監修 中山正民 漫画 浅野利治(1979)、学研まんが ひみつシリーズ 日本の秘密探検、P. 74 より 四高漕艇部員の水死体 琵琶湖の深部は低温で溶存酸素濃度が低く、生物は皆無。この層に辿り着いた死体は腐らず、何かの餌になることもなく長い間保存される。 長い歴史の中で何人も水死者が出ているだろうから琵琶湖の底は死体で一杯で、底流に乗ったそれらの漂う様は行進と呼ばれる程のものである。 大体、こんな感じの都市伝説があり、鎧を着た武人の死体が揚がった事があるという話やら何やら
隠し神に分類される様々な怪異の中で『隠れ婆』、『隠し婆』と呼ばれる老女の姿をしたものがある。婆は『ばば』と『ばばあ』どちらもあり。 妖怪事典的な文書では神戸市平野の妖怪として紹介されている。この地名で検索すると神戸市兵庫区の人家のまばらな山中が示されるので、現在の地名でどの辺りであったのかを調べてみた。 結論としては、 兵庫県民俗資料 第十一輯、筆名を『弱法師』とする者の記事『散木談』P. 22 が『隠れ婆』の出典。 出版当時の『平野』が指すのは、神戸市湊区平野町。かつ
兵庫県と大阪府の境界に聳える妙見山。その大阪府側からの参道(本瀧道)脇に廃寺『法華經寺』の残骸がある。かつての境内にはまだ稲荷の社が建っていて、傍らには縁起が刻まれた石碑がある。参道を歩くハイカーは多い筈だが、この祠について言及している者は僅かである。 このまま朽ちるに任せて忘れ去られるのも忍びないので、少し調べてみて分かった事を並べてみた。※なお以前にmixi の日記に書いた事と内容としては重複している。 石碑に刻まれた全文は次の通り、 親切第一稲荷神社鎮座之記 大正
四天王寺にほど近い清水坂に、かつて『浮瀬』という酒楼が存在した。17世紀の末から19世紀末まで凡そ200年間の歴史を持っており、その間の栄枯については『浮瀬 奇杯物語』坂田昭二が決定版とも言える内容で網羅的に述べられている。 『浮瀬 奇杯物語』(以降、奇杯物語と略す)では大阪、京都、東京に出来た、それぞれ独立した経営者の浮瀬についてその歴史が文献情報を基に書かれている。ただ、その中でも最も有名でかつ長期間営業を続けていた大阪の浮瀬の、特に明治時代に入ってからの最末期に関して