地域デザインの9つの要点
1.地方同士がつながる
2.オープンな場をつくる
3.何でもやる
4.思いついたらやってみる
5.編集する
6.リフレーミングする
7.風景の価値を見出す
8. 「新しい地縁」を生む
9.愛という名の責任を負う
1.地方同士がつながる
インターネットと高速交通網によって、都会と地方の物流格差・情報格差は格段に縮まった。時代の先を行く東京のデザイナーが地方の地場産業を指導するといった図式が弱まり、自分の住む地域で成功したデザイナーが、その成功例を聞きつけた別の地方の依頼者の仕事を受けるケースも増えてきた。
コロナ禍でみながオンライン会議に慣れたために地方同士がつながりやすくなっている。また、まちづくりの先駆的な試みを行う欧米の地方都市のキーパーソンとも情報交換がしやすくなった。
2.オープンな場をつくる
都心のデザイナーは閉鎖的な環境で仕事をしている。その仕事ぶりは建物の外から見ることができず、どこに行けばデザイナーと呼ばれる人たちに会えるかもわからない。
しかし地方のデザイナーたちは仕事場に併設するようなかたちで、カフェやショップやシェアオフィスなどオープンな場をつくり、人と人とのつながりを生み出している。そこへコーヒーを飲みに来た人がクライアントになったり、定期的に飲み会やイベントを開いて人脈を広げたり、こうしたオープンな場がデザインの仕事の裾野を広げる役割をしている。
しかも、地方には、家賃1万円ほどで借りられる空き家や、魅力的な古民家など、人が集う場づくりに適した物件が揃っている。「空いてるから使ってもいいよ」に始まり、所有者でない人たちが管理して、周囲の人たちがそこから生まれる恩恵の共同の受益者になる。
そんなふんわりゆるいオープンなコモンは、すべての土地が隈なく開発されている都心ではほぼ不可能だ。しかし地方ではまだ十分実現可能である。確信とかないけどなんか面白いことが起こるかもというゆるい思いのもと、ふんわりと外の人たちに開かれたコモンは人をつなげ、共創を契機を生む場となる。
3.何でもやる
地方のデザイナーは専門外のこともこなさなくてはならない。最初はパッケージデザインを頼まれたのだが、結局、ウェブサイトづくりもパンフレットの執筆や編集も、ショップの内装デザインも、さらにはイベント運営や販路開拓まで手がけたといった話をよく聞く。大学では建築やプロダクトデザインを学んでいたけど、ロゴデザインを頼まれて「はい、やります」と答えて、最初は見よう見まねでグラフィックデザインの仕事をするようになったといった話も聞いた。
地方でクリエイティブな活動をしている人たちは、ひと言で肩書きを言えないような人が実に多い。手を動かしてデザインをするデザイナーであって、企画を統括するディレクターであって、事業やイベントを興すプロデューサーでもあって、セールスマンでもあり、実業家で、編集者で、教育者で……ともう何でもやっていて、肩書きを付けるのに困るのだ。だが、その何者かわからない感がむしろ人間的なあり方ではないのだろうか。
チャールズ&レイ・イームズが率いたイームズオフィスは、家具デザインだけでなく家具の写真も映像もパンフレットも展示デザインも行っていたわけで、トータルなディレクションは珍しいことではない。しかし、東京のような大都市にいれば、それぞれの領域に優れたプロがいるので、デザインは分業化したほうが、効率良く質の高い成果を生むことができる。
デザインがより良き生活を実現するための人の創造的な営みならば、分業化はほどほどにして、より全人的(ホリスティック)な創造行為であることを目指すべきではないか。デザインが分業化されすぎて流れ作業になってしまうと、問題に対しての当事者意識が薄まり、目先の利益を求める安易な経済効率主義に陥りがちになる。
4.思いついたらやってみる
人の営みにかかわるデザインでは、計画は実践とともにある。「こうありたい」というビジョンは先にあってもよい。でも、「まずは小さなことから実際にやってみる」という実践が多くの気づきをもたらし、実践がリサーチとなり計画に先立つことも多い。
PDCAサイクルは業務の効率化には適しているが、創造的な化学反応を起こすには、PのPlanをPlayに変えてみるとよい。Play→Do→Check→Act→Playというサイクルは「思いついたらやってみる」「挑戦してみる」「当事者(プレイヤー)として面白がる」「やってみて気づく」ということを引き起こす。この「やってみるPDCA」を先に回して、サイクルを十分回したところで、計画をつくるのだ。
参照記事→ Playから始まる「やってみるPDCA」とは?
デザイナーというのは産業革命以降、設計と生産が分離することで生まれた職能である。設計は美的感性に優れ、しかも生産技術と消費者の嗜好を理解しているデザイナーと呼ばれる人たちが事務所のなかで、製品の原型やデザイン画、設計図、仕様書、入稿原稿をつくり、彼らの指示にどおりに工場労働者が製品を生産していく。実際の製品は自分の手で生産しないのがデザイナーであった。
しかし、近現代デザイン史の主役たちは、この設計と生産(実践)の分離を無条件に受け入れてはいない。スタンフォード大学のd.schoolとIDEOが提唱したデザイン思考が有名にしたプロトタイピングは、まさしく「思いついたらつくってみる」という、Planの前にとPlayのサイクルを回す方法論である。
振り返れば、デザイン史の教科書の冒頭で語られることの多いアーツ&クラフツ運動を牽引したウィリアム・モリスは機械生産を嫌悪し、手仕事の重要さを説き実践したし、バウハウスは工房に親方制度を導入し、手を動かして原型を探求するプロトタイピングを重視していたし、チャールズ&レイ・イームズが第二次世界大戦中に自宅で成形合板加工機を自作しさまざまな構造や形状の椅子の試作をつくり、それをもとに名作椅子を戦後、次々に生み出したその過程はまさにプロトタイピングそのものである。
デザイナーは実際に工場で製品を生産することはしないが、設計工房では職人のように手作業の試行錯誤を繰り返して製品の原型をつくっていく。CADと3Dプリンターを使ってプロトタイプをつくるにしても、形体のバランスや面の連なりの美しさなど質的な判断はどこかで必ずデザイナーの身体感覚に委ねられる。
身体性(embodiment)とは「身体を基点とした表現」であり、同時に「形にする」という意でもあるが、身体性に基づいた設計を行うために、設計工房のなかでは「思いついたらやってみる」「手を動かして考える」という身体を基点とした制作を、多くのデザイナーたちは行ってきたのである。
工業製品なら実際の生産は工場労働者に任せればいい。しかし人の営みのデザインには工場がない。実際、長期的な視野のもと地域社会に関わっていくためには、身体を基点にするという姿勢を設計工房内から解放する必要がある。デザイナーもフィールドに出てプレイヤーになるということだ。
住んでみてわかること、地元の人と長く付き合ってわかること、そうした気づきを活かして、次のプロジェクトを企てて実践する。企みを人の営みに投げかけるには、自らの身体も人の営みのなかに投げ込まなければならない。
意味は後からつければよい。その企みと実践の長い道程は必ず物語を生み出すことになる。強度ある実存が物語を導き出すのだ。それぞれのプレイヤーは、それぞれの物語の主人公となり、語り部にもなる。こうして小さな村にでさえ、多様な意味と価値が創出される。
5.編集する
いま地方で必要とされているのは編集的な思考である。編集はゼロから価値をつくることはしない。いま目の前にあるものの価値に気づき、面白がり、それらを有効に組み合わせる。
面白い物語を探し出し、「この人の話、面白い」と人に知らしめる。おいしい食材をおいしいと言い、美しい風景を美しいと謳う。地場産業の優れた技術をこれぞ地域に根ざした優れた技術と語る。
それはトートロジーのようなものだが、それらをうまく組み合わせると、斬新な切り口などと呼ばれる価値を増幅する視点が生まれる。その組み合わせを時流に合わせ、体裁を整えて、世に発信する。価値のかけ算をするのが編集である。
ただ組み合わせるだけでなく、丹念な取材でいままで気づかれていなかった魅力を引き出したり、目利きに物の見方を紹介してもらったりと、人の眼差しを操作するための編集テクニックはさまざまある。
それらを駆使し、「ウチの土地には何もない」という住民たちの考えを変化させ、地元の人にとって当たり前の生活と風景を、体験すべき「文化」として捉え直すのだ。編集は、問題を解決することはしないが、問題の解釈を変えることができる。
工場見学や農業体験などの体験型ツーリズム開発も、今までの見過ごされてきた体験の価値を組み合わせる編集作業である。出版不況にも関わらず。雑誌スタイルのローカルメディアの発行は盛んだ。
ツアーを企画する人も雑誌を編集する人も、まず自分たちが人の営みを面白がらないといけない。自分たちの眼差しをツアーやローカルメディアやイベントなどさまざまな形にパッケージ化して、他者の眼差しを呼び込む。その際、外部と内部の両方の眼差しをもつ移住者やUターンの人が、地元の人たちが気づかない価値を見出すことに有効に機能する。
6.リフレーミングする
デザイン思考の要点のひとつに、リフレーミングというものがある。問題の枠組みを捉え直すという姿勢だ。デイヴィッド・ケリーの著書『クリエイティブ・マインドセット』にはリフレーミングの事例として、医師から軽量の切開器具をデザインしてくれと頼まれたが、問題を捉え直し、軽量化は図らず長時間の手術でも楽に持ちつづけられる切開器具をデザインしたというエピソードが紹介されている。
こうした課題解決の方法はデザイン分野だけでなく、イノベーティブな仕事をする人全般に共通する思考方法である。人が来ないのは交通が不便だからと考えて道路整備をするのではなく、そもそものそこに集まる理由がないからと問題を捉え直してみる。そうした発想のなかから、焼きたてのパンと地元の有機野菜が買えるショップ兼カフェをつくってみようという試みが生まれる。
仕事がないから若者が都会に出て行ってしまうという問題を経済ではなく人生観の問題と捉え直す。若い人は都会にしかできない暮らしを望んで地元を離れていくが、逆に都会ではできない暮らしを望む人を集めて経済的に支援する。アーティストに無償で工房にもできる広い家を貸したり、田舎暮らしをしながら仕事や研究に集中できる企業のサテライトオフィスを誘致する。そして、その人たちが集えるオープンな場をつくり、地域全体を都会ではできない暮らしが実現できる場所に変えていく。
そう考えると「地方同士がつながる」というのも「何でもやる」も「編集する」もリフレーミングといえるだろう。
7.風景の価値を見出す
人間は人工物をつくることで風景を書き換え続けている。大都市に限らず、地方の幹線道路のロードサイドも大きな変貌を遂げている。
風景とは空間の体験である。それは視覚的だけのものでなく、風の匂いや水の冷たさも坂の角度や街並みのの軒の高さも空間体験であり風景である。
「人の頭のなかを歩いている感じがする。都会は誰かが意図して作ったものばかりだから、いまは首都由来のもの以外から刺激を受けるようになってきた」と言ったのは、奈良県東吉野村でシェアオフィスを営みながら全国各地でデザインディレクションの仕事する坂本大祐さんだが(山水郷チャンネル第一回)、解像度を上げるほどに自然の風景はリソースの宝庫となる。
渋谷や六本木のような建物に覆い尽くされた高度に集約した都市は、建物を書き換えることで、その場所にしかない空間体験を再生産しつづけて、人を呼び込み土地の価値を上げる。しかしその空間体験は書き換えれば書き換えるほど、どこにも再現可能なものとなり、その場所にしかないはずが各地に似たものができて、いつか陳腐化して、また書き換えが必要となる。
一方、山や川や海、農地や森林や、古い家屋群が残る地域(地方とは限らない)では、書き換え困難のその場所にしかない風景(=空間体験)がある。ただ、地元の人には当たり前の風景(=空間体験)になりすぎていて、書き換え不能の価値であることを見過ごされている場合が多い。
風景は営みを続けるなかで、人々の記憶に刻まれ、その風景のなかで暮らす人たちの誇りとなり、その土地のアイデンティティとなる。
1990年代の渋谷を愛した人が今の渋谷を愛せるだろうか。脳裏に深く刻まれた記憶のなかの風景は書き換えができない。一人ひとりの記憶のなかの風景と、今この現実の風景が重なり合い、それを愛し続けられる幸せを実感できるようにし、その風景の価値を高め、風景への愛をもっとその価値を地域外に発信するすることは、地域デザインの大きな役割のひとつである。
8.「新しい地縁」を生む
地縁はアップデートできる。血縁は更新の幅が非常に限られているが、地縁は上書きしたり書き換えたりできる。
ドイツの社会学者フェルディナント・テンニース(テンニエスとも表記)は、近代社会が血縁や地縁など自然発生的に人々が結びついた共同体である「ゲマインシャフト」から、ある特定の利害関係のもとに個人が選択的に結びついた共同体である「ゲゼルシャフト」へ変容したことを指摘した。この流れは今も不可逆的に進行しつづけている。
もはやこうしたなかでゲマインシャフトを取り戻せという唱えるのは、ノスタルジーに訴求する懐古趣味であったり、政治的な復古主義であったりする可能性が大である。
ゲゼルシャフトの進展は、血縁や地縁に縛られて、「そこで生まれたからには、この生き方しかなかった人たち」を解放した。しかしそれと同時に、その土地が長い時間をかけてつくりあげてきた人々の営みを崩壊させてきた。地域の共同体を形成してきた人々が資本主義の論理に組み入れられ、人を機械のように働かせる生産活動の極端な効率化が労働から喜びが奪い去り、消費行動によってしか自己実現が図れない──そんな「疎外」をつくりだした。
しかし現在、ゲゼルシャフトが変容し多様化している。人々は早朝から夜遅くまで同じひとつのゲゼルシャフトのなかに生きているわけではない。経済的利益などのために役割分担される個人が機能的につながるといったゲゼルシャフト本来のケースだけでなく、趣味嗜好を共有するため、個人がSNS上で複数の人格をもった同士が緩やかにつながり、選択的だが決して機能的ではないゲゼルシャフトも生まれている。
変容し多様化するゲゼルシャフトのひとつとして「新しい地縁」が生まれている。そこに生まれたから必然的につながりあうという受け身として地縁ではなく、この土地が好きだから、ここにいる人とつながりあいたいという思いから生まれる縁。血縁のように逃れられない関係でなく、この地域をもっと盛り上げたいと自主的に行動することから生まれる縁。土地に縛りつけるのでなく、いつかまた別の場所に移り住むという選択が許される縁。
いま日本の様々な地域で、移住者やUターンした人たちが、都市では失われがちな人と人とのつながり方や、その土地に息づく伝統の魅力を再発見して、良いものは残し、それに新たに価値づけを行い、「新しい地縁」をつくっている。「開発」という名のもとに、昔ながらのコミュニティや風景を全面的に書き換えてしまうのでなく、その土地の人が気づいておらず、よそ者には新鮮で魅力的な「昔ながら」の良さを活かして、人と人をつないでいく。
コモンズやコミュニティデザインという名のもとに、地縁の新しいあり方を問いつづけ、地縁の再構築が今求められている。
9.愛という名の責任を負う
新しい地縁にしても風景の価値の発見にしても、それらは地域を愛することから生まれる。真の愛には責任が伴う。その土地を愛し、土地に根ざした持続的な活動を行うということは、主体的にその土地に対して責任を負うということである。
岐阜のデザイナー鷲見栄児氏は、ひとつひとつの案件に対してデザイン料をもらうのでなく、売上の何%かを成功報酬とする長期的なデザイン契約を行うことを実践している。店舗の内装デザインやパッケージデザインの対価としてまとまった金額のデザイン料を一切もらわないから、最初は持ち出しになってしまう。売上が上がらなければ大赤字だが、しかし、ずっとクライアントのビジネスにコミットできる。東京にあるような洒落た内装をつくって、しっかりお金をいただいてハイおしまいでなく、デザイナーとしての責任を持ち続ける覚悟が、地域への愛を育てていく。
責任を背負うから、持続的な愛が育まれるのだ。責任を背負い込む愛は、家族をもつのと同じである。
もちろん最初は、ただ好きだとか、なんか直感的に自分に合いそう、遊び心が高じてとか軽い気持ちで活動を始めてもよい。しかしそこに愛が生まれ、コミュニティをつくったり何かを事業を興すことで、じわじわと責任が生じていく。そして、責任を請け負う覚悟ができたときに、真の地域へのプライドが生まれる。
10. ものづくり=ひとづくり=まちづくり
執筆構想中
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