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琵琶湖湖底の死体

監修 中山正民 漫画 浅野利治(1979)、学研まんが ひみつシリーズ 日本の秘密探検、P. 74 より 四高漕艇部員の水死体

琵琶湖の深部は低温で溶存酸素濃度が低く、生物は皆無。この層に辿り着いた死体は腐らず、何かの餌になることもなく長い間保存される。
長い歴史の中で何人も水死者が出ているだろうから琵琶湖の底は死体で一杯で、底流に乗ったそれらの漂う様は行進と呼ばれる程のものである。

大体、こんな感じの都市伝説があり、鎧を着た武人の死体が揚がった事があるという話やら何やらもセットで語られている。
こういった事に何か根拠があったと思いネットの書込みを調べるも同じ文面ばかりで深堀りされたものはなかった。そのため、検索エンジンの対象にはならない情報源に当たってみたところ1984年の朝日新聞の地方面が見付かった。これが基になって拡がったのだと思われる。


湖底からのメッセージ

朝日新聞地方面滋賀県版に『湖底からのメッセージ』という連載記事が1984年に在った。その第4回から第6回は『幽界』と題され琵琶湖に纏わる怪談を取り扱っていた。

幽界 中

1984年7月10日の第5回『幽界 中』は次の様な書き出しである。

問題の水域に出漁中、湖が荒れると、昔の手こぎの漁船は三角波をかぶって転覆、湖の藻くずとなることが多かった。遺体さえもめったに見つからなかった。竹生島付近の湖底深く、墓場があり、湖に沈んだ遺体はすべてここに集まり、二度と浮上することがない、と信じられていた。

湖底からのメッセージ 5 幽界 中. 朝日新聞 滋賀版. 1984-7-10. 地域面 P.3

そして題字よりも大きな『亡者集まる?低水温の深み』


官報に掲載される行旅死亡人

独立行政法人国立印刷局にて印刷される日本国の機関紙である『官報』。国としての作用に関わる事柄の広報および公告を目的としている。
この官報に行旅死亡人という欄があり、身元不明の死体の情報が掲載される。
過去(昭和22年5月3日以降)に発行された官報を対象とした検索サービス(国立印刷局が提供する官報情報検索サービス https://search.npb.go.jp/kanpou/)を利用し琵琶湖での水死体と思われる行旅死亡人を探してみても、旧い時代の死体が近年になって打ち上ったり、引き揚げられたりという例を見出すことは出来なかった。
遺跡から発掘された縄文時代の遺骸、どこかの土葬された死体を動物が掘り返し地表に現れた江戸時代のものと思われる骨といったものでも身元不明の死体扱いで掲載されるので、もし都市伝説の様な鎧を着た死体が発見されていたのであればまず掲載されてしかるべきだ。

葛籠尾崎・水中考古学

小江 慶雄(おえ よしお)『琵琶湖水底の謎』(講談社現代新書、1975年)がこの朝日新聞記事の元ネタと推定する。
竹生島は岬状の地形の先端部の山地だけが完全に沈降せずに残った地形であるとか、昔の葛籠尾崎の地図には現存しない土地が含まれているとか、湖底から引き揚げられた土器の事やら、琵琶湖の水中に関わる雑多な事柄が纏まった書籍で、学研漫画の琵琶湖に言及するページを描く際に参考にされたかもしれないものである。
第二章 敗者の湖 4項『奥琵琶湖の謎』に竹生島、葛籠尾崎近傍の遭難者の死体は浮かび上がることなく生きたままの姿で集団を作っているという漁師間の伝承について言及されている。
水深60m 以下の水温は常時摂氏6度未満(滋賀県水産試験場に依ると実際のところは摂氏8度未満位の様である)であることから腐敗が進まず(気体が発生せず)浮かんでこないのではないかという事らしい。

本の中では言及されていないけれど、淡水では水深が深くなると溶存酸素が希薄なので、死体を餌とする生物が皆無という事も水底に死体が残り続ける尤もらしさを増している。

ただし、小江慶雄自身はこれらの水死体を目撃したことはなく、伝聞情報でしかない模様。
滋賀県立図書館まで出かけて、地元の伝承をざっと確認した範囲では葛籠尾崎沖を航行する汽船で念仏、鉦ないし鐘の音が聴こえたという怪談ぐらいしか見つけられなかった。

結局、実際に時代の古い死体が引き揚げられた事が事実として在ったかは判らないままである。何もかも『らしい』で記事が独り歩きしている。


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