ニュージーランドロックダウン経過報告atパーマストンノース

ご存じの方もご存じでない方も、チキンはただいまニュージーランドは北島(オークランドのある方)、Palmerston Northという小さな学生街にいます。
中心街はたったの3ブロック四方で、3階建て以上の建物はほぼありません。
人口9万人もほどの学生の多い田舎街です。
ちなみに一番近い大都市は首都ウェリントンで車で3時間ほど。
オークランドまではこれまた車で10時間ほどかかります。
このような街にやってきた経緯はこれまでのnoteを見返していただければと思うのですが、
3月26日からついにニュージーランドが都市閉鎖になったので、これまでの経過を書き出していこうかと思います。

※思い出したら書き出していきます。
※若干日付が前後している可能性がありますが、気が付き次第修正します。

2月26日

日本からニュージーランド・オークランドに到着。
空港での検閲はいつも通りかいつも通り以上のガバガバで、犬に匂いを嗅がれただけで終わる。
感染拡大が広まる日本から脱出し、高見の見物をする。

2月27日

以前から現地に住んでいる日本人友達と会う。
「大変そうだね、来ないといいね」という他人事ムード。
確かにオセアニアは地理的にも経済的にもパンデミックが起きた時に一番安全だとか言われていたりいなかったり。
カラパイア:もしも大規模なパンデミックが発生したらどうする!?安全度の高い国トップ20が発表される。日本は5位に。

2月28日

★NZ国内で初めて感染者を確認:イランからの旅行客

パーマストンノースへバスで10時間の旅。
乗る前も乗る後も特に何もない。
いつも通り平穏にバス旅を終える。

2月29日

ランタンフェスティバルに参加する。
街の中心の公園で開催されるまぁまぁ大規模なイベントで、夜中に紙で作ったランタンを持って練り歩く。
Airbnbで借りていた家に住む、小学生くらいの子持ちのお母さんに、「今日ランタンフェスティバルだけど行かないの?」と聞いたら、
「そうなの。でもウイルスのことで、集会に行くのはやめてるの。ほら、私はお母さんだからこの子をひとりで守らなきゃ」と言われた。
後半はともあれ、「まだ数件しか確認されていない(しかもオークランド)のに大げさな」と思う。

3月1日~3日

ずっとAirbnbだと非常に経費がかさむ&ハウスメイトの就寝時間が早すぎて気を遣うので、長期で借りられるお部屋探しに尽力する。
ついでに銀行系の手続きなども進め、生活基盤を作っていく。
数件内見したのちに、結局彼女のおうちまで徒歩1分の物件を選択。

3月4日

★NZ国内で2件目の感染者確認:パーマストン・ノース空港を経由してイタリアからオークランドに帰った女性

まさかピンポイントでこんな街田舎町を経由していくとは。
誰もが予想だにしていなかったことで、友達の面々も面白がっている。
よく報道を読んでみれば、空港からは出ずに数時間滞在しただけらしいので、問題はなさそうだ。
私はと言えば、初めて彼女のMessy大学にお邪魔して、アニメクラブでスマブラをするなどしてきた。
記事:ニュージーランドの大学生にスマブラで勝つ、ぽっと出の日本人になってきた話 他
対岸の火の粉が飛んできた、という感じで一気に現実的なものになる。

3月6日

ホーリー祭というインド系のお祭りに参加する。
野外にDJの特設ステージが設置された、色のついた粉を他人に擦り付け合う行事だ。
緊縮ムードは特になし、ガンガンDJと色粉でブチアゲる。
コロナの話題は上がるものの、一種のニュース話題共有・対岸の火事という感じだ。

3月7日

街の中心の公園で開催されている異文化交流の祭りに参加する。
たくさんの露店・屋台が並び、特設ステージでは次々といろんな国の踊りが披露されていく。
恐らく年に数度の規模の、パーマストン・ノースでは最大規模の祭りだ。
コロナによる運営への支障はなし、「もしかしたら行く人少ないかも?」という我々の期待に反して、普通にたくさんの人が集っている。

3月14日

NZ国内で新たに6人の感染を確認
★全ての入国者に対して14日間の自主自宅待機を要請

彼女とハウスメイト一行は大学のイベントの一環である芝生飲みに行く。
大学生ではない私はぼんやり自宅待機して、夕方から合流。
上記のニュースに際して、ぎりぎりでニュージーランドに入国できてよかったとほっと息を吐く。
ウェリントンから駆け付けた友達と夜まで遊ぶ。
ウェリントンの大学ではビデオ講義が始まっているとかいないとか。
かくいうパーマストン・ノースの誇るMessy大学もまた、講義の縮小があるようだが、判断は各講師にゆだねられているようだ。

3月15日

PAK'nSAVE(コストコのようなお店)で働いているお友達をみんなで迎えに行く。
頭がおかしくなるほど大量に買う客が多いらしく、笑いながら憤っていた。
中にはケチャップを14本買った客がいたらしい。
この辺から、Messy大学では集会に対して自粛要請が出されたようで、件のアニメクラブもdiscord(ビデオチャットアプリ)を使ったバーチャル集会になるらしい。

3月17日

メンバー登録しているスーパー各所からコロナに対するお知らせがメールで送られてくる。
要約すると、「品切れには対応中であり、今後すぐに商品が補充ので安心してほしい。店内清掃にも力を入れている」という、買い占めに対するアナウンスだ。

3月19日

★ニュージーランド入国原則禁止令が出る

いつものように彼女のおうちにお邪魔して、一緒にラザニアを作ることにする。
買い出しのために一緒に行った大手スーパーで、突然男たちが「コロナウイルス!」と言って顔を隠しだした
変な人間は元々多いので、「コロナウイルスに嫌気さしてる独り言デカい奴ら」と思っていたが、どうも違うらしい。
程度が低すぎて教えてもらうまで気が付かなかったが、「コロナウイルス」は私のことを指していたらしい。
コロナに伴う初めての攻撃的な人種差別だが、自分のアジア人の見た目を都度確認して残念がっている人間ではないので、ダメージはない。
一報で彼らの幼稚な行動を見た一般客が、わざわざ「最低だね、恥ずかしいよ」と声かけしてくれた。
ここが日本だったらどれだけの人が慰めに入っただろうか、と大阪で中国人として受けた差別的扱いを思い出す。

3月21日

★警戒レベルが2にあがる:70歳以上の人に自宅待機要請・陽性者が発生した場合を除いて学校は継続

友達の誕生日パーティに行く予定だったが、彼女と彼女のハウスメイトひとりが喉の痛みがあるとのことで自粛。
友達との直接の繋がりが薄い私も、彼女が行かないならと自粛する。
ウェリントンから駆け付ける予定だった友達も、高齢の祖母にどこかからウイルスを移すわけにはいかないとのことで、自粛。

3月23日

★警戒レベル3:48時間以内に最高レベルの4へ引き上げ予定

大使館から届いたメールをろくに読んでいなかったので、「警戒レベルがレベル3から、2日後にはレベル4に引き上げられるらしい」ということは知っていたものの、essential(必要不可欠な)店舗以外は閉店になるということを知らぬまま、午後まで過ごす。
ちなみにメールはきちんと読んでも、日本語部分は「レベル4に引き上げでとなります。国内の移動に制約はかかりますが、重要サービスは継続されます」みたいなやんわりな表現しかしていない。
英語ニュースの「non-essential(必要不可欠ではない)店舗は全て閉鎖とする。大手食料品店・郵便・銀行以外は全部閉まる。公共交通機関も減便する」みたいな引用元の印象とはだいぶ違う。
英語勉強中邦人たちは大丈夫だろうか、と心配になる。
ともあれ、この事実を彼女のおうちで知らされたときには既に午後4時半。
この街のお店はほとんど5時か5時半に営業終了するので、大切な一日を棒に振る。
夜になって、Messy大学が方針を転換。
全ての講義を4週間停止し、その間課題も宿題もないという。
件の大学に通う彼女は歓喜であるが、ちょうどイースターの休みとかぶっているので、実質2週間のおやすみ延長という感じだ。

3月24日

彼女が最後にタピオカを飲みたいと言うので、同行する。
街の飲食店の8割が既に閉店しており、残る1割はテイクアウトのみという感じ。
かろうじて開いているタイ料理店でタピオカを注文した際に、「ミディアム……いややっぱラージで」と迷いを見せると、店員が「ラストタピオカだもんね」と笑ってちょっと和む。
帰りに明日から閉まってしまうであろうアジア食料品店に行くと、品切れが目立つという印象。
棚ごとないようなひどい状態ではないが、安くて品質が良いものは大体ない。
また、ブランケットなどを買いにK-mart(イオンのような大手日用雑貨店)に行く。
人はいつもよりとても少ない印象で、お店のお姉さんがカートを丁寧に消毒してくれた
退店時に初めて商品とレシートのチェックをされる。
暴動などに備えて方針を強くしたのかもしれない。
関係はないが私のハウスメイトがどこかへ引っ越して行った。
昨日結婚式を挙げてきたとのことで、本人も言っていたようにさぞ大混乱だっただろうと思う。

3月25日

ほとんどの個人店や中規模店舗が既に閉まっている。
家の目の前のバラエティショップも、午後1時頃に閉店したのを確認。
よく報道を確認していなかったので勘違いしていたが、自宅規制は今夜11時59分かららしい。
ということで、かろうじてまだ経営しているリキュールショップに友達4人で突撃しに行く。
グループで入ることは可能だったが、入口では既に入場規制が行われていた。
同じく大手スーパーカウントダウンでも明日からの変更に備えてか、通常の入口を閉めており物々しい雰囲気になっている。

3月26日

★警戒レベル4へ引き上げ(これから4週間)
・基本的に自宅待機
・ジョギングや軽い散歩のみ可能
・公共交通機関も基本的に利用禁止

自宅待機初日。
初日でなんだが、昨夜の酒盛りの末に友達&彼女の住む家に泊まったので既に自宅にいなかった。
お言葉に甘えて、これからの4週間の自宅待機はむしろこちらを自宅として滞在しようと決めたので、自宅(徒歩2分)に一旦荷物や服を取りに帰る。
街は車がとても少なく、静かだ。
この日は特にそれ以外は外出をしていないので、分からない。

3月27日

初めてカウントダウン(大手スーパー)に行く。
彼女と行ったら入口の警備員に「グループで来た客はひとりずつしか入れない」とまあまあな口調で止められた。
これには他の客も不満な様子で、そもそも外出自体「一緒に住んでいる者のみ同行可能」となっているので、わざわざ分ける意味は分からない(むしろ残された方と入った方でそれぞれウイルスをもらう可能性があるのだから、ナンセンスでは?)。
仕方なく私ひとりで食材を買うが、売ってない食材もあったので近くにあるPak'nSAVE(大手業務用スーパー)にも行くことにする。
もしかしたら同じ洗礼を受けるのでは、とあえて離れて入店したが、こちらは特にグループ客への対応は行っていないようだった。

3月30日

短距離でも街を歩くと人とすれ違うようになった。
人気のなかった初日から3日目に比べて、明らかに活気づいている。
買い出しに行ったスーパーにも、かなり人が多くいる印象。
今まで書いていなかったが、マスクをしている人はここに来て全体の3割という印象。
今まではマスク姿の人間は一部のアジア系以外ほとんど見なかったが、欧米人にもかなり散見されるようになった。
彼女がくしゃみをしたら、周りにいたおばさんに信じられないものを見る目で見られたようだ。
なんとなく、人々が2メートルという社会的距離を保とうとしているのを感じるが、いつも通りの街の風景が戻りつつあるのを感じる。

4月2日

散歩をする。
公園は遊具の使用が全面禁止。
民家の窓や街路樹にちらほらぬいぐるみが括りつけられている。
中にはメッセージが書いてあるものもあり、散歩をする人を励ましているようだ。
地面にチョークアートで「がんばろう」みたいなメッセージが書いてあるのも何件か見た。
日を追うごとに、道を散歩している人は増えている気がする。
そして人々は久々の交流が嬉しいのか、決して近づいては来ないがにこやかに挨拶を交わす。
数日の緊張ムードを乗り越え、牧歌的な平和を手に入れようとしている。


(1日ずつあるいは何か起こり次第、経過を記録していきます)

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