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『体育教師を志す若者たちへ』第2章 授業研究の面白さ ~武道~


手作りの木刀 授業で使っています

 剣道の授業について書くことが時々あるので、「先生は有段者ですか?」と聞かれたことがありますが、私は素人です。部活動の大会の審判も難しくてできません。でも剣道部の生徒も含めた授業を堂々とやっています。そして、有段者を外部講師として招くような授業はすべきでないと考えており、剣道連盟の考え方とは違った剣道の授業をしてきました。最初の授業で使用する道具は写真の手作り木刀です。

 それでは、『体育教師を志す若者たちへ』、第2章授業研究の面白さ。
今回は武道です。  

第2章 授業研究の面白さ ~体育実技編~

6 武道

◇文化を学んでいる
 「先生、なぜ剣道をやらなければいけないのですか?」と生徒に聞かれたら何と答えるだろうか。球技や器械運動、陸上競技などは小学校からやってきているからそれほど抵抗感なく授業に入っていけるだろう。しかし武道となると、「痛そうだし、なんでやるの?」と消極的になる生徒は少なくない。外国の人たちで日本の武道に関心を持っている人たちはたくさんいるようだが。
 かつて私のクラスに宗教上の理由で武道を拒否する生徒がいた。4月の家庭訪問の時に保護者からその旨話があった。1990年には神戸高専で剣道の授業を宗教上の理由で拒否(見学)した生徒が単位を修得できず、退学にまで追い込まれて裁判になった事例がある。最高裁判決でようやく復権したが、自分の授業にこうした生徒がいたら、彼らにどんな学習権を保障することができるだろうか。
 ここで私たち教師には二つの問題が突きつけられている。ひとつ目は他の教材(種目)でも同様のことだが、体育では、実技を通して運動(スポーツ)に関わる文化を学んでいるのだということ。宗教上の理由だけでなく、身体的な障がい等から「実技を通して」ということができなくても、別のことを通してその文化を学ばせることはできるはずだ。その文化的内容とは何なのか。その内容と学ぶ意義を生徒たちにどう説明するのかという問題。
 二つ目は彼らは宗教上の理由で武道を拒否しているのであり、彼らの武道に対する考え方に対して教師が教えようとしている武道文化はどうなのかということ。剣道を拒否した生徒たちは、聖書の「彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない」という原則を示し、剣道の学習はそれに調和しないとして拒否したのだという。彼らを納得させられるかは別として、武道と戦争・暴力との関係を教師はどう説明するだろうか。

◇武道は「暴力」か?
 私たち教師は、武道に限らず、扱う種目(教材)の歴史やその文化的特徴を研究し、授業で学ぶ意義や価値を説明できなければならない。「学習指導要領にあるから」では無責任で、文科省は学習指導要領が変わった際に過去の責任をとろうとしないことは序章で述べた。
 武道のもとになった武術は戦争の手段であり、紛れもなく暴力だった。しかし今の武道は違うと言えるだろうか。武術が武道として公教育で教えられるようになったのは明治以降だが、太平洋戦争当時には国民学校で、武道は敵を倒す目的で教えられていた。しかも銃やミサイル、戦車で戦争が行われるようになっていた時代に日本軍は日本刀を携えてアジアの地域を侵略し、抵抗する住民たちを日本刀で惨殺したのだ。だから戦後の一時期は進駐軍によって武道が全面的に禁止された。宗教上の理由でなくても、武道は怖い、やらせたくないと考える保護者がいても不思議ではない。
 現在の剣道は主に竹の竹刀で行われているが、全日本剣道連盟では剣道の理念を「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」とし、その普及のあり方として、「武士の精神を多くの人々に伝えること」「竹刀は武士の刀です。剣道着、袴は武士の正装であり、単なる運動着ではありません。この精神を学ばずに剣道をすることは、単なる肉体的運動をしていることになってしまいます」と説明している(全日本剣道連盟HPより)。つまり竹刀を武士の刀と想定して振りなさいと言っているのだ。
 竹刀をどう考えて振ろうが自由だが、学校教育で竹刀を日本刀だと思って、武士の精神で振りなさいと教えていいだろうか。全日本剣道連盟のHPには「剣道の歴史」の項があるが、太平洋戦争中に剣道が戦争に利用されたことの説明や反省は全く書かれておらず、戦争との関係については、「第2次大戦敗戦後、連合国軍の占領下におかれた日本で、剣道は抑圧されていたが・・・」としか触れられていない。戦前・戦中の武道教育の反省なく、戦後の一時期に抑圧されていたとしかとらえておらず、戦前・戦中の武道と今の武道との違いを説明していない。
 こうして見てくると、いくら全日本剣道連盟が剣道を「人間形成の道」「以って国家社会を愛して広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである」と唱っても説得力はない。従ってこうした剣道のあり方に疑問をもつ人たちが出てきて当然だろう。それにも関わらず現在の学習指導要領で武道は必修として扱われている。私は剣道連盟の「竹刀を日本刀と思って振りなさい」という指導は間違っていると考える。
 
◇深く調べてみると矛盾が見えてくる
 私が剣道について調べてみようと思い立ったきっかけは、防具が臭いといって身につけたがらない女子生徒が多発したことからだった。指導法に苦慮し、剣道の歴史を調べてみると、現在の竹刀・防具に近いものが発明されたのは江戸時代中期で、それまでは安全な稽古のために木刀による形(かた)の稽古が行われていたことを知った。しかもその形は現在の剣道にも受け継がれ、「日本剣道形」として昇段審査の際の審査項目にも入れられている。防具をつけなくても剣道のことは教えられる。最初はそんなことがきっかけだった。そこから私は剣道の歴史を追体験する授業を構想していった。
 そして木刀による形の学習を進めていく中で、剣術・剣道の新たな歴史の発展過程に気がついた。私は剣道(武道)を「日本版近代スポーツ」と考えるようになった。その剣道は暴力ではない。しかし、扱い方によっては容易に暴力になりうる両刃の剣とも言える。だからこそ、剣道(武道)を暴力におとしめない文化へと今後も発展させていく責務があり、そのことをこそ教えていかなければならないと考えるようになった。 
 具体的な剣術・剣道の技術の発展過程を辿ってみよう。封建時代まで、剣術は殺傷・護身を目的とするものだった。しかしその稽古は安全に行う必要があり、通常は木刀で稽古が行われていた。天下泰平となった江戸初期、無駄な殺傷を防ぐ目的で幕府は真剣勝負や他流試合を禁止した。実戦的な試合ができないので木刀による形の稽古が中心になり、たくさんの流派が誕生していった。その後の竹刀・防具の発明、普及以降も形による稽古は残されていき、大正時代にそれが「日本剣道形」としてまとめられた。
 日本剣道形は現在昇段審査の項目にあるので剣道家は必ず稽古に取り入れている。そのビデオ、特に高段者の演武を見て欲しい。初めて見ると意外と動きがゆっくりだと感じるだろう。それは剣の振りを「斬る」と想定して行っているからと思われる。それに対して現在の竹刀剣道の剣の動きは「斬る」ではなく、明らかに「打つ」である。ルール上も「打突」という用語を使っている。「斬る」と「打つ」の違いに着目したい。「斬る」という動作は相手の身体部位に剣が振れてから以降も力を加え続け、しっかり押し切らなければならない。一方「打つ」というのは打った瞬間に力を抜いたり止めたりすることで、次の動作へすぐに移行することができる。

◇「斬る」から「打つ」へ
 この「斬る」と「打つ」を歴史の流れで考えて見よう。私たちはテレビドラマなどの時代劇で木刀による打ち合いの稽古の様子を目にすることがある。その時の打ち合いはかなり素速い。それは打った後にすぐに次の動作に入るために木刀を引いたり切り返したりしなければならないからであり、加えて相手の体に木刀が当たる場合も安全のために軽く当てて止める、あるいは当たる手前で止める「寸止め」をしている。
 ここからは私の推論だが、竹刀防具が開発される前の木刀による稽古の時代においても、素速く力強い剣裁きを目指しつつ、「寸止め」や打って止める(打ち止め)が大事にされていた。その「打つ」「止める」動きは竹刀剣術になった時により一層加速され、軽い竹刀で素速く打って止める現在の打ち方へと発展していったと考えられる。つまり当初の稽古目的からすると「斬る」動作が必要だったものの、その稽古においては木刀→竹刀へと二段階で「打つ」動作へと変化せざるを得なかった。しかし「華法化」(動きは華やかだが実際の戦闘には使えないの意)の弊害が指摘されるように、「そんな打ち方で人が斬れるか」という当時の要請から、斬る動作を想定した剣術・剣道形が残されてきた。私が剣道を「日本版近代スポーツ」と言うのは、剣の操作方法において武士の本来の刀法観念(斬る)から離れ、観念的にも打ち合いを互いに楽しむ運動文化へと変わってきたからであり、だからこそ明治期以降も武道として生き残ることができたのだろう。しかしながらその観念が競い合い、楽しみ、相手を尊重するといった方向ではなく、相手を殺傷する戦争目的になった時に武道は禁止された(戦後の一時期)。
 当初は武士の文化として栄えた竹刀剣術であったが、江戸後期には庶民も楽しむ剣術として普及していった様子を文献から知ることができる(『剣術修行の旅日記』永井義男著 朝日新聞出版 2013参照)。従って私たちが剣道文化を教える時、「竹刀を日本刀だと思って振りなさい」と教えるか、「斬る動作でなく、安全に、しかも素速く打つことで相手を尊重し(痛い思いをさせず)、素速い剣裁きを競い合い、楽しみ合う剣道に変化してきた」と教えるかの違いになるのではないだろうか。
 すると剣道家の方たちからは、「剣道は当てっこではない、打っていく時の思いが大事なのだ」と指摘されるだろう。それが前述の剣道連盟の「この精神を学ばずに剣道をすることは、単なる肉体的運動をしていることになってしまいます」である。しかし、打っていくその思いは「日本刀」ではいけないのだ。動き自体が日本刀で斬る動作とは違ってきている。違う動作なのに、思いだけ「日本刀で斬る」に持っていこうとするところに無理・矛盾がある。
 この考え方について、以前武道研究をされている南山大学の榎本鐘司先生に伺ったことがある。そして次のようにお返事をいただいた。
「剣術の流派毎に理念と技法に違いがあるので一律ではないでしょうが、江戸時代の剣術が、軍事訓練という目的から離れてしまった訳ですから、木刀を持って剣術を行う形剣術が、『斬る』ではなく、『打つ』によってその技法を構成していた、と考えることには合理性があると思います。
 ・・相手を打突するという暴力的なことを、安全に、しかも全力で、真剣に、競技としてできる。このことが剣道の本質であると考えるのですが、このような自己目的化された『剣道』を、すでに江戸時代の人々がいろいろな文化的価値を賦与して愛好していたと考えればよいのではないかとするのが、現在の私の捉え方です。」

 学校教育で教えるべき剣道は、その「いろいろな文化的価値」として、「相手の尊重」や「美しい一本」、「きれいな一本」、「堂々とした一本」、「相手に痛みを与えない一本」、「集中した一本」、「打たれても気持ちいい一本」等いろいろ考えられるだろうが、「日本刀で相手を殺傷するような一本」であってはならない。
 こうした歴史的過程を踏まえ、私は武道を次のように規定するようになった。
「武道とは、本来相手を攻撃する暴力、あるいは護身のために行われていた武術が、安全に練習や試合ができるための用具の開発やルールの考案を通して、平和な社会においても競い合うことができるようになったもので、相手に危害を加えないからこそ、その技のありかたや行動様式に『道』としての様々な思いや願いをこめつつ発展してきている運動文化である。」(小山の規定) 従って授業の中では、「斬る」「打つ」の違いを理解し、素速い振りと切り返しの技能を習得しながら相手と競い合う楽しさを学習していくとともに、その打ち方にどんな思いを付加していくべきかを考えさせていく。

◇剣道の歴史を追体験する授業
 江戸初期、1612に巌流島の決戦で有望な熊本藩士の佐々木小次郎が宮本武蔵に敗れて命を落とした。そうしたことがあったからだろうか、幕府は他流試合や真剣勝負を禁止する。ここから剣術・剣道の歴史を追体験する授業が始まる。
 

手作り木刀。市販の木刀は使わない

 授業は木刀による形の稽古から始めるが、素速く、正しく木刀を振るとともに、正確に止めることを指導する。相手の体に当てずに寸止めすることはもちろんのこと、相手の木刀を打つ時も力を入れて叩きつけるのではなく、木刀に当たった瞬間に止め、次の動作に切り返すことのできる技能を身につけさせていく。当時は他流試合が禁止されていたため、流派毎の「演武会」が行われていたという。授業でも演武会を目指して技能を習得しつつ、華法化の問題やどのような思いで木刀を振るのかを考えさせていく。ちなみに木刀は市販のものは使用しない。市販の木刀は先が尖っていて危険であることと、手元が滑りやすい。また木刀同士の打ち合いをするので壊れたり傷がついてしまう。1m程度の長さの丈夫な木の棒の方が学習に合っている。 

授業で行う剣術の演武会

 そして演武会を経ていよいよ竹刀・防具が開発され、形で学んだ技を使って竹刀で実際に打っていく。形で学んだ技、及びそれ以外の技も考えていくなかで、より有効な技が共有され、流派が消滅していくことも体験していく。そして最終的に相手を尊重し、技を競い合って楽しんでいく現代剣道に辿り着く。詳細な展開は他書を参考にしたり、読者自身で考えてみたりして欲しい。
 形は日本剣道形を参考にしつつ、先に述べた「打つ」ための操作法として改変していく。ここが剣道連盟の有段者を外部講師として連れてきて指導を受ける授業との違いになる。剣道部に在籍する生徒がその授業にいたらどんな反応をするだろうかということも興味深い。(詳しくは拙著『体育で学校を変えたい』参照)。
 
◇剣道がオリンピック種目になる時
 剣術・剣道の歴史追体験学習は明治から現代へと移り、試合を楽しむ実技単元が終了する頃、「武道とは何か」をテーマにした体育理論の授業を教室1時間行う。相手を殺傷する目的で行われてきた武術が、平和な社会でも安全に、相手を尊重して楽しく競い合うことのできる武道へと変わってきた要素は他の武道、つまり柔道、空手などにも共通して存在している。それは、①形(型)の考案とそれによる稽古、②安全な用具の開発、③ルール(試合規則)の規定だ。現代の武道の試合シーンで、試合後に笑顔で検討を讃え合う場面をビデオで見せたり、一方で武道が戦争に利用されてきた歴史、あるいは現在でも武道で鍛えた力を暴力に変えて犯罪に至ってしまったりする事例などを示しながら、これからの武道はどうあるべきかを考えさせていく。
 単元のまとめとしてレポートを宿題にする。剣道がどんな歴史を経過してどんな文化になってきたのかを自分なりの言葉で書かせる。多くの生徒たちが他のスポーツにない剣道の奥の深さと素晴らしさ、そして戦争に利用されてきた重みを含めて書いてくる。
 その中に私は、「剣道がオリンピック種目になると思うか」ということを課題に書かせてきた。これまで何百という生徒たちのレポートを読んできたが、この課題に対する生徒たちの考え方からこちらが学ぶことが多い。
 オリンピック種目になる(なってほしい)か、ならないかの意見は両方出てくる。なってほしいと思う多くの生徒たちには、これだけ歴史的に重い日本の文化を諸外国の人たちに伝えていきたいという願いがある。一方で剣道の試合は判定が難しく、ビデオ判定を取り入れていないことからも、相当の経験や理解を積んだ人でなければ分からずに面白くない。またフェンシングのように相手より先に当たればよいというものではないので、判定に客観性がないから無理だという意見も強い。また、オリンピックのようなメダル争いの大会にはなじまず、剣道連盟もオリンピックでの普及は目指していないので必要ないという意見も出てくる。
 ところが最近ある生徒が今までにない素晴らしい意見を書いてきた。それは体育理論として別の時期にオリンピックの歴史と精神を学んだことと繫がっていた。彼が言うには、「今のオリンピックはメダル争いの勝利至上主義になってしまっていてよくない。しかし本来のオリンピックは勝ち負けにこだわらずスポーツを通して友好を深め、平和を願うものであるはずだ。従って本来のオリンピックにしていくためにも、お互いを尊重して技を競い合う現代剣道の精神をこそオリンピックで広めていくべきだ」、というのだ。なるほどと思った。
 私たちは体育の授業を通して運動文化を学ばせている。現代の運動文化を今後どのように継承発展させていくべきか、生徒たちに考えさせていく授業を進めていきたい。今回は剣道という教材で武道文化を学ぶ授業を紹介したが、柔道や空手ではどんな授業が構想できるだろうか。読者に考えていただきたい。

 なお、 現在「銃剣道」という競技は一般的には武道として位置づけられているが、これは明治期にフランスから伝来した西洋式銃剣術を元に考案されたものであり、しかも現在でも主に自衛隊で戦技訓練の一環として取り組まれている。そう考えると学校教育として教えて良い歴史性をもった武道と考えるべきではないだろう。そうした教材選択に関する専門性を教師は持っていきたい。

 次回は体育実技の最後、「表現・ダンス」です。


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