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胸ポケットのお守り

苦節七年。「不合格」の文字を見た回数、数知れず。
大学を卒業してからNHKの子会社に就職し、3年半勤めた。26歳の時に実家に戻り、家業を手伝う内に税理士の仕事に興味を持ち、私は試験勉強を始めた。
甘く見ていた。最初、税理士になるのがこんなにも大変だと予想もしていなかったのだ。税理士になるには、5科目を合格しなければならない。毎年、本番のプレッシャーに負けてしまい、ケアレスミスや凡ミスを繰り返し落ち続けた。私は5科目の内、たった1科目も合格することが出来なかった。一年毎に、プレッシャーという怪物は「不合格」を餌に肥大していく気がする。
この約十年間、私の辞書に盆と正月など、なかった。家族は気を遣ってくれたのか、逆に先に諦めたのか、もう私に「頑張れ」と言わなくなった。
死ぬまで受からない気がしたため税理士試験から撤退し、短期決戦の会計士試験を目指すことにした。
私は会計士試験のため、CPAという専門学校に通っていた。この学校の講師をしている池邉先生は、私の恩師だ。合格発表の日、他の先生達は合格者に向けてツイッターでメッセージを発する。しかし池邉先生だけは、お祝いは他の講師に任せて、誰よりも何よりも先に不合格者に向けて励ましの言葉をくれる。
2018年の合格発表日。はい。落ちた。
ツイッターには、合格者達の喜びの声が溢れている。眩しすぎて見ることができない。
その中で、池邉先生のツイートが目に飛び込んできた。
「試験に落ちていいことなんて何ひとつない。早く受かる方がいいに決まっている。
痛みの数だけ人に優しくなれるというが、そんな優しさを発揮する機会もとりあえずない。
でも、よく考えてみてほしい。試験に落ちたからといってあなたの人生に傷が付いたわけではないし、まして人生が終わったわけでもない。何より、これまでの努力が無駄になったわけではない」
そうだ。私の努力は何も無駄になったわけではない。というか誰が私に期待してるんだ。誰に頼まれたわけでもなく勝手に一人で夢を追いかけて。勝手に一人で落ちて。というか、死ぬわけじゃないし。池邉先生のメッセージはこう続く。
「幸いなことに、論文式試験は毎年ある」
もうこうなったら、死ぬまでに合格できたらいい。何年かかっても、いい。7年も8年も10年も20年も変わらない気すらしてきた。もう一年、頑張ろう。池邉先生の言葉を胸ポケットにいれた。このメッセージをお守り代わりにして、私は再度、立ち上がった。這い上がってやる。くじけそうになった時、誘惑に負けてしまいそうになった時、眠くて仕方がない時、どうしてもやる気が出ない時、節目節目に胸ポケットからお守りを取り出して、読み返した。池邉先生の言葉はいつも、瑞々しくて身体の中心にストンと落ちた。
私は悲しい哉、天才ではなかった。だから、誰にも負けないくらい、勉強した。自信を持って言える。死ぬ気でやり切ったと。一年後、私は合格した。
私の夢は、CPAで池邉先生を讃える合格体験記を書くことだった。とうとう、夢が叶った。合格体験記がアップされた日の、池邉先生のツイート。
「合格体験記を読んで泣いたのは、初めてかもしれん」
私のページのURLと共に呟かれたこの言葉が、嬉しくて嬉しくて、私は3日間くらい眠ることができなかった。不眠不休の後、気絶寝し、起きた時またツイートを開いて夢ではなかったことを確認し、胸をなで下ろした。
言葉は、魔物だと思う。人を自殺にも追い込む力を持ち、時に人をこんなにも励まし奮い立たせ、そして実力以上の力を引き出してくれる魔法のように発揮することもある。
死んだ時、神様が現れて唐突に
「人生の中で、一番頑張った記憶を指差しなさい」
と言われたら迷わずこの7年間を指すだろう。そして
「聞いてください神様」
と恩師の自慢をするだろう。
一人では、成し得なかった。同じ方向を向いた人々との、かけがえのない出会いがあり、何度も何度も支えられて、走り抜いた。いや違う。今、スタートを切ったのだ。
来年から私は一人暮らしを始める。再び、社会人一年目だ。次の夢は、一人前の公認会計士になること。色んな経験を積むのだろう。どんな壁が立ちはだかろうと、大丈夫だ。胸に手を当てると、いつでも池邉先生の顔を思い出すことができる。強くて温かい言葉を、指でなぞることができる。7年間の内、家族からもらった数十個のお守りは茶色く色褪せたが、胸ポケットのお守りだけは、いつまでも輝いて色褪せることがない。


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