寝ても覚めても自分がいる

16歳の5月、学校のトイレで薬を300錠くらい一気に飲んだ。救急車とヘリで運ばれたらしいけどその時のことはまったく覚えていない。最後に覚えているのは養護教諭の女性がもう呂律も回らなくなった私を冷たく見下ろしていた光景。時が経てば経つほどあの時の自分は嫌悪されて当然だったと心の底から思う。
ベッドの上で目が覚めた時、一番最初に目についたのは足元にいる姉の泣き顔だった。真っ赤な目で少し唇を窄めて私を見ていた。まだ意識は朦朧としていたけどベッドの上に薬が置いてあるのが見えて「薬ちょうだい」と私は言った。「何に使うの」と誰かが尋ねた。自分でもわからなかったから答えられなかった。あの時の私は薬を何に使う気だったんだろう。そこでまた意識が途切れた。

病院にいるあいだは時間が巻き戻ったり、途切れたり、異常にはやく進んだりした。私はずっと夢と現実の狭間にいて、そこらじゅうにいるはずのない存在が見えていた。
夜になると窓の外に空を覆い尽くすような巨大な月が見えた。無表情のまま無心で地球を飲み込んでしまうような、青白くて冷たい月だった。窓辺には青い毛の猫がいた。猫は私を見てにやにやと笑っていた。口には米粒のような小さな歯がびっしりと並んでいた。私は枕に頬を押しつけて死んだ目でそれらを観察する。不気味だけどとても綺麗だと思いながら。

ある日私がベッドの上で仰向けになったまま動かないでいると部屋に女性がやってきたことがあった。その人は優しい声で「絵を描くのが好きだって聞いたから」と囁いてテーブルの上に画用紙と色鉛筆を置いていってくれた。看護師だったのかもしれないし、あるいはそれも幻覚だったのかもしれない。その記憶の視点はなぜかベッドにいる私じゃなく病室の入り口に置かれている。やっぱり幻なのかもしれない。

小さい頃から、自分は早く死ななければいけないんだ、だから急がないと時間がないんだという妙な焦燥感があった。まだ保育園児くらいの年の頃、夜中にひとりで暗い天井に浮かぶ豆電球を眺めていたある時、私のもとに死の影が初めて訪れた。
そうだ、自分は早く死ななくちゃいけないんだ、ずっとここにいちゃいけないんだった。
それを思い出したらものすごく悲しくなった。私は隣で寝ていた母を起こして「私が死んでもお葬式はしないでね」と言った。なぜそんなことを言ったのかわからない。母は「葬式なんか誰でもするわね」と面倒くさそうに答えてまた眠った。

私はいったい16歳の5月の何がそんなにつらかったんだろう。思い浮かぶ出来事はいくつかある。でももっとつらいことならそれまでにいくらでもあったはずだ。特に父とのことで。でも最後に私をあの穴へ引きずり込んだのは父じゃなく自分だったと思う。父親に馬鹿にされる自分が、父親に笑われる自分が、父親に愛されない自分が嫌だった。だから父がいない学校や街中でも自分がそこにいるならそれだけで馬鹿にされて笑われて憎まれて当然のような気がした。そういう恥ずかしい自分の存在がどこに行っても消えてくれなくていつもパニック状態だった。
寝ても覚めても自分がいる。来る日も来る日も。今でも時々それに耐えられなくなる。夢の中にも自分がいる。仕事をしていても当然自分がいる。休日に本屋や映画館や海へ出掛けてもそこには自分がいる。誰から逃げようと自分だけはいなくならない。

私が15歳の時、父はアルコール中毒で病院に運ばれた。病院に着いた時にはもう心臓が止まっていた。看護師が車に乗り込んでシャツを引き裂いて心臓マッサージをした。結果的に父は助かった。病室で父はもう飲まないと私に約束した。私もそれを信じた。でも退院してしばらくすると家の前の溝に酒のパックが隠すようにして捨てられているのを見かけるようになった。結局父のその後はそれまでと大して変わらなかった。(ちなみに看護師が引き裂いた父のシャツはしばらくのあいだ戒めとしてまるで旗のように車庫に引っ掛けられていた。これは笑い話。たぶん。)

私が病院で目を覚ました夜。目を開ける数秒前に夢うつつに父の声が聞こえた。「なんでこんなことするんだ」とその声は言っていた。
なんでこんなことするんだ?なんでこんなことするんだ?なんでこんなことするんだ?耳の奥で鳴り響く。ほんとなんであんなことしなくちゃならなかったんだろう。なんでこんなに弱い人間になっちゃったんだろう。寝ても覚めても自分がいる。そんな当たり前ことになぜ耐える強さがないんだろう?
退院してからの数年間はまるで後遺症のように幻覚や幻聴や幻触や悪夢が続いた。街灯から腕が生え黒い花が空から降り寝ていると誰かに身体を触られた。寝たきりで動かないでいると嫌な考えが浮かんで心臓がひりひりと火傷したように痛む。だからわけもなく一日に何度も冷たい風呂に入った。食欲がないからザラメをカレースプーンですくって食べていた。眠れないのは怖いけど悪夢を見るのはもっと怖かった。成人してからは睡眠薬をほぼ毎晩酒で流し込み枕元にワインを置いて眠った。夜中に目が覚めると急いでそれを飲んだ。まともに働くようになってからもしばらくの間はそういう毎日が続いた。でも今はずいぶんマシになった。だんだん慣れてきた。落ち着いてきた。

これからは普通に暮らしていくんだろう。仕事もあるし。友達もいるし。趣味の合う仲間もいるし。愛する人もいる。もう二度と心を閉ざせないくらい優しくされてきた。みんなありがとう。私はもう誰にも責められていない。誰にも拒絶されていない。何も言われていない。でも時々耐えられなくなる。雑踏の中にいる自分の存在に。ひとりでいても耐えられない。自分が自分を監視していて、そんなんじゃだめだ、右もだめ、左もだめ、お前が選んだことだから全部だめ、って四六時中責め苦を受けなくちゃならない。寝ても覚めても自分がいる。耐えられない。そんなにずっと一緒にいてくれるなら理解しあえればいいのにそれだけはどうしてもできない。だから人の温かみや優しさもうまく受け取れない。どんなに大切に想っている人でも信じられない。

カフカも言っていた。僕は本当は他の人たちと同じように泳げるけれど、かつて泳げなかったという事実がどうしても忘れられず、そのせいで今は泳げるという事実すら何の足しにもならないんだって。そこらじゅうそういう大人で溢れている。

信じる信じないの話といえば子供の時私は父に言ったことがある。誰のことも信じてないよね、私のことも信じてないよねって。父は酒を飲みながらそうかもしれないと低い声で答えた。
別の日に私は父にこうも言った。薔薇色の人生でいいねって。でも今はわかる。その頃の父の人生は決して薔薇色じゃなかったこと。薔薇色の人生でいいねって言った時の父の俯きがちな暗い横顔が忘れられない。私はあの時父を傷つけたんだ。父に傷つけられて苦しんでいたけど、私もそれと同じことをしてしまったんだ。後悔してる。考えなしだった。ごめん。

私はきっと父と同じ生き方をする。そうなるってわかる。父の心の傷も痛みもわかるから。わかるって言ったらどう思われるかもわかる。弱さもわかるよ。だから父を哀れんでいる。だから愛しんでいる。だから許せないでいる。自分のことのように。
でも誰も犠牲にしたくはないね。こんなめちゃくちゃな自分が生きるために誰かを頼るなんてそれはもう罪だと思うから。私は自分の力で走る。立てないけど走る。いつかそれができた時には人を堂々と愛してみようと思う。愛されたいと願うことを許可しようと思う。今は好いたり好かれたりすることに泥のような罪悪感がある。
「あなたは人に嫌われていると思って生きている方が気が楽なのかもしれないね。だってそれ以上裏切られることはないから」
そう言われたことがある。その人は私のことが好きでも嫌いでもないからそう言えたんだろうな。伝えてくれてありがとう。言われた時は思考が停止したけど嫌われていればたしかにそれ以上裏切られることはないものね。安心だね。悲しくてほっとするね。

そういえばレイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」にもこんな台詞があったような気がする。
「裏切るほどの信頼があったのかね?」
裏切ることもできるほど信頼されて、手酷く裏切られるほど人を信頼して、それで幸せになれるんだろうか。そこに幸せを感じられるだろうか。そんな自分なら寝ても覚めてもここにいていいって思えるんだろうか。そうだったらいいな。いつかは生まれてきてよかったって思いたいものね。

そういう幸せを求めるなら普通に暮らしていく努力をする必要がある。私は病気じゃない。病的な個性なら誰にだってある。だから大丈夫。にっこりにっこり笑いながら、真面目になったり不真面目になったりしながら、思っていても言わなくていいことは黙っていられるし、然るべきところで喜怒哀楽を表現する。寝ても覚めてもそうしていく。私にはそれができる。もう大丈夫なんだ。死にたくなったりしない。死んではいけないのだとわかった。たまに死ぬんじゃないかと思うような激情が湧き上がってくるけど、寝ても覚めても自分がいてどうにかなりそうだけど、自分の命のためじゃなく私なんかを生かしてくれようとした人たちの命のために生きていかなくちゃいけないんだろうと思う。彼らの優しさから意味を奪ってはいけないんだ。人生に大した意味なんて持たせられない。でもそうやって人が生きること自体には意味があると思いたい。だから死にたくなろうが生きていきたくなろうが同じことだったんだね。それがわかった。だからきっと大丈夫。強くなっていける気がする。めでたしめでたし。ちゃんちゃん。

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