初めての落語
落語を観た。2022年2月28日、亀戸梅屋敷で行われた寄席に参加した。今回の記事では、落語を初めて観たぼくにとって印象的だったポイントについて書いていきます。
①意外と新しい話もするんだ
これはぼくが完全に勘違いしていたことなのだが、落語は古いものだと思っていた。昔から伝わるおもしろ話を話したり、親と倅・主人とその嫁のような古い時代設定の題材を扱ったりするものだと思っていた。
しかし、特に本題に入る前のつかみ(ど素人のぼくが勝手にそう言ってるだけです)では、「テレワーク」「マインクラフト」「ウクライナ」「オミクロン」などの現代社会において話題をさらっている用語が多く聞かれた。
また、本題の話のなかでも、落語家さんが(その時代にはなかったであろう)今っぽい言い回しを台詞の中で使ったり、演じている時代設定・キャラクター設定を破って、我々に話しかけてきたりする場面があった。
「昔の話をする」というイメージとは大きく異なり、新しい話も扱い、「今」の会場や社会の空気感を敏感に掴む必要がある演芸なんだなと感じた。
②お客さんを引き込むうまさ
落語家さんは出てきて、いきなり「寿限無」とか「まんじゅうこわい」みたいな話を披露するわけではなかった。まず、会場のお客さんとコミュニケーションし、そのあと、自分の身の回りで最近あった話をしたり、社会情勢に触れたりする。その流れで自然と話に入る。
ぼくは、これによって、「なんか古臭い話をされている」という感覚ではなく、「自分の生活とつながっている先にある面白い話を聞いている」「目の前にいる温かみを感じるひとが話をしている」という感覚で聴くことができた。
あとは、これはまた別の話になるが、落語家さんは、その日の自分の感情・その日のお客さんの様子・社会の状況を踏まえて話を選んでいるんだろうなと感じた。話を選ぶセンスも落語家さんに求められる技量・センスなんだろうな。
③日本っぽい粋な感じ
随所に「粋だなあ」と感じるポイントがあった。
1つ目は、座布団を裏返すやつ。高座返しというらしいです。(厳密には、座布団を裏返して、湯呑みがあれば片付けて、次の演者のめくりを返すまで全てを総称して高座返しと言う)
一人の落語家さんが話し終えると、舞台袖から人が出てきて、座布団を裏返す。言ってしまえば座布団は返されてなくても話はできるけど、あえてそういう部分を大切にやっていくのって大事だよなあと沁みた。
あと調べてみると、座布団の縫い目が絶対に客側に向かないように置いたり裏返したりしているらしい。演者と客の間に「縁の切れ目」をつくらないという意味らしい。粋だなあ。
2つ目は、オチを言う時のしぐさ。
オチを言う時に変にドヤらずにお辞儀をしながら言う(人が多かった)。うまいこと言うのに、言ってるでしょ?感が無いのが粋だなあと感じた。
3つ目は、上着を脱ぐやつ。
本題の話に入る前に上着を脱ぐ。言外の合図になっている。上着を脱いだら、こっちも「お、始まるぞ」と感じる。
おわり
ここでぼくが触れたポイントって多分、玄人からしたら、「いや、めちゃくちゃ浅いポイントで感動してんな!」ってポイントなんだと思います。それに、もしぼくがこっから落語にハマったら、「いやなんこの記事恥ず」ってなるんだと思う。まあでも、その時感じたことを書くっていう目的には沿ってるのでいいのかな。
あと、志らく師匠がM1のランジャタイの漫才を落語だと表現してたのもなんとなくわかった。(気がする)
近々会う方へ。落語家みたいな喋り方になってたら影響されてんだなあと優しく見守ってあげてください。
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