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Netflixデアデビルシーズン1 ~軽い紹介とか感想とか原作ネタとか~

まえおき

「アイアンマン」に始まるMARVELコミックス映像化作品シリーズ通称MCU(マーベルシネマティックユニバース)スピンオフ作品。Netflix限定配信のMCU対応ドラマシリーズには主に「デアデビル」の他にも「ジェシカジョーンズ」「ルークケイジ」「アイアンフィスト」があり、他にそれぞれのキャラクターが一同に介するクロスオーバーシリーズ「ディフェンダーズ」が用意されている。そして、デアデビルのスピンオフとして同シリーズのシーズン2に登場したキャラクターを主人公に据えた「パニッシャー」が配信されている。それぞれの舞台は同じマンハッタンに位置しており、特にこの「デアデビル」はヘルズキッチンと呼ばれる実在の地域にフォーカスしている。この「デアデビル」は、上記の作品群に先駆けそのシーズン1が一番初めに配信された。MCUの映画シリーズとは異なり、このドラマシリーズでは街角で闘いが繰り広げられる。所謂"ストリートヒーロー"のドラマである。


あらすじ

その昔少年マット・マードックは、老人を助けた代わりに視力を失った。彼の視力を奪った化学薬品は、彼に視覚以外が超人的に鋭い"スーパーセンス"を与えた。うってかわって舞台は今。法律事務所を立ち上げるマットと彼の親友フォギー・ネルソンはその初仕事でカレン・ペイジなる女性と出会う。男性の遺体と凶器と共に発見され、逮捕されたにもかかわらず、カレンは自分の無実を訴える。だがマットには解った。彼の超聴力は彼女の鼓動から、彼女が嘘をついていないことを見抜いた。マット達はカレンを助けようとするが、それは巨悪との出会いを意味することになるのを彼らはまだ知らない。マットは昼は弁護士、夜は黒いマスクの男”デアデビル”として。マシューは自分の育った街ヘルズキッチンと、そしてここに生きる人々の為、無謀にも思える闘いに身を投じていく。

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見どころ

超感覚 デアデビルは視覚以外の感覚は強化されているが、身体能力はあくまで一般人である。一見ひ弱に聞こえるかもしれないが、本人は超感覚により相手の筋肉の音を聞き相手の動きをほんの一瞬早く感じとることができたり、正確な空間把握と卓越した技術でビリークラブを狙った場所に投擲できる。また、通常の人間なら目で見ることができない壁の向こう側を超感覚で正確に読み取ることができる。視覚に頼らないため、なにも見えない暗闇では通常の人間より有利に立ち回れる。など、少なくとも超能力を持たない犯罪者相手にはかなり強い。超感覚が役に立つのは戦闘の時だけではない。相手の鼓動を聞き相手が嘘をついているか見抜いたり、敵が残したわずかな手がかりを察知できたりする。通常の強度の感覚ではとらえらない情報が、ヴィランとの情報で有利になる。シャーロックホームズのようにまるで予知能力があるかのようにふるまうヒーローは昨今よく見られるが、デアデビルの場合実際に超感覚で感じている点においてニュアンスが異なる。

泥臭さ デアデビルの身体能力はあくまで一般人だ。鍛えられた肉体はプロボクサー並みだが、キャプテンアメリカやソーのような怪力はなくナイフで刺されれば血を流す。デアデビルはいたるところで戦い、血を流し、心身ともに傷ついていく。映画のような派手さはない。それでも彼を突き動かしているのは、本人によれば彼の暮らす街とそこに住まう人々の為だ。我々が心を打たれるのは、それは彼の実存的な哲学が行動を伴い彼自身の人生を形創っているプロセスそのものを見せられているからではないか。我々視聴者がテレビ画面を通して目撃するのは、ただの殴り合いではないのだと諭されているように思うのだ。

魅力的なキャラクター達 魅力的なのはデアデビル=マット・マードックだけではない。親友フォギーはマットにとってかけがえのない存在で、互いに協力し時に一人で突き進んでしまうマットを助ける。カレンは正義感が強く、マットとは違う方法で真実に近づいていく。デアデビルやカレンと協力し始める記者ベン・ユーリック。傷だらけのマットを治療したクレア・テンプル。謎に包まれた盲目の戦士スティック。そして外せないのはヴィランの存在である。街のマフィアを取り仕切る巨漢フィスクと彼が束ねるなぞの人物たち。フィスクは極めて残忍な一面を持ちながら繊細で思慮に富んだ複雑な人物であり、何より狡猾で自分の理想を疑わない。彼はただ悪いだけの一面的なキャラクターではない。

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ネタバレを含む感想みたいなやつ

まずはアクションシーンについて。2話の見せ場、廊下での乱闘の長回しは特にデアデビルのアクションのイメージを決定付けた名シーン。俊敏なデアデビルのファイトスタイルはこのドラマに緊張感を与え、デアデビルに対する畏敬の念さえ抱かせる。1台のタクシーを回転しながら撮影していたショットや、忍者ノブどの死闘などその魅力は語り尽くせないが、マット役チャーリーコックスの身体能力の高さが遺憾なく活かされているのは確かである。マットがニューヨークの建物屋上をパルクールで移動するシーンはコミックそのもので、コミックの様に空をビリークラブで移動するほどの豪華さが伴わない移動シーンを退屈なものにせず、見せ場として完成させている。暗闇を逆手に取る戦法や、消化器投下のシーンなど超感覚を活かすギミックなども利用されており、決して扱いやすくはない設定を味方につけたのは評価されるべきである。

デアデビルは夜活動するだけあり暗闇でのシーンが必然的に多くなるが、色を効果的に使い美麗な画面を構成している。夜も眠らないニューヨークの街の光が夜の画面に光と影を与え、時折一瞬だけ映る路地のシーンであっても明暗の巧みな構成が顔を見せている。さながらコミックのワンシーンを切り取ったようである。灯りはどれも単純な白ではなく、オレンジがかった黄色であったり、暗い地面に対して群青色のグラデーションのかかった配色が為されていたりする。地面の反射光は全編を通して綺麗に利用されている。画面を構成する色にも注意されたい。

カレンペイジがマット達に出会うことから始まり、マットが自警団員としてロシア系マフィアと闘い、ボロを出したフィスクはマスクの男=マットとの対決の姿勢を強めていく。スティックどの対決をはさみ、フィスクの罠にかかったマットとノブの対決が描かれ、ユーリックとカレンはフィスクの過去を発見する。フィスクとマットは闘いの中で、精神的に自分自身と向き合うことになった。フィスクはウェスリーを失い、マット達はユーリックを失った。護送車の中で、マスクの男に、それ以前に自分自身に敗北したフィスクは、自分のアイデンティティについて告白する。だが自分自身に射す光を見つけたのは彼だけではなかった。大切な存在を失い、人間の最底辺をまごまごと見せつけられ、それでも人間の本性を信じた彼はマスクの男ではなくデアデビルとしての強さを手に入れたのである。デアデビルの精神性はデアデビルを形作る重要なファクターである。コミックでは彼の内省的な一面が語られるが、ドラマでは言わずもがなその表現は形を変えることになる。精神的な危機に耐え前に進み続ける姿勢はこのドラマでも十分に描かれており、チャーリーコックスの演技がそれを支えた。また、フィスクとヴァネッサの交流がフィスクの内面を浮かび上がらせた点にも注目したい。ヴィンセント・ドノフリオの好演に感謝したい。総じて、このドラマで描かれているのはマット・マードックとウィルソン・フィスクの夫々の哲学であるように思う。単純な勧善懲悪ではないドラマで、時間をかけて両者のキャラクターを深く彫り出し人間性の対決という構図を創り上げた。

デアデビルは他のどのマーベルヒーローよりも宗教との繋がりが深い。マットマードックはカトリック教徒であり、人間の贖罪を信じ、相手がどんな悪人であっても殺さないという信念を持っている。マットは夜はデアデビルとして悪党を殴り情報を聞き出し、昼間は弁護士として法律で悪党を負い詰める。他のヒーローのように戦う手段を1つに絞らないのは、やはり彼が強くキリスト教的な価値観を内包しているからである。マットはマスクの男として活動して行く中で、自分の憎む存在にトドメを刺さないという選択に苦しみ、自分の信仰心を試されることになる。マスクの男手して活動する中で、様々な犯罪者を目にしマットの価値観に影響を与えていく。ウィルソンフィスクの残虐な人格の、存在そのものがマットを試す試練なのであった。このテーマは極めて珍しい類のもので、デアデビルを見る上での重要ポイントである。これはシーズン2でさらに深く描かれることになり、暴力と法律という相反する手段の引き起こす亀裂がマットマードックを天秤にかける。

このドラマは僕に多大なる影響を与えた。Netflixが日本に上陸したあとすぐNetflixに加入しこのドラマを見たのを覚えている。何回みたのかもう思い出せない程である。このドラマでデアデビルに惹かれた私は、デアデビルの原書にトライするようになり、今に至る。



原作との関係

作のデアデビル ご存知の方も多いと思うがアメリカンコミック、特にマーベルやDCといった出版社では同じキャラクターと同じコミックタイトルを複数の作家で担当し、交代しながら発刊している場合が多い。デアデビルも例外ではない。したがって必然的に、デアデビルは担当作家によって解釈が若干異なるということである。ストーリーの雰囲気やよく登場するキャラクターなども作家によって異なるし、イラストの担当アーティストが変わると紙面の印象も180度変わる。だが、共通したデアデビル像として認知されているのは、そのタフな精神性と高潔で内省的な人物像やクライムサスペンス的なストーリーラインである。特筆すべきなのは、デアデビルがその師匠を日本の忍者組織ザ・ハンドに敵対する組織チェイストに持つなどのオカルトテイストのアイデア設定群(これは80年代に追加された設定)や、マーベルコミック特有のポップなイメージの遺伝子が混ぜられ、デアデビルにしかない独特な世界観が構築されていることである。正直キャッチーなアイドル的パブリックイメージは乏しく、デアデビルには他紙スパイダーマンやバットマンほどの人気はないが、60年以上継続して発刊されていることからもわかるように確かに根強いファンに支持されている。このドラマ「デアデビル シーズン1」において、オカルト設定は次シーズンへのフラグとして登場するに限るが、クライムサスペンスの要素をふんだんに盛り込みデアデビル=マット・マードックの人物像とデアデビルの独特な世界観を実写連続ドラマシリーズで再現するにあたり申し分のない完成度を実現している。

キャラクター達 デアデビルは1964年から発行されている歴史あるコミックである。その最初期に登場したフォギー・ネルソン、カレン・ペイジ、グラディエーター(メルビン・ポッター:デアデビルのスーツを作った人)、オウル(リランド・オウルズレイ:フィスクの金庫番)はこのドラマに登場した。当時はマット、フォギー、カレンの三角関係?やデアデビルとヴィランの戦いが描かれた。この最初期では、ドラマ「ジェシカジョーンズ」にも登場したキルグレイブ(パープルマン)などの名物キャラクターが産まれた。カレンはデアデビルの長い歴史の中で途中退場し、以降ヒロインの交代は幾度か行われた。フォギーは継続して出演し続けている。

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ベンユーリックは70年代デアデビルにて初登場を飾り、以降スパイダーマンでおなじみのJ・J・ジェイムソンの部下として時に一記者として他紙に頻繁に登場するなどの活躍を見せている。ユーリックは一人デアデビルの正体に気づきながらも公表を控え、デアデビルの活動を支えた重要キャラである。ちなみに原作では白人男性である。

スティックに関しては執筆予定「デアデビル シーズン2」にて詳しい紹介を載せる予定であるが、一応軽く。スティックは80 年代デアデビルに登場した。この時、デアデビルは独学で武術を学んだという発行元年からの設定が上書きされ、父を失ったばかりのマットはスティックにその才能を見出され鍛えられていたということになった。自分の超感覚が機能しなくなり困ったデアデビルがスティックに助けを求め現れ再会し、回想でマットとスティックの過去が語られるというストーリーだった。デアデビルにはオリジンが2パターンあることになるが、このドラマでは原作デアデビルが今でも支持しているスティックパターンを導入していることになる。(ベンアフレック版映画デアデビルは独学パターンである)

グラディエーターことメルビンはデアデビルお馴染みのキャラクター。デアデビルに惹かれているカレンの気を引くために、フォギーはデアデビルのコスプレをして悪党を倒す寸劇を決行するがうまく行かず...というかわいいお話が初登場回だった。ドラマでは原作のグラディエーターが完全再現されている。あとメルビンの工房には、同じく初期デアデビルに登場したヴィランであるスティルトマンのスーツが置いてあるのが確認できる。

ウィルソンフィスク(キングピン)の初登場はスパイダーマン誌だった。巨大な体躯が特徴で、頭のキレる犯罪組織のボスとしてヒーローたちを追い詰める。ウェスリーという助手といつも一緒にいる。日本とも若干のつながりのあるキャラクターで、このドラマで「子供のころアジアの親戚のところにいた」という発言があったが私はそれは日本のことではないだろうかと推測している。昨年公開の3Ⅾアニメ映画「スパイダーマン スパイダーバース」にも登場していたのでなじみがある人も多いのではないかと思う。スパイダーマンの活動拠点がニューヨークであることからもわかるように、キングピンはデアデビルとも衝突することになる。キングピンはデアデビルの名物ヴィランとしても定着し、デアデビルの黄金期として名高い80年代に展開されたストーリーでは熾烈なバトルを繰り広げている。また2019年現在の最新のストーリーラインでは、ニューヨークの市長になったキングピンとデアデビルの戦いが描かれている。

スーツ 最初のデアデビルは黄色と赤色のスーツを着ていた。だがこのカラーのスーツが登場するのはわずか七話分で短命だった。真っ赤なスーツに変更した後、一度90年代に黒基調のアーマースーツに変更した時期と、今からごく数年前に黒いスーツに変化したことはあったが、それをのぞけば大きな変化はなく赤一色で継続している。

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daredevil:fall from graceよりアーマースーツ

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daredevil:back in black:chinatownよりブラックコス

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  daredevil#600よりデアデビルスタンダード

「デアデビル」でマットの着ていたマスクは、デアデビルの本筋コミックとは別枠のスピンオフ短編「daredevil:the man without fear(邦訳版 デアデビル:マン・ウィズアウト・フィアー)」からのものだと思われる。

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最終話に登場したコスチュームは真っ赤ではないものの、キャプテンアメリカやアイアンマンの実写化の事例を加味するに、アーマースーツがモチーフであると断言はできないように思う。ただ、デアデビルのデザインで赤の次に彼のイメージを投影しているのは黒という理解は問題ないと思われる。


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