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滞り・立ち止まり

パタッと、書くのをやめてしまっていた。

体重も、体脂肪も、動きがなくなってしまい、
なぜだか分からなかった。

「ちゃんと食べる量を減らしているはずなのに」
「ちゃんと動いているはずなのに」
「毎日湯船に浸かって温まっているはずなのに」

頭で思う「はず」と、見えている「現実」が違っていて、
毎朝、毎晩体重計に乗るたびに悲しくて、戸惑って、
「こんなはずじゃない」とか、「停滞期かもしれない」とか
「生理前だからかな」とか、「減らすため」じゃなくて
目の前のことへの「言い訳」みたいなことばっかり探していた。

目の前の現実から目を背けて、進めない言い訳ばかりを探していると、
重たい気持ち、悲しい気持ちがずんずんと胸の中を塗りつぶしていって、
他のところにもどんどん綻びが広がっていく。

食事で言うと、食事に集中できなくて「ながら食べ」になったり、
満足できる量が増えてしまったり。
生活だと、ダラダラ過ごす時間が増えてしまったり、
うたた寝して体を冷やしてしまう、変な寝方で疲れが取れなくなる、
寝つきが悪くてスマホを眺めてしまう、気力が出ずに動きが鈍くなる
などなど、、、

そして、そういう自分をどんどん責めて、嫌いになるという、
またしても私の悪い癖、循環が始まってしまっていた。

わたしは一人で、黙々と、ダイエットの調子のいいこと、
自分にとって都合のいいところだけ見て取り組んでいた。

だから、こうやって停滞したときに吐き出すことも、
相談することも、「え、やばいじゃん私停滞してるし見直さなきゃ」なんて
前を向くこともできていなかった。

悪循環が始まっていることに、気付いている自分と、
同じくらい気付きたくない自分がせめぎ合い、
もっともっと自分の視野も選択肢も狭めてしまっていた。

そのしわ寄せは、結局「甘ったれられる人」に行ってしまった。
つまりは、信頼して、お世話になっている人に
しっかりと「叱って」「指摘して」もらったのだ。

正面切って「喝を入れてほしい」「叱ってほしい」「指摘してほしい」と
お願いしたのではなく、結果的にそれはひどいやり方で
お願いすることになってしまった。

「できない自分」を見たくなくて、
「できる自分」「役立つ自分」だけ見ていたくて、
頼まれてもないのに「できるでしょ」「役に立つでしょ」なんて
押し売りをしてしまった。

信頼しているその人には、もちろん全て見透かされていて、
疲れている最中なのに「叱って」「指摘して」「喝を入れて」もらうという
なんともお粗末な結果だった。

本当に、申し訳ないことをしている。
自分がやりたくて取り組んでいることなら、
ちょっと壁にぶつかったとか、ちょっとできないことくらい、
自分で向き合って受け止めろという話だ。

適切に「手を貸してほしい」と依頼して、
手を貸す余力がある人に助けてもらえばいいだけの話だったのに。
本当に、恥ずかしい話だと思う。

だけど、助けてもらえて、叱ってもらえて本当によかった。

私の中の歯車がまた一つかみ合いだして、
あれだけ動かなかった体重が、体脂肪が、
またするすると少しずつ動きだしている。

そして、身体の感覚も、感情も、前より軽くなっている。

もっと、もっと頑張れる。
一歩一歩でも自分にできることを重ねて、
できない時は寄り添って受け止めて、
まだまだやれることが沢山あると、改めて認識した。

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