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筑前煮

39℃。頭はボーッとし、身体は鉛のようだ。
大学入学と同時に一人暮らしを始め、引っ越し3日目に風邪を引いた。
下宿先は駅から遠く、おまけに坂道だらけでこんなところに1週間も住めば足腰が鍛えられそうだ。
節々の痛みと寂しさで死にそうになりながら母に電話すると、片道2時間の距離を飛ばして来てくれた。
手には肉と野菜、そして寸胴鍋。おお、なんと勇ましい。
母は手際よく部屋を片し、大量の筑前煮を作って帰っていった。子どもの頃から、よく作ってくれた筑前煮だ。母が大学時代に住んでいたアパートの寮母さんのレシピらしい。
それにしても寸胴鍋。一人でこんなに食べきれない。
4月に入学してまだ3日目だ。友達と分けるためにこんなに作ってくれたのだろうか。
当然友達も出来ていないし、サークルにも入っていない私は、朝昼晩と大量の筑前煮を食べ続けた。最後の方は筑前煮が腐るのが先か私の心が折れるのが先か、時間との勝負になった。そんなこんなで一人暮らしは筑前煮で幕を開けた。
田舎の丹波では、家に鍵をかけるという習慣がない。車も鍵は付けっぱなしだし、両親が戸締まりをしているのを見たこともない。隣人や地域の人々はみんな家族同然で、歩くと「ただいま」「おかえり」が飛び交う。
大阪に引っ越してきて、一番驚いたのが同じ屋根の下に暮らしている人の顔が分からないことだった。両隣と真上の階の人は、母と栗最中を持って挨拶に行った。両隣に関しては、醤油が切れたらもらいに行く仲になる、くらいに考えていたので全力フレンドリーで向かったが、初めましてで既に温度差があった。
壁は驚くほど薄く、生活音は筒抜け。あまり仲良くない人とシェアハウスをしているような気分だ。相手の事はよく知らないが、生活習慣や恋人事情は友達や家族よりもよく知っている不思議な関係。他の階の住民は、何となく放っておいて欲しいオーラを醸し出していたのでだんだんとこちらも挨拶しなくなり、誰が住民で誰が訪ねてくる知り合いか、全く分からなくなった。
しかし、大家さんだけは違った。私の部屋は二階だった。建物の目の前が大家さんの畑で、よく野菜を分けてくれていた。ベランダで私の姿を確認すると、大家さんは手を伸ばして芋をくれる。筑前煮が終わり、コンビニ弁当ばかり食べていた私に、大家さんは四季折々、季節の野菜をくれた。たまに芋を煮て、いただいた野菜を追加し、バイト代が入ったら鶏肉を足し、私はよく母の筑前煮もどきを作った。
田舎の祖母も、畑で色々な野菜を作っている。祖母と離れて暮らすのはとてもさみしかったが、大家さんに出会う度に祖母を思い出し、私は心底このアパートを選んで良かったと思った。
2年後に妹が同じ大学に合格し、二人暮らしをするまで、私はこの家に住んだ。坂道に強くなったのはこのアパートのお陰だと思う。
大学を卒業し、大阪に就職が決まった。数年間勤めた後、家業を手伝うことになり私は田舎に帰った。ふとテレビを見ていると、驚くべきニュースが飛び込んできた。老夫婦が手を縛られて強盗に遭い、1000万円が盗まれたという。それはなんと、私がお世話になったアパートの大家さんだった。命は無事で怪我も無く、胸を撫で下ろしたが、本当に悲しい出来事だった。我が子のように可愛がってくれた、あんなに優しくて良い人が、こんな酷い目に遭うなんて。犯人が目の前にいたら大根引っこ抜いて撃退してやるのに。
大家さんが心配になり、暫くしてから久しぶりに会いに行った。
元気そうな顔。あの頃と全く変わらない笑顔だった。
「あのニュース、大丈夫でしたか」と聞くと
「わしは大丈夫や。犯人も、いろいろあったんやろうなぁ」と大家さん。
ああ、神様。宝くじを当てるべき人が、ここにおられます!少なくとも1000万円を!!
私の大家さんは、どんな時でも穏やかで、住民を見守る陽だまりのような方だった。
あれから約20年が経った。今、あの大家さんはどうしているのだろう。ご存命なら、ざっと計算しても100歳くらいか。
久しぶりに、お手紙でも書いてみようか。いや、そんな勇気は私にはない。代わりに筑前煮を作ろう。芋率が高く、鶏肉少なめの。あの頃よく作った筑前煮を。

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