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大切なことは変わらない


二週間前、6年間勤めた会社が倒産して突然無職になった。90日は失業手当がもらえる予定で、貯金は100万ちょっと。


「ゆっくり休んで、自分が本当にやりたいと思える仕事を探せばいい」「これはチャンスなんだよ」「自分が望む生き方に変えていく時がきたってことなんじゃない?」と、周囲の人は口をそろえて言ってくれる。だけど、日に日に募る焦燥感とこれまでの人生への後悔が、夕方になると毎日のように四畳半の小さなわたしの部屋を荒らしにやってくる。

去年の秋ごろから自分の中で何かが動き始めているのを感じていたけれど、こんなに強制的に生活が変化することになるとは思っていなかった。新型コロナウイルスの影響で世間が混迷を極めている中、わたしは自分が思っているよりもけっこうお気楽に、安穏と日々を送っていたのかもしれない。


仕事と生き方は似ていると誰かが言っていた。だけどわたしは求人情報に隅から隅まで目を通しながら、それがやりたいと思える仕事かどうかじゃなく、我慢できるかどうかで選ぼうとしていることに気がついた。わたしの生き方ってそんな感じなのか。

仕事なんて楽しくなくて当たり前だよ、我慢して働くものなんだよ、って自分を説得しながら職業安定所で求職活動をしている。

でも正直言って、前のような生活にはもう戻りたくない。もう頑張れない。甘えるなと言われそうだけれど、これは怠惰じゃないと自分では思っているし、楽な仕事がしたいわけでもない。むしろ働く気は大いにある。

ただ私はこの6年間、というより高校を中退して働くようになってからの9年間、毎日安定剤を飲んで、過度の緊張で汗をだらだら流して、息は吸いすぎるばかりでうまく吐くことができずに、車の中でひいひい言いながら出勤していた。夜も薬を飲まなきゃ眠れないし、夜中に何度も飛び起きて、朝は心臓の痛みで目が覚めて、仕事の時間が近づくと指先が震えて、それでも当然休むわけにはいかないからまた薬を飲んで働く……の繰り返しだった。

仕事仲間のことは本当に好きだった。それだけが救いだと思う。話していて楽しいし、お互いに思いやりを持って関わりあえた。でもお店にお客さんが100人いたら100人全員の表情や仕草が気になって仕方がなくて、100人の心の中が一度にみんな透けて見えるようで、本当に頭がおかしくなりそうだった。
お客さん同士の会話が耳に入ってきて全く関係のないことなのに自分が傷ついたり、誰が誰に気を遣っているのかがわかると、何とかしなきゃ、と思ってパニックになったり、周りの人たちの力関係のようなものもなんとなく肌で感じとってしまって、人の心が読めるわけでもないのに勝手に息苦しくなったり。

他のスタッフがミスをすると自分がすべての責任を負わなくちゃならない気がして仕方がなくて、全員の仕事に気を配ることでそういう事態を避けようとすると今度は確認行動がやめられなくなる。仕事仲間は優しい人たちばかりなのに、職場の壁のしみが自分のことを憎んでいる人間たちの顔に見えてどこを見ていればいいのかわからなかった。

そんな日々と同じことをはじめからくり返すための努力なんて、もうできない。


そんな働き方を変えたいと思い始めるようになってから、何かほかに自分を活かせる仕事はないものかと模索して色々なことに挑戦してみた時期もある。その過程でたしかに喜びややりがいを感じることもあった。でもどこかすっきりしない。一歩一歩着実に進んでいるんだか、ただまごついているだけなのか。


そして、まごまごしているだけのように感じてしまう理由を、本当はわかってる。それは自分の中に捨てられない夢があるから。それは傷つき悲しむ人の心に必要とされるものを生み出したいっていうこと。誰かの居場所になるようなスペースをこの世界につくりたい。年齢も性別も肩書も関係なく、その人がありのままの自分でいられるような隙間を、このぎゅうぎゅうな世界につくりたい。それならお金をもらえなくたってやり続けたいと思える。


そういうなんの見返りがなくてもやり続けたいと思えることを誰もが仕事につなげられるようになれば、この世界はどれだけ生きやすくなるだろう。気持ちのいい生き方をしてもいいんだって、身を削るような生き方はもうやめてもいいんだって、みんなが本当に納得してそう思えるようになればいいのにな。

わたしがやりたくないことをどうしてもやりたいと思う人がいて、わたしがやりたいことを絶対にやりたくないと思う人がいる。だからみんながやりたいことをやって生きても、大丈夫なんじゃないかな。なんて、やっぱり考え方が甘いか。

とにかく、これからどんな働き方を選んでいくか、ちゃんと考えていかなくちゃならない。AdobeのPremiere Proが少し使えるから、動画編集の勉強を進めながら、本当はどんな仕事がしたいのかを明確にしていこう。レッドオーシャンだって聞いているし、ライスワークにもならない気がするけど、だからといって何もしないわけにもいかない……。

結局今まで通りの働き方に戻っていくのか、夢を追ってちがう道を選んでいくのか、選んだところでその道を進む資格が自分にあるのかどうかも、当たり前だけどわからない。


でも、どんな道を選ぶことになっても、わたしにとって大切なことは変わらない。
一番大切なことだからこそそれがどんなことなのかは誰にも言えないけど、それこそがわたしの魂が望んでいる生き方だと思うから、そこだけは絶対に守らなくちゃ。

「あなたの魂が望む道を選んでほしい」

先日、ある人にそう言われた。わたしもそうしたい。

その人は以前こんなこともわたしに伝えてくれた。

「あなたがあなたらしく生きて、それでも誰にも責められずに、幸せになってくれたらいいなって、私は思ってるよ」


そんなふうに幸せを望んでくれる人がいる。そして、わたしも同じ気持ちを抱いている。全人類に……。



仕事を選ぶことと同時に、今わたしは生き方を選ぼうとしている。少し時間がかかるかもしれないけど、何があっても変わることのない大切なものを、もう一度強い気持ちで確かめていこう。


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