最近の「食べたい」に対する考察

 子供の頃、私は親(99%母親)に何か言われると、黙り込むタイプだった。何を言えば正解なのかわからなかった。何を言っても母の機嫌なんて直らない気がしたし、何を言っても理解されないと思っていた。(母との関係は良好です)
 7歳の息子が私に対してそこまで思ってはいないとは思うけど、それでも私に注意されると黙り込むことがよくある。たぶん言葉が出てこないんだと思う。「言わないとわからないよ」と使い古された言葉をぶつけてしまう。言ったって事態が好転するとは限らないのに。
 

 子供に注意するとき、どうしたって感情を乗せてしまう。結果的にそれは注意ではなくなってしまう。これをしないでほしい、という元の目的から逸れてしまう。子供はよくわからないけど怒られた、私は怒りたくないのに怒ってしまった、だけが残る。何もいいことない。
 もっと子育てスキルを磨くべきなのか?一日の時間は限られている。私がやりたいことは果たしてそれなのか?

 
 7歳の息子、今のままだとこの先学校生活がますます困難になる。具体的な対応は来年度からになる。日々できることは少しずつやっている。
 でも追いついていないんじゃないかな。先生に迷惑ばかりかけているんじゃないか。友達にも嫌な思いをさせているんじゃないか。息子自身も大変だろうけど、どうしても周囲への影響を心配してしまう。
 先のことを考えると気が遠くなる。うーん、やだやだ。私は子供にどう生きてほしいんだっけ。

 自律/自立してほしいんだった。でもまずは元気でいてくれればそれで十分だと思ってる。
 子供のことは、あんまり先のことを思い悩まないほうがいいのかもしれない。いま悩んだって、何もわからない。それよりも今日も元気で生きてくれたことに感謝して、たくさん可愛がればいい気がしてきた。問題は、次から次へとたぶんやってくる。今から身構えていてもきっとキリがない。
 

 来月3歳の娘、言葉のコミュニケーションが上手になったがゆえに、自己主張がまあ強い。娘に大声で何か言われると、余裕のない私はさらに大声だしてしまう。すると娘は負けじとギャーギャー言うときもあるし、びっくりして静まってしまうときもある。どっちのリアクションも私が望むものではない・・・。自分が大声出した時点で負け。自分が嫌になってしまう。
 
 無理なんだよ、この年の子供を言ってきかせるなんて、プロでもないと無理だよ。そしてこの年の子供はいつも全力。息子もそうだったけど、とにかくおかあさん(私)が大好き(おとうさんはいや)。
 可愛い子供に好かれて、こんなに幸せなことはないはずなのに、だいたいいつも余裕がない私は嬉しいよりも負の感情が勝つことも多い。家族であっても、あんまりにも一緒にいるの、私は苦手なんだな・・・と改めて気づいた。

 2人目だから、すべて通ってきた道のはずなのに、なんなら余裕は1人目のときよりもない気がする。上の子の精神がまだまだ幼くて2歳と普通に揉めるので、そんな上の子に焦りを感じるし、2歳の泣き声はメンタルを抉るしで、また私は爆発からの自己嫌悪コースです。
 子供の成長はあっという間で、今の娘に会えるのは今だけなんだよ。早く大きくなってほしいとは思うけど、でも今の可愛さもしっかり堪能したいんだよ。どうしたら、余裕が持てるのか・・・。

 
 一日の大半の時間を費やす仕事。会社には仲良い人もいるけど、安定しているといえばしている会社だけど、正直全然好きではないです。それでもいいと割り切ってずっと続けてきたけど、この先もそれでいいのかはずっと迷ってる。ストレスばかりがたまっていく。いままでもやってはこれた、これたけど・・。
 

 どういう日々を送りたいんだっけ。
 健康な心身を長く保ちたい。あわよくばボディメイクしたい。たくさん食べても太らない身体になりたい。-よし、食事管理と運動を続けよう。毎日設定カロリー内で食事して、早起きして運動しよう。
 子供は私の所有物じゃない。一人の人間として対等に、誠実に接する。大人になるまで一緒に暮らすから、できるだけ仲良しでいたい。家族にとって、家が安心基地であり続けるために、私はあんまり不機嫌になりたくない。
 好きなことをしたり、好きな人に会ったり、そんな風に自分を「好き」で満たして楽しく過ごしたい。一人で静かに過ごすのも大事だから、一人時間も確保したい。
 
 なんて素敵なんだろう、こんな風に過ごせたら。
 今?時間も心のゆとりも足りてないよ。いや、足るを知るべきなのかな。今もできることはやっているじゃん、今も十分だよ、今を見てよ、私。周りばかり見てないで。
 
 しかし、びっくりするほど、社会のためにああしたい、こうしたいがないな・・・。年齢は重ねましたけれども、中身はいつまでも子供だし、この先もそうなのかもなって気がしているよ。
 そんな子供な自分がなんとか今日まで生きてて、偉いよ、頑張ってるよ。
 


 ・・・適当にキーボードに向かったら、上記のような言葉たちが出てきました。自己満足です。読んでもらうことを想定していないので、読みづらいです。面白くもなんともないです。

 
 こういうもやもやが積もり積もって、「できた」「できなかった」を戦わせて、身体は元気だけど確実に私のなにかがすり減っていて、最近とにかく「食べたい」に行きついています。
 まあ、単に寒くなってきたのも大いにある。美味しいものが世の中にあふれているのも大いにある。でも、それだけじゃない「食べたい」さんが、います。私の隣にぴったりと。

 食べてる間は幸せ。そういうホルモンが出てるからね。
 五感で食べることを楽しんでいる間は気持ちが満たされる。食べていない時も食べ物のこと考えちゃう。大丈夫?私。またリバウンドする?大丈夫?
 うーん、調子いいときは1週間カロリー守ることもできたんだけどな。いまはそれができる気がしない。うん、甘やかしていいですか?
 言葉にしてアウトプットしてみたけど、そのうえでも収まる気がしない。本心がわからない。たぶん頑張れば守れるけど、いま私は頑張りたいのかどうかがわからない。来年もリソ杯に出たいし、ずっと元気でいたいんだけど、それと逆行することをしたいという気持ちもある。
 
 環境は変わるから。変えられるものはあるから。きっとそのうちもう少し余裕がうまれるときがくるはず・・・。そのとき頑張ろう。希望はあると信じよう。私の地球に占める割合が増えたら、喜んでくれるサロメンさんがいるんだよ?!


 自分のことになると、少しギアを落とすという決断をするにも、こーんなにうじうじしなきゃ動けないというね。


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