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父よ


父は苦労人だった。

家族の前ではひょうきんであったが、寝言や寝顔はいつも苦虫を頬張っているかのように苦痛に満ちている時がままあった。

父はよく、団欒の中に些細な言葉を残した。


「いいか。"自分は凡百の一つ"と絶望の淵に立った時から大人が始まる。その淵から何を考え、何をしていくかが問われるんだ。」


幼少期の私には(大人って大変なんだな)と普通に引く言葉であった。世間的に大人の年齢に達した今、この言葉を深く噛み締める。辛い時こそ、この言葉がよく染みていく。

これは今考えると、かの有名なソクラテスの「無知の知」に近いものだと考えさせられる。何も知らない、できないを知る。そこからどう振る舞うかと問われていると言うことだろう。


「考えることをやめるな。昔の偉い人は、"人間は考える葦である"と言った。もし考えることをやめたら、お前は葦以下なんだ。言葉を発する価値もなくなる。」


思い返せば些かキツい表現なのだが、私には常に父の言葉はすんなり腑に落ちていた。

決して傲慢であってはいけない。そして、無知のままでもいけない。「何を考えて生きるか」を考える。倫理の中で正しく生きる。つらくとも苦しくとも、考えることを辞めてはいけないのである。それを努努忘れるなということ…かな?と捉えた。



「いいか。苦痛の谷を抜けたら絶望の壁がある。それでも歩み続けるのが人生だ。」


父はどのような苦痛に耐え、何度絶望したのだろうか。今となっては孫バカの好好爺だが、若い頃はさぞかしジャックナイフのような男だったのだろう。父は根暗だ。考え方が基本暗い。けど口調は、実際にはこんな風ではなく優しく問いかけるようにいつも言っていた。

私は割りかし根明であるが口調がかなり鋭い。私のせいで父の優しく語った言葉たちも、こんな風にトゲが生まれる。


「執着を捨てろ。どうせ全て捨ててあの世に行く。残るものは、お前自身がどう生きたかだ。」


父は特に、"モノ、人、正しく生きようとすること"への執着を捨てろと言った。「人は"正しく生きよう"と固執すると必ずぶつかる。正しく生きるというのは時代が教えてくれるもので、柔軟な発想がないとただの頑固者になる」と教えた。


全ての教えに必ずつく言葉は、「色々なことをたくさん知ること」であった。モノを知らずして考えることはできない、だから知って、考えて生きるのだ、と。


私は大人になり、父とよく話すようになった。小さい頃はわからなかった言葉も、今ならわかることもある。「あの時、こう伝えたかったんだな」等思うことが多々ある。父の言葉は難しい。わかっててもわからなかった言葉は、いつまでも教訓となり残る。



父よ。

あなたは凄い人だ。

あなたのような人に、良い意味ででも悪い意味でも出会ったことがない。

私はあなたを誇りに思う。



家電好きの小さな穏やかなおじさんだが、私には立派な親であり、師である。









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