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Web1からWeb3までを自身の経験から振り返るという記事

Twitterではweb3おじさん的な感じでweb3の可能性や仕組みをちょくちょく書いているが、私自身については謎に思っている人も多いと思うので、記事を書いた方が良いかなと思い今回ちょっと長めの記事を書きたいと思う。

Web1に出会った学生時代

謎の多い人生を送ってきた私について、少しだけ触れていきたいと思う。長崎の高校を出て広島大学に入学したのが平成6年、1994年だ。そして今では珍しく、1年次から研究室付きとなって文学部の「言語学研究室」というところの所属となった。

言語学研究室はなぜか結構予算があって、当時はUnixとWindows3.1のパソコンも研究室には置いてあり大学院生が触っていたのでそれを教えてもらったりしていた。(予算があったと言えば、ルーブル美術館から300万円のハムラビ法典のレプリカを買ったのは良い思い出)

さらに、95年以降はご存じのようにWindows95の時代となって、今度は「インターネット」の世界の魅力をまた先輩たちから教えてもらうことになった。言語学研究室は基本的に言語に関する分野ならなんでも研究して良いという自由さもあったので、私は擬音語・擬態語の日韓比較をしたいと思い、韓国でクレヨンしんちゃんの韓国語版を買ってきて、それを日本語版と並べてスキャンして比較図を作るという作業に没頭した。エクセルやワード、外部デバイス(印刷機やスキャナーとの接続)、インターネット接続についての一通りのノウハウはそこで学べた気がする。

学生時代からアメリカンフットボール部の先輩に誘われて広島の生徒数3万人いる大手塾の新規事業部で、学生のリクルートの事業の事業企画をしていた。大学4年生の時は就職説明会に会社側として同級生に企業説明していたのが良い思い出だ。

新卒からの1年目での起業

その後、新規事業が中止になり、少人数学習塾の企画運営に携わることになった。その時に一緒に事業を立ち上げたメンバーが独立するというので、元々学習塾をやりたいというわけでもなかったので起業するというのに惹かれて一緒に取り組むことになった。

アルバイト情報サイトを始める

その中で、学生のアルバイトを募集するときに、地元のフリーペーパーに聞くと1枠5万円と。大学生が読んでいるというわけでもなく、費用対効果が悪いと感じ、それなら自分で作れるかも!と思い、アルバイト情報サイトを自分で作り、メールフォームからメールを登録させて、そのメールに配信するというのを一人で作った。名前はe-job express。ベタすぎる名前。

ポスティングをしたり、Yahooディレクトリ(昔のヤフーはフォルダ形式のディレクトリだった)に登録したりしたので、登録者も増え2000名くらいの学生が登録してくれた。

学習塾のアルバイトの募集を送信すると、10名以上の応募が来る。これでアルバイト募集の心配はなくなった。だが、学習塾募集しか来ないアルバイト情報もなんだかと思い、近所の飲食店に紹介することにした。

飛び込み営業に行くと「お!Webサイト作れるの?じゃあうちの作ってよ」的な感じでホームページ制作の依頼が来るようになる。当時は「ホームページは持っていないといけない」が「誰も作れる人がいない」といった状況だったため、こちらが本業になってしまった。

Web制作専業からの大失敗

そして、学習塾は社員に営業譲渡できたので、ウェブサイト制作会社として2005年ごろに再度起業することになる。

しかし、なかなか思うように受託が取れず、毎月どんどんお金が消えていく中で、どのように生き残っていけばよいか迷ってしまった時期があり、とうとう資金も底をついて、所持金100円で道をさまようみたいな状況までなってしまった。

とんかつ屋修行時代

たまたま、以前の知り合いで飲食店を経営している方から飲食店の職を提供してもらったので、そこから約4年間、とんかつ屋さんとして厨房でとんかつを揚げる日々が続いた。30歳~34歳くらいの時だったと思う。

ということで、とんかつに関してはおそらく結構な職人になれたと思うので、みんなでとんかつパーティしましょうw

Web2の時代。ディレクション・SNSマーケティング

そこから、ウェブサイトの制作に戻り、今回はスキルもなくなっていたので、ディレクションだけを行い、デザイナーとコーディング担当を別々にお願いして、コーディングは海外のオフショアを使うなどして制作を行っていた。

また、セミナーの集客やSNSの支援といったマーケティングのサポートも依頼が多くなってきたために、SNS運用やSNS広告といった仕事もやり始めたのがこのころ。まさにWeb2を最大限活用したマーケティングを考えていた時代。北別府さんには大変お世話になりました。

Web3の夜明け

そんなこんなで結婚して、広島に住んでいたのが、妻の実家の名古屋に移住させられるして、再度そこで新しく仕事を始めることになった。そこで、スーパーエンジニアのおじさんと出会い、共同創業することになる。

2017年ころの話。その当時、トークンを作りたい、トークンを管理したい、スマートコントラクトでこんなことをしてみたいといった依頼が知人から来はじめて、ニーズがあると踏んでブロックチェーンに全振りをしていった。

そして、2017年の末にクリプトキティーが流行ったのをみて、ゲームをつくろうと思い立ち、CryptoNinjaというゲーム(イケハヤさんのとは関係ない)を作った。(その後イケハヤさんとも会話して仲良しではある)

そして、それをCEDEC2018で講演できることになり、ゲームロジック部分まで全部スマートコントラクトで構築したフルオンチェーンゲームをつくってみた結果について報告するという機会に恵まれた。

そこから、いくつかのゲーム会社さんとの会話が始まり、その中でエイベックスのゲーム部門の責任者であった岩永さんと出会い(彼は今MetaSolareのCOOとしてブロックチェーンプロジェクトを率いている)、エイベックス・テクノロジーという新しい会社を設立することになった。

初めての大企業❤

これまで読んでいただいてきた人は分かる通り、今まで個人事業から10人程度の組織でしか働いてこなかったので、1000名を超える上場企業に籍を置くことは結構新鮮で、40代になって初めて新卒気分を味わう感じであった。

エイベックスでは、2つの大方針を立て、一つは「権利をマネジメントするためのブロックチェーンの仕組み」もう一つはデジタルアセットを商品化するためのブロックチェーンの仕組みである。両方ともAssetBank、A trustというサービスとして構築を行ってきた。


Web3おじさんがなぜ重要なのか
(ポジショントーク)

2020年以降は、新規事業の立ち上げフェーズは完了したというのもあり、私自身も、どちらかというとゼロイチを行うのがメインだったため、ブロックチェーン関連の新規事業の事業企画で複数社のアドバイザーとして動いている。

そんな感じで、今でいうWeb3には2017年ころから関わっており、2018年、2019年には、香港、マレーシア、ベラルーシ、マルタ、ソウル、サンフランシスコ、ロサンジェルスといった各地でのカンファレンスにも出て関連の人たちとの交流もあったので、それも今の礎になっている面もある。

40代のネット起業の経営者がWeb3でも活躍しているのをよく見かけるが、やはり、Web1の時代。インターネットが全てを民主化してくれる。地方にいても東京と渡り合える、世界と勝負できるというピュアな気持ちがあった時代を、このWeb3という潮流は感じさせるものがあると思う。

インターネットの無い時代>インターネットのある時代
携帯の無い時代>携帯のある時代
スマホの無い時代>スマホのある時代

この経験は強味にできるし、だからこそ、少し先を読んで動いていけると思う。逆に、スマホがあるのが当たり前の時代に生まれた人、ちょうど20代前半の人などは、私たちが思いもしないアイデアを出してくれるかもしれない。だから、ダイバーシティが重要で、いろんな年齢、国籍、性別がそれぞれいることで、新しいイノベーションも起こると思う。

なので40代のおじさんも仲良くしてほしい。

まだこれからが勝負。新しい企画も進んでいるので、発表できるのを楽しみにしている。またどこかでお会いしましょう。では。


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