見出し画像

『隠れ婆』という妖怪

水木しげる御大はお化けかるたのこの絵札を紹介しているけれど、牽強付会のきらいがある。

隠し神に分類される様々な怪異の中で『隠れ婆』、『隠し婆』と呼ばれる老女の姿をしたものがある。婆は『ばば』と『ばばあ』どちらもあり。
妖怪事典的な文書では神戸市平野の妖怪として紹介されている。この地名で検索すると神戸市兵庫区の人家のまばらな山中が示されるので、現在の地名でどの辺りであったのかを調べてみた。


結論としては、

  • 兵庫県民俗資料 第十一輯、筆名を『弱法師』とする者の記事『散木談』P. 22 が『隠れ婆』の出典。

  • 出版当時の『平野』が指すのは、神戸市湊区平野町。かつては奥平野村と呼ばれていたエリア。

  • 平野町、奥平野村を古地図で確認すると現在の神戸市兵庫区上三条町、上祇園町、下祇園町、五宮町、梅元町辺りに家屋が集中していた。

となる。隠れ婆の記事はこの辺りで採取された伝承を書いたものと思われる。

兵庫県民俗資料

兵庫県民俗資料 は最終的に第十八輯まで発行された、律制国の摂津・播磨・丹波辺りを対象にした郷土研究・考現学同人誌で、昭和七年五月十日の第一輯から昭和十年十月二十五日まで続いた。
主たる編集者は河本正義と桜谷忍の2名。自宅やらその時その時で印刷社を変え作成されている。

弱法師

おそらく読みは『よろぼし』
幸若舞、能の演目で四天王寺、彼岸の中日に行われる日想観(じっそうかん)前後の物語の主人公、俊徳丸のことかと思われる。
兵庫民俗資料全18冊内の記事執筆者の内で唯一、個人の特定が出来ない筆名。
隠れ婆の記述のある第十一輯以外に第七輯と第八輯にも記事を載せている。

初登場の第七輯では1ページの記事を2ヶ所に分かれて掲載しており、目次ににも載せられていない事から、編集者2名が共用する埋め草用筆名ではいかと考えられる。
河本正義は兵庫県民俗資料発行当時に湊区平野町下祇園町四二六に住んでいたのと、散木談には平野辺りで聞いたという話が多いことから蓋然性は高い。

記事について

全文を引用

隠れ婆
 小児夕暮れに至りて隠れん坊と称ふる遊びをなすに、いと暗くなりて路次の隅又は家の行詰りなど、人隠るとも不知る所には隠れ婆と云へるありて、掴み取持て行く故に人の顔さだかならず成りての隠れ遊びはすべからずと(神戸平野)

兵庫民俗研究会、兵庫県民俗資料 第十一輯、個人製造の謄写版、昭和八年九月四日発行
散木談 弱法師

怪異・妖怪データベースの誤字(修正済み)

国際日本文化研究センターの『怪異・妖怪伝承データベース』

https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB/

ここには古今東西の妖怪に関する文献情報がまとめられており、利用者が検索できる様になっている。
しかし、最近まで隠れ婆は検索結果に出てこなかった。これは、兵庫県民俗資料を採録した国書刊行会版では原典の『婆』を『姿』と読み間違えて『隠れ姿』という誤字になっており、本データベースもこの誤字に基づく名称で登録されてしまっていた。
典拠を添えて指摘したところ、しばらくすると修正が入った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?