治らぬ先、永遠の時間

一年の間に色々あったことは、
人に話せる内容ではない前提の上、
関わった人間が
本人だとできるだけわからないように
ただ自分の苦の部分を吐き出したいだけとして
話すこともできるようになってきた気がする

ただ、その合間に治らぬ病にかかったことは
おおかた誰にも、言えていない。

ストレスで再発する病、症状が重いので、悪化させると、歩行ができなくなる。
内省の中で自分に向き合い、一定のストレスがかかることも必要。
そういう表現者としてのあり方である人間として、
皮肉すぎる、と思う。

表現に向き合えば向き合うほど、
進行しては歩けなくなる。
まあ別に薬を飲めば治るので大したことはない
(その他諸々含めると大したことはあるのだが)
死にやせん。

表現者としての終わりが私の終わりだとしても、
死なせなんかせん。

まあそんなこんなな状況なわけだが、
生き続けると決めた以上、
この状況を不幸と捉えるほどヤワではない。
舐めるなよ

治らない傷をつけた相手を恨めるような人間でもない
相手にも相手の事情がある こうせざるを得なかった環境と 環境を生んだ仕組みを恨みたい。
仕組みを恨んだ先で変えてゆきたい。
それしか世界の人間関係と治安改善し、平和を生む方法などないと思っている。
愛する人が存分に愛を受け取れる世界。

それにはそれ以前に、自分が健康じゃなくっちゃならない。
この状況を不幸と捉えたってなんにもならない
どうせ生き続けるんだから
どうせ生き続けるんなら、認識を変えて心底笑って生きてえのよ 
かといって嘘をつく気はさらさらないが。
心持ちが全てだと思う。ものの見方というか。

さ、この治らない病を、どう幸に捉えるかね。

時間と機会が限られる分、大切な人のことを集中して見つめられるね⭐️とかね。

まあそんなもんでいいのよ。
必要以上に不幸になる気なんてねえので
だってそんなことしたってどうしようもないから。そういう紡ぎ方はやめた。

大切な人が今日も幸せを見つめられているのならそれでよい
わたしはわたしでできることをするだけ 愛されることを望んでくれるのなら更に愛すというだけで。じゃないならなくなるというわけでもないし。そんなんで愛がなくなってたまるか。

言葉が全てを表せるなんて思い上がるな。
言葉で全てを表せないからこそ、言葉を尽くしてゆきたいのだ。ふみこみ、ふみこまれたいのだ。

今日は、少し頭の疲労を感じて、癒しが必要、と同僚に伝えては、帰りに甘いものを買って飲んだ。なんでもない、たわいもない、ただ誰かを傷つけるでもない、ものの数分、最近の話だけして、いつも通りに解散した。
ものの数分、でもこれが永遠みたいなものだ、と思う。

疲れた頭に声が聞きたいと思い浮かぶ人、どうか幸せでいて。幸せを見つめていられますように。愛されていることを何度でも思い出してくれますように。苦を共にできる相手と、幸を抱き合いたい。

だいすきなひとが、今日も健やかに眠れますように。

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