散文:私の人生、私の悩み。

フェミなのだから、このくらいの事で(まさか知乃さんが)悩まないだろう。とよく人に思われているな。
と思う場面に遭遇することが多い。
実際は真逆だ。人生は途端にイージーになったりしない。ルッキズム、エイジズム、セクシズム、意味と構造、起源まで分かっていながら、自分で自分を苦しめる。実際のところは分かっている癖に、自分には反映できない。「もう少しここのたるみが気になるな」とか底なしの痩身欲求。そろそろシミが気になり始めるな〜、今から勉強なんて遅くないかしら。とか、本当にキリがない。ダブスタの中で揺れ動きながら常に生きている。

あの子はイージーじゃん、金も親も家もあって。無いものは当たり前に美しく見えて、そう僻んだことは他の人と同じくらいある。
イージーな人間には「地獄がない」という地獄がある。だから自分の目に恵めれて写るあの子を許せ、博愛せよ、という話ではない。
あの子には、地獄がない、という地獄がある。そう思うことで自分自身を慰めているのだ。

慰める、ずっと惨めになる言葉だった。自分でとにかく自分を責めるのが好きだったように思う。
例えば、なんで今日もカロリー計算できなかったんだ、勉強が続かないんだ、起きて病院に行けなかったんだ、挙げつらえばキリがない。
自責から生まれるものは何もない、強いていうなら鬱とパニックのトリガー。
だけど、自責はとにかく楽だ。
自分を責めれば、理不尽な社会と戦わずに済む。自分を責めれば、自分の中にいる悪魔的な自分とも向き合わずに済む。ただただとにかく楽なのだ。
でも、自責は自責することで何かをなして反省したような気分にさせる。さっきも言ったが、自責は何も生まない。その現実に気づくことも大変で辛いことなのだ。
だってじゃあ、朝起きれなくて病院に行けなかった時「お前みたいなゴミクズ死ね、ただでさえ人間生活ギリギリなんだから病院くらい行けなくてどうするんだマジで死ねよ!!!!!」とマジで自分に言っていた。
でもこの「」に、次回どうしたら病院に行けるのかは書かれていない。
でも責めて、責めて、責め続けて、泣き疲れて寝た時、何かを果たした気持ちになる。自責は脳を使わなくていい。

私は、自分の人生を良くしたかった。今ももっとより良くしたいと思ってる。その為に私に必要なのは祈ったり願ったりすることではなく、行動すること。そして自分で自分を慰めること。
死ね、ではなくて、朝起きれなかったけど、起きようとはしたよね。また予約取ろうね。と自分で自分を慰める。慰めるは、惨めな言葉ではなく、自分自身へとれる最大の優しさなのだ。

理不尽な社会と戦っている時、どうしようもならなくて泣くことも少なくない。そんな時は「どうして巨悪に勝てないんだ!!!私が弱いから!!!!」ではなくて、正面から自分が、自分の納得いかないものと戦ってるから、悔しいんだよ、戦えてる、大丈夫、と慰める。

過激な活動をしているからといって日常で何かスーパーマンのようにタフなわけではない。悪に悪と言いたいからこそ、誰より自分に優しくなること。
うまく言えないな、難しいけど、私にとってはすごく大切なこと。

この、本当にクソみたいな世界で、私が生きて行くのに、私が誰より私の親友に、味方にならないでどうするの?
どんなに素敵なパートナーも、親も、友人も、劇団員も、みんなみんな他人なのに、自分まで自分を責めるの?

自己愛、アホみたいな言葉だけど、そう思いながら手に入れてる(そう見える)人間が死ぬほど憎たらしい。後、そんな言葉が嫌いだわ。陳腐で、誰にでも装える、自己啓発ファッション用語みたいで(そんなことない。)
自分に、コンプレックスも、低い鼻も、太ってる時も大好き!なんて言えない。だって気になるもの。そこで言ったら私は自己愛がないのだと思う。
でも、自己愛という言葉が嫌いでも、自己愛が希薄でも、自分を自分で慰めることでうまく生きていける。

私を誰より愛したい。他人の愛は有条件だけど、自分が自分に与える愛だけは無条件で無限だから。慰めながら、人生という時間をかけて惜しみなく自分を愛したい。
私の愛してる、私を、観てねといつかもう少し大声で言いたい。

取り止めがないけれど、私も何も変わらないという話。
明日も頑張って生きていこう
おやすみなさい

次回公演→

http://tremendous.jp/girlsneverdie/



チケット→

https://ticket.corich.jp/apply/123680/


この記事が参加している募集

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?