知覧旅行記

今日、会社の先輩と、知覧へ行ってきました。
知覧に行くのは4度目。

きっかけは他愛ない仕事中の会話から。
60を超えた先輩二人が、
『知覧に行ったことない。言ってみたい。』
と、言葉が出たからだった。

私には信じられなかった💦
私みたいなのでも、何度も足を運び、戦争の怖さを目の当たりにしてきた。
きっかけがないと行かないところなのだろうか?

私は、絶対に連れていこうと決め、今日に至りました。


午前7時に会社の駐車場集合🚗³₃
集まったところで出発👊

知覧に着いたのは10時過ぎ頃だった😄
とりあえず、ご飯を食べようと、会社の人に聞いておいた
おすすめのお店
そば茶屋 吹上庵 知覧武家屋敷店
へ行った😁

そばがほんとに美味しい✩*॰¨̮
しかも、これで900円。安いです‼

お腹いっぱいになったところで、いよいよ特攻隊の資料館へ

まずは、富屋食堂

~ホタル館 富屋食堂の説明~

ホタル館は,第二次世界大戦末期に陸軍の指定食堂だった富屋食堂を,当時の場所に忠実に再現した資料館です。
ここでは,息詰まる戦況下で特攻隊員をあたたかく迎え「特攻の母」として慕われた鳥浜トメさんの生涯(2階)と,その特攻隊員とのふれあいの遺品や写真など(1階)を展示しています。
隣接する富屋旅館は,戦後昭和27年,遺族を泊めるために作られたものです。
知覧特攻平和会館と同様,戦争の史実や特攻の歴史的背景,当時の真情を後世に正しく語り継ぎ,二度とこの悲劇が繰り返されぬよう,世界の恒久平和を祈念するとともに,戦争の悲惨さ,平和・命の尊さ等を伝えています。

ホタル館と言われる所以は……

✱これは映画にもなっているくらい有名な話なので、参考までにネットから引っ張ってきてます。

訪問ノートに、住所&名前を記し、富屋食堂を後にしました。

次に行ったのが、特攻平和会館

外にも、いろんなものが展示されています。

そして、会館内へ

この一基は、海中より引き上げられたもの。
(✱ここまでは撮影可)

日本の技術はどの国をも凌ぐものだった。
特に、零戦は日本人の細やかな技術の集大成だった‼プロペラの間から弾が発射されるのには、綿密な計算が必要とされた。

館内は撮影不可なので、撮れないんですが、
たくさんの資料と戦闘機が展示されてます。

主に、特攻隊員が出撃前に家族へ送った手紙(遺書)。
大抵が母親へ書き記したものが多かった。

心に残っているのは、『天皇万歳』や『大和島魂』、『笑って行きます』など、10代から20代の子が言ったとは思えないものばかりだった。お国のために出撃して命を捧げることが、親孝行だとも。

死ぬことが親孝行?

今を生きる私には、耐え難いものでした。

辛い現実が目の前にあるのに、逃げずに立ち向かう青年たち。
何が彼らを戦場へ奮いだたせたのだろうと考えた時に、やっぱり"お国のため”というより"家族のため”だったのかなと思った。

これは、『三角兵舎』

出撃前に寝泊まりをした建物が復元されている。
この場所でなにを思い、どう心を決めたのかは定かではない。

だが、薄い布団を被り、声を殺しながらすすり泣くものもいたと聞くと、その時には、命を大事に出来なかった日本に、未来なんて無かったのかもしれない。

💙生きたい💙

その思いだけが残る場所のような感じでした。
肩が重くなるような気さえした。

熊本は、修学旅行で、長崎や広島の原爆資料館を見る学校が結構ある。是非とも、その機会は無くさないで欲しい。
戦争時に、たくさんの尊い命が失われたことを学ぶ機会を残して欲しい。

今があるのは当たり前ではない‼
犠牲の上に成り立った平和を忘れないで欲しい😢

#一度は行きたいあの場所

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

52,384件

私のありのままの日常を書いていきます🙆‍♀️いつまでも飾らない私でいたいです💖 よろしければサポートをお願いします。