国(黄泉の国)にまで逃げたのだった。 根の堅州国の試練 さて、執拗な八十神たちの追撃を退け、何とか根の堅州国へと逃げ込んだオホナムチは、祖先であるスサノオを頼ることにした。 ※オホナ

【鳥取】因幡の白兎伝説、八十神の迫害/伝説の舞台となった「白兎神社」

さて、無事ヤマタノオロチを倒したスサノオは、クシナダヒメと夫婦になり、その間に八島士奴美神という子供が生まれた。 そしてさらに時は流れ、そのヤシマジヌミの子孫に大己貴命という神が誕生する。 後の大国主神(出雲大社に鎮座する主祭神)である。 ここから先は、オオクニヌシと名乗る前の、オホナムチの物語である。 因幡の白兎伝説 オホナムチには大勢の異母兄弟がいた。 この大勢の異母兄弟は八十神と呼ばれ、彼らはとても乱暴者で意地が悪かった。 オホナムチはこの兄弟たちの末っ子

「稲荷大社」や「浅間大社」に祀られる山の神・オオヤマツミの娘たち

ヤマタノオロチを倒したスサノオノミコト。 めでたくクシナダヒメと結ばれたスサノオの間には八島士奴美神という神が生まれ、その子孫に大己貴命が誕生する。 オホナムチは後に大国主と名乗り、ここから古事記は、オオクニヌシを始めとした国津神の神々の話が中心となって展開されていく。 ※国津神とは、アマテラス、スサノオが天津神なのに対し、地上で活躍する神々のこと。 オオクニヌシ誕生までの間には、かなりの数の神さまが誕生しており、中には、神社の中でもとりわけ有名な神様も誕生しているので