《JAL》注目集まる初のCA出身/女性社長・鳥取三津子氏の言葉から「安全運航」を考える
鳥取氏は、長崎市の活水女子短大を卒業後、1985年に東亜国内航空(のちの日本エアシステム=JAS)に入社。客室乗務員としてのキャリアをスタートさせました。
「1985年」と聞いて、ハッとされた方もおられるかと思いますが、鳥取氏が東亜国内航空に入社した約4ヶ月後である、1985年8月12日、JALの123便が羽田空港を離陸し大阪に向かうところで操縦不能に陥り御巣鷹に墜落するとの事故が起こり、520名の尊い命が失われてしまいました。
この事故について、二度と同じ悲劇を起こさないとの誓いの1つとして、JALでは安全啓発センターを開設。当該事故の残存機体、コックピット・ボイスレコーダー、ご遺品、乗客の方々のご遺書、当時どのように報道されていたのかがわかる新聞記事や現場写真を展示しています。
なお、安全啓発センターは、社員ではない一般の方でも「JALグループ 安全啓発センター 見学予約サイト」から予約が可能です。
昨日開かれた会見で、鳥取氏は123便の事故について「衝撃は今も強く心に刻まれている」と振り返り、事故当時を知る現役のJAL社員は約1%に減っていることからも「当時を知るものとして安全運航の大切さを継承していく強い責任感を持っています。揺るがない信念として取り組んでいきたい」との思いを力強く語りました。
また、新社長就任にあたり鳥取氏が強調したのは「安全運航」の重要性。「時代とともに変化する価値観に対応しJALを利用してもらえるよう取り組んできた。安全とサービスの2つが(私の)キャリアそのもの」と述べました。
今月2日に羽田空港で起こった、JAL516便と海上保安庁の航空機との事故については、「お客さま全員を救出しようという強い使命感があったと思います。もちろん、お客さまのご協力あってのことですが、あの9人(乗員)のことを誇らしく思います」とコメントし、「航空会社の根幹である安全運航に一層強い思いで取り組む」と強調しました。
どの企業においても、統合や合併などがあると「◯◯派」や「◯◯出身」などとの声が社内で囁かれることはありますが、「JAS出身」や「JAL出身」などは一切関係なく、そのような垣根を超えた社内でのコミュニケーションや風通しの良さが伺える就任になったようです。
鳥取氏は統合後から今までを振り返り、「統合当初は国際線のJAL、国内線のJASで(業務で使用する)マニュアルなども異なり、個人的に苦労したこともあったが、今は社内で元JAL、元JASと考える人はほとんどいないのではないか」とその変化を語っています。
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